これまで「不倫をする男たち」を書いてきたが、今回は番外編。妻が不倫をして駆け落ちしてしまった話である。妻の不倫というだけでも夫にとっては「まさか」という思いだったようだが、相手を知って2度びっくりしているという。

 都内で飲食店を営んでいる坂本宏一さん(52歳・仮名=以下同)は、2年前に家出した妻・遙香さんの居場所を今も知らない。ただ、元気でいることだけはわかっている。妻が突然いなくなったのは、結婚して20年たったときだった。

 27歳で知り合ったとき、宏一さんは会社員だった。同期の友人から「人数あわせのために合コンに来てほしい」と頼まれた。合コン自体は好きではなかったが、頼まれると断れない性格なので渋々参加、そこで3歳年下の遙香さんに出会った。

「たまたま隣に座ったので、世間話をしていたら、彼女も人数あわせで渋々参加したんだそう。オレもだよと笑って、なんだかこの人と気が合うなと思っていました。彼女もそう思ってくれたようです」

 二次会に行くと盛り上がる同僚を横目に、遙香さんを見ると帰りたそうにしている。「帰りますか」と声をかけるとほっとしたように笑った。駅まで一緒に歩きながら、「すぐ近くにおいしいコーヒーを出す店があるんだけど寄りませんか?」と言うと彼女の顔が輝いた。無類のコーヒー好きだという。宏一さんもそうだったので、珈琲店ではマスターも交えて話に花が咲いた。

 それからつきあい始めて3年後に結婚。きっかけは遙香さんの妊娠だった。

「僕はもっと早く結婚したかったんですが、遙香は『めんどうだから、このままでいい』と言っていました。女性は結婚したがるものだと思っていたから、意外な反応に驚きましたね。遙香は“女性とはこういうもの”という僕の固定観念をぶち破った人でした。そこが魅力だったんです」

 夫婦は共働きしながら娘を育てていった。ふたりは「親になっても恋人同士でいたい」と一致、子どもがいても名前で呼び合い、馴れ合いになるのを避けた。

33歳の決断

「2年後に次女が生まれたんですが、ちょうどそのころ、都内で飲食店を営んでいた父が体調を崩して店を閉めざるを得ないと母から連絡がありました」

 それを聞いた遙香さんが、「ちょっと待った」と言い出した。

「せっかくお父さんが始めて常連さんもいる店を閉めてしまっていいのかと遙香が僕に詰め寄ってきたんです。遙香は自分の親とも僕の親とも、それほど交流をもちたがらないタイプなので、その反応はちょっと意外でした。でも彼女に言わせると、『お父さんは30年以上、店を続けてきたんでしょう? 継続するって大変なことよ。あなた、継げば?』と。そんな軽く言われてもと笑うしかなかったんですが、よく考えてみれば遙香の言うことももっともだなと思ったんです。僕には姉がいるんですが、結婚して遠方にいるし、継ぐとなったら僕しかいない。実は高校、大学時代、ずっと家業を手伝っていたので、できなくはないとも思っていました。ただ、僕は小さいころ父とあまり接点がなかったんですよ。飲食店は遅くまで営業していたし、日曜の父は寝てばかりいたから。大変なのはわかっている。会社員のほうが子どもとの時間もとれるし、と迷いました」

 会社を辞めたらもう戻れない。飲食店がうまくいかなかったらどうすればいいのか。老後のことを考えても安定志向に傾いていく。

「もしうまくいかなかったら、そのとき店を閉めてもいいじゃない。私は今まで通り働くから、大赤字にならない限りなんとかなるわよと遙香が言ってくれた。母に『僕が継ぐから、お母さんは今まで通り店に出られる?』と聞いたら出るという。じゃあ、やるか、と」

 33歳の決断だった。父は夜遅くまで店を開けていたが、宏一さんは23時までにした。そうすれば朝食だけは家族一緒にとれる。どういう状態であっても家族を第一に考えたかったのだという。

「オヤジの時代は夕方から開店していましたが、僕はランチをやることにしました。周りにはオフィスもあって立地もいいので」

 会社員時代の自分のことを考え、がっつり食べたい人向けと軽くすませたい人向けに分け、メニューは4種類の定食だけ。それが当たって、店を継いでから半年、宏一さんは一息つくことができた。

 その後、父も体調が回復し、たまに店に顔を出すようになった。前のようには働けないが、ときどき、夜の営業を代わってくれることもあった。ところが、

「僕が40歳になったころ、父が亡くなったんです。前日まで元気だったのに、心筋梗塞を起こして運ばれ、そのまま意識を取り戻しませんでした。3日間休業しましたが、その後は店を開けました。ただ、母ががっくりきてしまって……。アルバイトさんには来てもらったけど、この先どうしようかなと悩みましたね」

 そういうとき、必ず遙香さんが鍵を握る。彼女は、宏一さんの母と同居すること、ランチを自分が手伝うこと、夜の営業も早い時間は手伝うと言い出した。

「彼女の安定した給料が僕の安心材料でもあったので、それはどうかなと揺れました。でも彼女は前向きでした。『宏一と一緒に店を盛り上げたい』と。ありがたかった。母も『私が孫の面倒を見る』と言ってくれたので、遙香の言うように話が進んでいきました」

 遙香さんは店で生き生きと働き始めた。ランチ時の客の仕切りは見事だったと宏一さんは言う。

「客商売はしたことがないと言っていましたが、彼女は基本的に明るくて親切なんですよ。記憶力がすごくいいから一度来たお客さんの顔も忘れない。ちょっとした会話も覚えていて、『風邪気味だって言ってたけどよくなりました?』なんて声をかけるものだから、遙香ファンが増えて、店は昼も夜も安定してお客さんが来てくれるようになりました」

〈愛する人がいます〉

 それから10年間、店はうまくいっていた。それなのに長女が20歳、次女が18歳になったとき、遙香さんは突然消えた。

〈ごめんなさい。残りの人生を考えたとき、こうするしかありませんでした。愛する人がいます。いずれ連絡します〉

そう書かれた手紙だけが残されていた。宏一さんはパニックになった。

「母に、娘たちにどう説明すればいいかわからない。愛する人ってなんだよ、不倫していたのか。なにより僕はこの先、どうやって生きていけばいいのか。でも店は開けなければとも思った。何をどう考えたらいいか、まったくわからなくなりました」

不倫した相手は…

 ちょうど夏休みだったこともあり、ランチは大学生の長女が手伝ってくれた。自分ができないときは友人をバイトに入れた。宏一さんは遙香さんがいなくなった事実を認めたくなくて、客に聞かれると「ちょっと実家に帰っている」と説明した。

 夜の営業で人が途切れたとき、手伝っていた長女が「お父さん、大丈夫?」と声をかけてきた。ろくに眠ることもできなかった宏一さんは、生返事をしてため息をついた。

「居場所はわからないけど、お母さんは元気だから安心してと長女が言うんです。知っているのかと尋ねると、『お母さん、駆け落ちだよ』と。頭にカッと血が上って、体中の毛穴が開いたような気がしました。『相手は男じゃないの』と長女は続けて言ったんです。妻は女性と駆け落ちしたんだそうです」

 そういえば、と宏一さんには思い当たる節があった。夜の常連さんの中に、遙香さんと仲良くなった女性がいるのだ。

「会社勤めの女性、涼子さんと言ったかなあ。確かに遙香が数年来、仲良くしていました。店にもよく来てくれたし、休日に涼子と一緒に買い物に行くという話を聞いたこともあった。長女と3人で食事に行ったこともあるようです。長女が言うには『ただの女友だちではなかった』と。ショックでした。妻が不倫して相手が女性だったなんて……」

 書き置きにあった「愛する人」は女性だったのだ。それにしてもなぜ駆け落ちをしなければならなかったのだろうと、宏一さんは不思議に思った。

「長女いわく、『相手も家庭があって、夫からDVを受けていたみたい』と。とにかく一度、遙香と話したいと思い、長女に連絡をとってもらいました。だけどどうして僕が妻と話すのに長女を介さないといけないのかわからない。その点では妻に対して腹が立ちましたね。オレたちはそんな脆い関係だったのか、と」

離婚するつもりはない

 妻は夫からの電話をブロックしていたのだ。夫婦として、男女として、そして個人と個人としての関係を盤石に築いてきたつもりだっただけに、宏一さんの落胆は大きかった。

「妻が出て行って2ヶ月ほどたって、ようやく電話で話すことができました。彼女はまず『ごめんなさい』と言いました。どういうことなんだよと言うと、やはり涼子さんと恋に落ちたと。もともと女友だちは多かったけれど、同性を恋愛対象だと思ったことはなかったそうです。ただ、涼子さんと親しくなるにつれ、彼女に触れたいと思うようになった。自分でも意外だったと。女として気持ちがいいのかと嫌味を言うと、『気持ちいいわよ、男の比じゃない』と言われて、その場に崩れ落ちるほどショックでした。言われてみれば遙香はあまり性的なことには関心を示しませんでしたね。僕もそんなに性欲が強いほうではないし、行為自体より遙香と話しているほうが楽しかった。

 オレに不満があったのかと尋ねたら、『不満はなかったわよ。あなたと話しているのは楽しかった。でも最初に約束したでしょう。いつまでも恋人でいようねって。私が恋したのは涼子だった。あなたには恋人というよりは同士的な感情のほうが強かったの』と泣きながら告白してくれました。オレは女に妻をとられたわけか、と言ったら『そんな言い方しないで。私にとって涼子は運命の人だったのよ。男とか女とかは関係ない』と言われました。関係ないのかなあ、僕は同性に恋愛感情を抱いたことがないからわかりませんが、同性だからこその魅力もあったんじゃないかと客観的に感じますね。つまり妻にはそういう素質があったんだ、と」

 相手が男だったら納得できたというわけではない。だが女性に取られたというのが宏一さんの男としてのプライドをズタズタにしたようだ。遙香さんは「いつか居場所を教えるし、いつか会えるといいと思っている」と電話を切った。宏一さんは複雑な気持ちを抱えたままだ。

「今のところ、離婚するつもりはありません。長女はどう思っているのか聞いてみたら、『誰が悪いわけでもないでしょ』と。遙香の気持ち、わかるのかというと『わからない。でもわからないなりに理解はしようと思ってる』って。次女も長女からそれとなく状況は聞いているみたいですね。長女の話では、涼子さんの離婚が成立するまでは居場所は隠しておきたいそうです。夫婦の問題に遙香が巻き込まれたんじゃないかと私は心配したんですが、長女は『大丈夫。弁護士さんつけて、粛々と離婚に向かっているから』と言っていました」

 それから1年後、宏一さんはようやく遙香さんに会った。変わらず涼子さんと暮らしているという。涼子さんの娘も、宏一さんのふたりの娘も、遙香さんたちとは自由に連絡をとっているようだ。

「僕は男だということだけで“排除”されたんでしょうか。なんだかそういう気分になりました」

 宏一さんは今も店を続けているが、長女は来春、就職だ。大学生の次女もいずれ巣立っていくだろう。ふたりが自立したら店は閉めるつもりでいる。

「いつか遙香が帰ってくるんじゃないかと思っていたんですが、2年たった今、その可能性は低いような気がしてきました。女性陣の関係は密なので、もう僕の入り込む余地がないのかもしれない。この20年は何だったのかと今は虚しさしかありません」

 妻の不倫に悩む夫の話は最近、よく耳にする。だが相手が女性だったというのは、決して「よくあるケース」ではない。宏一さんがこれからどうするのか、遙香さんとの関係はどうなるのか興味は尽きない。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮取材班編集

2021年9月22日 掲載