山上徹也容疑者(41)による安倍晋三元首相銃撃事件の波紋は、いまだ収まる気配を見せない。そして、彼の母親が旧統一教会に億単位の献金を行い、一家が経済的困窮に陥ったことが報じられて以降、一部の新興宗教と“信者の家族”の問題が大きくクローズアップされている。以下に取り上げる事件も、同様の“闇”を抱えていたことは間違いない。その“男”は、宗教団体の呪縛から家族を救い出そうとして事件を起こしたと主張する。だが、のちに開かれた裁判員裁判で明らかになったのは、男の家族が宗教を頼った原因が、他ならぬ彼自身の過去の行いにあったという事実だった。公判を傍聴したノンフィクションライター・高橋ユキ氏が事件の真相を振り返る。

 ***

「娘を返せ!!」

 2010年11月下旬の早朝、埼玉県八潮市のショッピングセンター駐輪場に、男の怒声が鳴り響いた。現場に居合わせた通勤途中の女性が目にしたのは、声の主である男が、中年女性を執拗に刺し続ける凄惨な光景だった。目撃者の110番通報を受けて駆けつけた警察官は、まもなく刃渡り20センチの柳刃包丁を持った男を発見。男が女性を刺したことを認めたため、殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。女性は出血性ショックで約1時間後に死亡している。犯人と被害者は“元夫婦”だった。

 逮捕された西村三郎(当時70)は、犯行時と同じく、取調べでも「娘を取り戻すためにやった」と供述している。実は、元妻のAさん(当時63)は子どもたちと共に、オウム真理教の後継団体・アレフに入信しており、居住地も同団体の関連施設にあった。西村は信者となった長女と次女を脱会させるため、住んでいた福岡県から上京し、事件を起こす数日前から関連施設を監視していたという。「元妻が信者になり、家族がバラバラになった。(元妻が)死ねば、子どもたちが目を覚ましてくれると思った」。西村は取調べでこうも述べている。元妻を殺すことで、娘たちが宗教の呪縛から解放され、自分のところに戻ってくると考えて凶行に及んだわけだ。

弁護人「いま、かつての奥さんに思うことはありますか?」
西村「……複雑な思いですけど、5人の子をもうけた仲ですから、いま思いますに、宗教さえやめてくれたら……幸せな老後を送れたと思います」

「オウム真理教を刺してるんだ」

 銃刀法違反と殺人の罪で起訴された西村に対する裁判員裁判は、2011年5月にさいたま地裁(大熊一之裁判長)で開かれた。起訴事実を認めていた西村には、かつての妻・Aさんとの間に、アレフ信者となった長女、次女を含めて5人の子がいた。そもそも、Aさんは1987年頃にオウム真理教へと入信。その数年後、夫婦の離婚が成立した。Aさんは西村の反対を押し切り、子どもを連れて教団施設に出入りしていたという。検察側は、西村がこうした経緯から「元妻を恨み、元妻さえいなければ長女らが教団を脱退すると思った」と指摘している。

 西村はかつて教団の関連施設に張り込むなどして子どもを探し出し、オウム真理教から家族を奪還するため精力的に働きかけを行ってきたという。当時の様子を本人が振り返った手記も過去に出版されている。さらに、事件前にも「何としてでも解決しなければ」などと手記をまとめていた。そこには、事件前年に西村が大腸がんの摘出手術を受けたことも触れられており、「先の短い親の人生よりも娘達の将来の方が大切」とも記されていた。

 娘を救い出すための行動は、西村にとってあくまでも“正義”の行いだった。西村のなかで新興宗教と同化した元妻は、悪そのものだったようだ。被告人質問で犯行について弁護人に尋ねられると、

弁護人「奥さんにかわいそうなことをしたという気持ちは?」
西村「そこもちょっと複雑な気持ちです。宗教さえしてなければ、孫に囲まれて暮らしてた。そういう意味で不幸だと」

 と、殺害してもなおAさんへの憎しみが消えない様子をにじませた。西村に対して検察官も続けて尋ねる。

検察官「『宗教さえしてなかったら』って言いますが、なぜ自分が悪いことをしたという言葉がストレートに出てこないんですか?」
西村「私自身、家内を4回……8回以上刺してた……」
検察官「『Aを刺してるんじゃない、オウム真理教を刺してるんだ』とも言っていましたが、いまだからこそ、元奥さんのことを考えようという気にはなりませんか?」
西村「……」

家族を“鎖”で繋いで奪還

 このように、彼は自分の行いについて問われると、質問そのものに真正面から回答せず、ずれた話をすることがたびたびあった。そして時折、答えに窮した。

 この被告人質問の直前に行われていたのは、西村とAさんの長女、次女、そして、入信していない長男に対する証人尋問だった。彼らは西村がAさん、さらには子どもたちに対して暴力を振るっていたと証言している。

次女「母は、1回目に家を出る前まで、父から毎日暴力を振るわれていました。私も父から暴力を振るわれていました」

長女「うちの家庭は母が全部受け止めていた。父に殴られても口答えをしたことがない。もともと出家するために家を出たわけじゃないんで」

長男「しつけは厳しいものでした。手を挙げることもありました。男のきょうだいだけでなく、女のきょうだいにも……尻を手で叩く、ゲンコツで殴るなど……。納得できない理由で殴られたことはあります。オウムをやめさせようとする父が母に振るう暴力、それが姉達には頭に焼き付いているのだと思います」

 また、長男と同じく入信していない次男が家を離れたのも、西村の暴力が原因のひとつだったという。加えて、西村が家族を奪還する際、彼らを“鎖”で繋いで北海道から福岡まで車で移動したといい、「これが一番怖かった」と次女は明かした。

「洗脳されとるからです」

 検察官はこうした子どもたちの証言を西村に問いただす。

検察官「Aさんが子どもを連れて施設に入った際、あなたが抗議して子どもを取り戻してますが、その後まず長女、次に次女があなたのもとを離れて母のところへ行きましたね。これは何故だと思いますか?長女も次女もあなたの暴力が原因だと言っていましたが」
西村「それは違います。それはもう、洗脳されとるからです」
検察官「ところが、次男もあなたの元を離れたのは『暴力が怖かったから』だと言っています。彼は宗教はやっていませんよね」
西村「次男は優しい男で……しょっちゅう、警察沙汰になって私から怒られてました……万引きはするわ……で、謝りに行きました……」
検察官「つまり次男が家を出たのはあなたの暴力が原因ではないと?」
西村「……いや、それもあると思いますが、そればかりじゃない……」
検察官「長女も次女も長男も、あなたの暴力が怖かったと証言しているんです。それを受け止める気はないんですか?」
西村「それは思いますが、私は加減を心得てて、しつけの範囲と……」

子どもとの話し合いの直前に事件を起こした

 奪還の際に家族を鎖で繋いで移動したことや、その際に子らの前でAさんに苛烈な暴力を加えたこと、家族が尿意を催しても鎖を外さなかったことについても西村は「一度逃げ出して大変だったんです!」「しょうがなかった」などと、自分の“正義”を主張し続ける。

検察官「なぜ最初に謝らないんですか?」
西村「トイレに連れていくわけにいきませんから!」
検察官「そういう平行線だから家族もあなたと会話できなかったんじゃないですか?」
西村「私にはチャンスがなかった……」
検察官「いろいろと経緯があるのはわかりますが、そこから事件まで20年以上ありますね。その中でちゃんと、子どもに与えたショックを考えて、謝ることはできたんじゃないですか?」
西村「そこは反省するところです。でもふたりは私が、福岡の教会に行った時にニコニコとして私のところにきた…ハッと思った……それで私の作った『だご汁』を持たせて食べさせた……」

 幾度問いただされても、西村は決して自分の“暴力”について詫びることはなく、家族の“良かった頃”を語り続ける。公判は独演会のような状態となり、裁判長に静止されることも一度だけではなかった。また、事件前には三女が、西村と長女らとの話し合いの機会を持たせようと、食事会を計画していたという。日取りも決まっていたが、この直前に、西村は事件を起こしている。

「母が妊娠中も手をあげていた」

 論告弁論の前に、長女と次女の記した書面が読み上げられた。

<昔から父は都合の悪いことを責任転嫁してきた。家族への、特に母への暴力がひどく、気に入らないことは全部『お前のせいだ』と、母が妊娠中にも手をあげていた。髪を掴んだり唾を吐いたり、馬乗りになったり……暴力をやめてほしいと言っても聞いてくれなかった。母は、父の仕事がうまくいかなくなったときも我慢して、きつい姑にも耐え、5人の子を『1人にしたらかわいそう』といつも一緒に過ごさせてくれた。
 母や私たちが信者であることから、父に同情的な判決が出ることを恐れている。父の暴力がなければ教団に匿ってもらう必要もなかった>(長女の記した書面)

<父と住んでいる頃の母が笑っている姿を見たことがない。暴力が酷く、一緒に逃げて、教団に保護されながら暮らすようになった。子供の頃の暴力の記憶は、父が母を跪かせて『よく見ておけ』と言いながら母を殴っていたこと……。父は事実を捻じ曲げて話す。報道により、父に同情が集まり、軽い刑になるのでは。今回のことも、父は全く悪くないと考えているかもしれません。心から反省してほしい>(次女の記した書面)

 検察官は「何度も執拗に刺した悪質な犯行。結果は取り返しがつかず重大。離婚し縁が切れていた元夫からの攻撃に必死で抵抗し、命乞いをしたが刺された、その恐怖や無念さは想像に固くない。家族連れが集まるショッピングモールでの犯行。目撃者のひとりは精神科に通うほどに犯行態様は凄惨だった」として懲役15年を求刑した。

 判決では「子供たちと教団との関係を断絶させたいとの思いは認められるが、犯行が正当化されるはずはない」として懲役13年が言い渡されている。これを不服として西村は控訴、そして上告したが、いずれも棄却され、2012年に確定している。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
ノンフィクションライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』『木嶋佳苗劇場』(共著)、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』など。

デイリー新潮編集部