3社と呼ぶな

 神戸山口組と池田組が連帯し、そこに池田組と運命を共にする絆會も絡んでの「3社連合」。ここに来て、その呼称に異を唱える人物が現れた。それは他ならぬ神戸山口組の井上邦雄組長ということのようだが、一体どういうことなのか? 元山口組系義竜会会長の竹垣悟氏(現在は暴力団組員の更生を支援するNPO法人「五仁會」を主宰)に実態を解説してもらった。

 3社連合と呼ばれるようになるまでの経緯について、改めて振り返っておこう。

 もともと神戸山口組、池田組、そして絆會の各トップは2015年8月に6代目山口組を脱退し、神戸山口組立ち上げに参集していたメンバーである。しかしその後、2017年4月に織田絆誠代表が任侠団体 山口組(現・絆會)を結成して神戸山口組から離脱。2020年7月には、池田組も神戸山口組を出て独立組織となっていた。 

 入江副組長と池田組の池田孝志組長との関係は良好で、池田組長が神戸山口組を抜けた後も緊密な関係を続けてきた。また、池田組長と織田代表も非常に近い関係にあり、「運命共同体」と自ら胸を張るほどの間柄だという。

埋めがたい溝とは?

 その後も紆余曲折を経ながら、今年8月、電撃的に3社連合が結ばれた。神戸山口組と池田組が「五分の親戚」、すなわち「対等の連合」という関係を結ぶことになった。その一方で、池田組と絆會は運命共同体の間柄にあることから、3社の面々が積極的に交流し、同盟のような結びつきに発展していく可能性を秘めている――とされた。

 そんな中、この3社連合という呼称は実態を反映していないと異を唱える人物が現れた。

「井上組長です。彼に近いスジから聞き取ったのですが、”神戸山口組は池田組としか連合していない。井上組長と織田代表との間の溝は埋めがたい“ということでした」

 と、竹垣氏。

 織田代表は、神戸山口組の中核組織・4代目山健組の副組長(4代目山健組の組長は井上組長)に取り立てられていたが、離脱にあたり、神戸側の振る舞いについて口を極めて罵るように痛烈批判していた。

 これに対して神戸山口組は2017年9月にヒットマンを放つ。その結果、織田代表のボディガード役の楠本勇浩組員が射殺された。

3社と呼んでもらいたい勢力

「そういった経緯がある中で、関係修復は不可能だというのがもっぱらの見方でしたが、今年の事件現場(神戸市長田区)における楠本組員の命日供養に、神戸山口組の青木和重本部長、竹本均若頭補佐、池田組の前谷祐一郎若頭といった最高幹部が弔問に訪れたのです」

 自身が狙われ、ボディガードを亡くした織田代表にとっては、この最高幹部らの弔問が今後のために最低限必要な儀式だった。しかし、この“セレモニー”が井上組長の逆鱗に触れ、結果として、3社連合の中核を担った神戸山口組の入江禎副組長(2代目宅見組組長)が脱退することになったのは既報の通りだ。

「3社と呼ばれていたのは、そのように呼んでもらいたい勢力がいたからです。私はそれを池田組だと見ています。神戸時代、池田組長は井上組長の舎弟だったわけですが、こうやって連合となることで対等の関係になることができる。規模は大きい方がベターだし、池田組と絆會とは密接な関係にあるということで”3社”を喧伝していたのでしょう。3社連合の絵を描いたのも池田組で、先に触れた前谷若頭が主導したはずです」

示しがつかないし許せない

 繰り返しになるが、この考え方にNOを突きつけたのが、井上組長だった。

「井上組長は6代目山口組の高山清司若頭に対する思いと同じくらい、織田代表のことを宿敵と見ているように感じましたね。手のひらを返すようにして新組織を作ったことについて示しがつかないし、許せないというわけです」

 ところで、3社連合に対して3派連合なる言い方も一時、流布したことがあった。

「主に6代目山口組側は3派と言っていたように記憶しています。社よりも派の方が組織として規模が小さい、大したことはないという風に今回の件を示したいという意図が見え隠れしていました」

 3社連合に3派連合、入江副組長の脱退、2社連合……。ここ1カ月で目まぐるしい動きに驚く他ないが、井上組長自身、「この先はわからない」と見ているようで、まだまだ波乱含みであることは間違いなさそうだ。

デイリー新潮編集部