「お菓子業界のオピニオンリーダー」として快進撃を続けてきた菓子専門店「おかしのまちおか」(運営会社「株式会社みのや」)に“異変”が起きているという。最大の店舗数を誇り、“成長の中心地”と呼ばれた東京都内で「閉店が続いている」と嘆く声が絶えないのだ。その真相に迫った。

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 1997年12月に第1号店を都内板橋区にオープン以降、いまや東京に62店舗、全国で計182店舗を展開する「おかしのまちおか」。店内にはスナック菓子にチョコやキャンディなど流行りの商品のほか、懐かしい駄菓子など約1000種類がそろう。

 文字どおり「老若男女が楽しめる」と評判のまちおかだが、コロナ禍が始まった20年以降、池袋や大久保、三軒茶屋、大森、祖師ヶ谷大蔵などといった都内の店舗が次々と閉店。最近では昨年9月に笹塚店が、今年1月には霜降銀座店(北区)が閉店した。

 SNSなどを中心に近隣のファンから「安くて何でも揃っているから、家族みんなが重宝していたのに……」「スーパーやドラッグストアで食材や日用品の買い物を終えた後、まちおかでお菓子を選ぶのが至福の時だった」といった声がいまも聞かれる。

 まちおか関係者の話。

「撤退した店舗は駅前や商店街のなかに構えるなど、地元密着の運営スタイルを取ってきた。ただし売上の柱となっていたのは、お祭りやイベントなど各種の催しの際に大量購入してくれる“主催者”の存在だった。コロナでそれら人の集まる機会が減り、これまでと違った店舗運営を迫られていました」

「家賃」と「薄利多売」の関係

 まちおかが“都心部から姿を消す”ケースが目立っている点について、経済アナリストの森永卓郎氏がこう話す。

「都内で閉店が増えているのは、単純に“家賃が高い”という理由が一番と考えます。まちおかのビジネスモデルは製造元メーカーなどから直接、大量購入することで仕入れ値を安く抑え、消費者へ廉価に提供する『薄利多売』の手法です。店舗サイズを小さくして家賃を低く抑える工夫なども見られましたが、駅前など立地条件のいい店舗が多く、家賃コストは非常に大きな負担だったと思われます」

 もともとまちおかは1954年、菓子の卸売業者としてスタートし、メーカーから直接仕入れるパイプやコネクションを有していたことが同ビジネスモデルを可能にしたという。実際、同社のホームページを見ると、「仕入先」として森永製菓やロッテ、明治、江崎グリコ、亀田製菓など主要な菓子メーカーがそろって名前を連ねている。

「それだけでなく、まちおかの場合、売れ残りや消費期限の近づいた“ワケあり商品”も含めて大量購入するため、原価をギリギリまで抑えることに成功。生鮮食品などでは期限の近づいた商品は敬遠されがちですが、お菓子だと消費者もほとんど気にしない。卸から小売へと事業転換した事例は珍しくありませんが、扱う商品を自社が強みを持つお菓子のみに特化した点がまちおかの“発明”であり、プレイヤーとして成功した秘訣です」(森永氏)

東京以外では“出店ラッシュ”の背景

 実は都内とは打って変わって、東京以外ではまちおかの出店攻勢が続いている。昨年だけでも大阪や岐阜、愛知、神奈川、千葉、埼玉県などに店舗を続々とオープン。注目すべきはその出店先で、大半がイオンモールやららぽーとといった大型商業施設内という特徴が見えてくる。

「モール内に出店することで店舗サイズが大きくなっても、都心部に比べると家賃はまだまだ安い。また大型商業施設内であれば人の往来は自動的に確保できるため、駅前店と変わらない効果も期待できる」(森永氏)

 と、理にかなった出店戦略に専門家も舌を巻く。また近年、まちおかはプライベートブランドのオリジナル商品の開発にも力を入れ、さらに横浜やさいたま市、三重県鈴鹿の3カ所に自前の物流センターを持つなど、業界の先駆者として柔軟な変化を遂げてきた歴史があるという。

 経営戦略を訊ねるため、運営会社の「みのや」に取材を申し込んだが、

「申し訳ないですが、取材にはご協力できません」(同社総務部)

 と詳細の開示は拒まれた。

 まちおかの成長は嬉しい反面、近所からなくなるのは「やっぱり寂しい」というのが本音だろう。

デイリー新潮編集部