3月19日、将棋の棋王戦五番勝負(主催・共同通信社)の第4局が栃木県日光市の「日光きぬ川スパホテル三日月」で指され、挑戦者の藤井聡太五冠(20 =竜王・王位・叡王・王将・棋聖)が棋王10連覇中の渡辺明二冠(38 =名人・棋王)を132手で下し、対戦成績3勝1敗でタイトルを奪取。「史上最年少六冠」を達成した。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

淡々と話す藤井

 棋王11連覇を阻まれた渡辺は、これで名人のみの一冠となった。4月からは、この名人位に藤井が挑む。そして藤井は、同日昼に放送されたNHK杯でも優勝。2022年度の将棋日本シリーズ、銀河戦、朝日杯将棋オープン戦、NHK杯と全4つの一般棋戦を制覇する史上初の「グランドスラム」も達成した。

 藤井の132手目「6八金」を見た渡辺は、胡坐をかいていた両膝に手を置き、頭を下げて投了した。

 対局を終えた藤井は、「良い結果を出すことができてうれしく思っている。最近は中盤以降、非常に難解な局面を迎えることが多くて、その中で考えても判断できない局面が増えているという印象を持っている。複雑な局面に対しても的確に判断できる力が一層必要になるのかなと思っています 」と振り返った。

 さらに、「対局が終わったばかりで、まだ実感がそれほどないが、棋王戦では今まで良い成績を残せていなかったものの、今期、五番勝負まで進むことができた。大変な将棋ばかりだったが、結果を残すことができて非常にうれしく思っている」などと、相変わらず喜びを爆発させることもなく淡々と話した。

 会見で八冠独占の展望を問われると、「うーん、そこを目指すという意識はありませんし、まだ実力的にも足りないところが多いと思うので、実力を少しでも高めていければと思っています」と答えた。

「長い年月、出場させてもらった」

 一方、敗れた渡辺はこう振り返った。

「終盤はもうちょっと何かあった気がするんですけれど……。駒損の分だけずっと辛いのかなと。もう少し息長く指せた手があったのか。その辺りの判断が分からなかった。(中略)負けてしまった将棋があまりチャンスがなかったので、もう少しチャンスがある将棋にしないと、なかなか結果はついてこないという感じですね」

 さらに、棋王11連覇はならなかったが、10連覇した棋王戦を振り返って 、「長い年月、出場させてもらったので、いろいろ思い出はありますけども。また出場できるようにやっていきたいと思います」と寂しそうに話した。

 先手は渡辺。双方が「角交換」から「腰掛け銀」の戦法になり、午前中の指し手は迅速に進んだ。午後から藤井が優勢に立ったが、渡辺が盛り返してゆく。

 渡辺が85手目、藤井陣に「6三成銀」 と攻め込んで、藤井が角を逃げたあたりでは、ABEMAのAI(人工知能)評価値は五分五分だった。藤井陣は自らの銀が壁になってしまう「壁銀」で、1筋の方向に玉が逃げられない悪い形になっていたが、92手目にこれを解消させる。渡辺はすかさず95手目に「2三」に歩を打って、玉の逃げを牽制する。

 藤井としては、自陣の桂馬が跳ねると、「6四」に角を打たれて「王手飛車」がかかる。 このあたり、解説していた飯島栄治八段(43 )も「渡辺さんのほうの景色がよくなってきた感じですね」と見ていた。

 藤井が96手目に「8六歩」で反撃に出ると、最終版まで互角の激しい攻防となった。ところが、やや優勢だった渡辺が125手目に「7七桂」としたところで、一挙に形勢が藤井に傾いた。AI評価は渡辺の勝率が23%に落ちていた。 次に藤井が「7五桂」とすると、渡辺玉は「金縛り状態」になる。

 最後の最後まできわどい勝負を続けたが、渡辺は持ち駒の桂馬2枚がうまく攻撃に使えず、金銀が持ち駒になかったため、弱い守りが一挙に崩された。渡辺は藤井よりも15分ほど早く持ち時間が切れてしまい「1分指し」になっていたのも辛かった。

 解説の飯島八段は「藤井さんが渡辺さんのわずかの隙をついて、最善、最速の手順で詰ませてゆくのはさすがでした。でも、勝負はほんのわずかの差。本当に名勝負でした」と感服していた。

「羽生・藤井の間」とは

 かつて「現役最強」と呼ばれた渡辺は、竜王と棋王で永世称号を持ち、全盛期には三冠を保持していたが、残るタイトルは名人だけになってしまった。

 その渡辺は2年前に雑誌のインタビューで、将棋界での自らの位置づけについてこんなことを語っている。

「今の棋士は自分も含めて羽生・藤井の間という位置づけだったんじゃないか」(『kotoba』集英社・2021年春号より)

 藤井とて、大山康晴(1923〜1992=通算タイトル80期)、中原誠(75 =同64期)、羽生善治(52 =同99期)といった大棋士に並ぶタイトル数を取ったわけではない(現時点で通算13期)。しかし、当時から渡辺は、藤井がそのクラスの棋士になることを確信していたのだろう。

 タイトル数だけに限ってのことだが、渡辺に近いのは谷川浩司(60 =同27期)だ。渡辺はすでにこの記録を更新し、通算タイトルは31期で歴代4位である。渡辺流に言えば、谷川は「中原・羽生の間」という位置づけになるのかもしれない。

 だが、タイトル数が上回る渡辺より谷川のほうが将棋界での存在感が大きいのは、やはり「永世名人」の称号を持つことが影響しているのであろう。

 現在、将棋のタイトルは全部で八冠あり、優勝賞金の最高は「竜王」だ。このため、近年では日本将棋連盟も竜王を「将棋の最高峰」と呼称するようになり 、藤井のことも「藤井竜王」とするメディアが多い。

 しかし、将棋界で最も歴史があり重みがあるのは、なんといっても「名人」である。

 その名人位を現在、渡辺が保持しているが、順位戦A級リーグで、藤井がプレーオフの末に広瀬章人八段(35 =通算タイトル2期)を破って挑戦権を獲得ている。これにより、ついに4月5日から、藤井六冠が渡辺のその「最後の宝物」をも奪いに挑んでくることになったのだ。

永世名人に近づけるか

 振り返れば、2020年7月、大阪で藤井にとって最初のタイトルとなる棋聖位を明け渡したのが渡辺だった。これによって渡辺は三冠から二冠になった。

 しかし、棋聖を藤井に奪われた直後、渡辺は豊島将之九段(32 =通算タイトル6期)に挑戦して悲願の名人位を奪い、三冠に戻した。その時、記者会見で渡辺は「僕ももう、年齢的にいつでもタイトルが取れるというわけではないから」などと話していた。

「若手天才棋士」と言われた渡辺も4月には39歳。40歳に手が届く年齢となった。

 名人位は通算5期で「永世名人」の称号が得られる。そのためにも現在3期の渡辺は藤井に負けるわけにはいかない。

 大阪市福島区にある関西将棋会館の最上の対局室には、木村義雄(1905〜1986=通算タイトル8期)、大山康晴、中原誠、谷川浩司の4人の永世名人の掛け軸がかかっている。現在、このほかに永世名人は、羽生と森内俊之九段(52 =同12期)が資格を持っている。

 渡辺は来たる名人戦については「あまり(棋王戦から)間を置かずに、という形になるので、今回の棋王戦を振り返りつつまた向かっていければいいかなと思います」と闘志を見せた。

 渡辺が藤井を退けて4連覇として永世名人に一歩近づくか。それとも藤井が渡辺を破って谷川の記録を破る「史上最年少名人」になるのか。さあ、いよいよ注目の名人戦だ。(一部、敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部