“遺族”にのしかかる巨額の借金

 食卓がある部屋には、重苦しい空気が流れていた。

「どうすれば良いのかわかりません。色々なことに疲れました。何をやっても失敗ばかりで、何もできない状態です」

 そう語るベトナム人男性のレエ・アイン・ハオさん(40)は3月半ば、千葉県松戸市にある自宅で頭を抱えていた。問題は、福島県で温泉旅館の経営に乗り出すための、資金繰りだった。

「資金を集めるために、ベトナムにある自宅や親族の家を担保に銀行からお金を借り、借金が4000万円以上になってしまいました」

 雪だるま式に増えた借金――。

 きっかけは、ハオさんの長女、リンちゃん(当時9歳)を殺害した元保護者会の会長、澁谷恭正受刑者(51)=無期懲役確定で服役中=に対する損害賠償請求訴訟である。

 当時、小学3年生だったリンちゃんは2017年3月24日、登校途中に行方不明になり、2日後に我孫子市の排水路脇で遺体となって発見された。その刑事裁判で死刑を求めていたハオさんは、無期懲役の判決確定に納得できず、澁谷に対して総額約7000万円の支払いを求めて提訴した。21年9月、請求通りの判決を東京地裁から勝ち取り、二審の東京高裁でも勝訴。その後、澁谷が上告を断念したため、二審判決が確定した。しかし、賠償金が澁谷から支払われることはなかった。

「福島の人は自分と似ている」

 これでは一体、何のための賠償判決なのか。

 殺人事件の被害者遺族が、犯人に損害賠償を請求した民事訴訟で勝訴し、「犯人に支払い能力がない」などの理由から、賠償金が支払われないケースは枚挙にいとまがない。ところが、犯人に不動産などの財産がある場合は、それを差し押さえ、競売にかけて賠償金の代わりにすることが可能だ。澁谷は松戸市内に4階建てのマンションを所有していた。

 その競売手続きに、ハオさんは着手した。だが、マンションの評価額が低かったため、競売開始のために保証金約4000万円を納付するよう千葉地裁松戸支部から言い渡された。

 ハオさんは、ベトナムにある自宅や親族宅を担保に銀行から日本円にして約3000万円相当を借金した。残り1000万円については調達が難航したが、その過程で温泉旅館への投資を思いついた。

「東日本大震災の記事を見て、今も福島に帰れない人がいると知りました。観光地の旅館やお店を閉店する人もいて、とても不公平に感じました。自分のことに似ていると。私も別に悪いことしていないのに、家族が残忍な目に遭った。福島の人と同じ気持ちになり、何かしたいと思いました」

 ベトナムの旅行会社の多くは、福島県北塩原村にある観光地、五色沼を日本の観光ツアーに組み込んでいた。その近隣にある、閉館した温泉旅館を再開し、ベトナム人観光客を呼び込めないだろうか。そうハオさんは考えた。

「ベトナムには温泉がほとんどありません。日本を旅行するベトナム人に温泉の素晴らしさを紹介したいと思いました」

賠償金判決は「紙切れ同然」

 ハオさんは、旅館2軒の買い取りに借金を使った。その経営で得られた収益を、保証金に充てるつもりだ。順調にいけば、4月にオープンする予定だったが、1軒の旅館が強盗に襲撃されるなどで想定外の修理費が大幅にかさんだ。

「観光組合の参加費などでもさらにお金が必要になり、難しくなりました」

 予定が大きく狂った。

 ベトナムの銀行にも返済をしなければならず、滞れば自宅がなくなってしまう。このため松戸市の自宅も担保に、新たな借金を検討中だ。

 だが、本を正せば、損害賠償が適正に支払われていれば、あるいはマンションの差し押さえが円滑に進んでいたら、ハオさんもこんな資金繰りに奔走する必要はなかったはずだ。

「民事裁判に勝っても、これでは意味があるかどうか疑問です。それに犯人に財産があっても、結局何もできません。おかしいですね。これまで一生懸命やってきましたが、気持ちが負けそうです」

 賠償判決は「紙切れ」同然で、遺族はいつまでも泣き寝入りするしかないのか――。

 こうした状況を変えるため、殺人事件被害者遺族の会「宙の会」は3月11日に開かれた総会で、国が遺族への損害賠償を立て替えた上で、加害者に請求する「代執行制度」の導入をあらためて求めるとともに、齋藤健法務大臣へ陳情書を提出した。

リンちゃんには「ごめんなさい」

 帽子を被ったリンちゃんが、上目使いに微笑んでいる。

 ハオさん宅の祭壇に飾られたリンちゃんの遺影だ。一家で東京タワーに行った時に撮影した写真で、リンちゃんが4歳の頃だった。

 その遺影の前に、白い大きな紙袋が2つ、並んでいた。1つには、事件発生時にリンちゃんが背負っていたランドセル、もう1つには、その時に着ていた衣類が入っている。今年1月、我孫子署から返却されたと、ハオさんが沈痛な面持ちで語る。

「事件の捜査が終了したので、返しますと。受け取ってから、我孫子の現場に行き、お線香をあげました。今も袋の中は見れません。心痛いです」

 現場には今も、ハオさんがこしらえた祠が建ち、月に一度は通っている。

 ハオさんがちょうど2年前にオープンした松戸市内のベトナム料理店は現在、福島県の旅館に移転する準備を進めている。「ベトナムと日本の架け橋になりたい」というリンちゃんの思いを実現するために始まった松戸市の店は、新型コロナの影響で経営不振に。手元には数百万円の借金が残った。

 ハオさんは現在、日本とベトナムを行き来する日々だ。リンちゃんの下の弟、トゥー君(9)の面倒をみながら、リンちゃんと同じ小学校に通わせている。温泉旅館の準備で福島に滞在する時は、知人のベトナム人にトゥー君を預ける。

 妻のグエンさん(36)と、その下の子供2人はベトナムに帰省中で、特にグエンさんの調子が芳しくないため、日本で一家5人が一緒に生活できるかは微妙な状況だ。それでもハオさんは、澁谷のマンション競売を実現させるため、何としても日本に留まり続ける覚悟でいる。

「リンちゃんにはごめんなさいしかないね。澁谷に対して(納得できる)刑罰が下されず、申し訳ない」

 そう語るハオさんの目からどっと涙が溢れた。

 あれから6年――。

 命日の3月24日、ハオさんは今年も我孫子の現場で祈りを捧げる。

 祠の隣に立つ、リンちゃんが大好きな桜の木も、咲き誇っているだろう。

水谷竹秀(みずたにたけひで)
ノンフィクション・ライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。昨年5月上旬までウクライナに滞在していた。

デイリー新潮編集部