大いなる常識を問う

 放送作家、作家、あるいはYouTuberに加えて最近では「日本保守党」代表という肩書も持つこととなった百田尚樹氏。新刊『大常識』は、日本国内での「どう考えてもおかしいやろ」と思うことにツッコミを入れまくるという趣向の一冊である。

 価値観が多様化して「何が常識なのか」ということが議論の対象になることも多い今、ベストセラー作家の考える「大いなる常識」とはいかなるものか。

 政治家の問題から、結党のきっかけとなったLGBT法案のこと、移民問題、出版界の問題まで幅広く語ってもらった。
(前後編の前編)

 ***

――既存の政治家に対しては強い不満を感じられていますね。本の中では「政治家」ではなくもはや政治でメシを食っているだけの「政治屋」ばかりではないか、と厳しい指摘をしていらっしゃいます。

 しかし、そもそも政治家なんてそんなもんだよ、というシニカルな見方をする人も多いのではないでしょうか。昔から金権政治家は多かったし、不勉強な政治家も多かった、と。そのあたりはどうなんでしょうか?

百田:その場合の「昔」というのがいつなんでしょう。たとえば昭和20年代、終戦直後のことを考えてみましょうか。

 もちろん優劣はあったでしょうが、少なくとも今よりは与野党ともに日本の行く末を真剣に考えていたのではないでしょうか。

 実際に取り組むべき大きな課題が多くあったのです。なぜなら、独立を果たし、経済を復興させなければならなかったからです。そのために政治家も時には与野党関係なく、大きな課題に取り組みました。

 たとえば、東京裁判で裁かれた、いわゆる「戦犯」の赦免決議は衆議院では1名を除いてほぼ全会一致で通っています。

 当時、国民の署名が4千万筆集まったというから、成人の大多数が後押しした、一種の国民運動となっていたのでしょう。ちなみに、この頃は日弁連も今のように左傾化していなかったので、赦免を推進する意見書まで提出しています。

 主権国家として、やっておかねばならないという大きな問題意識を国民も政治家も共有していたわけです。

 戦後しばらくは、こうした大きな課題を日本は抱えていました。

 日米安保条約という選択も、日本の安全保障をリアルに考えたうえでのものです。

 すごく大まかに振り返れば、池田勇人や佐藤栄作の頃まではそうした大きな課題を政治家は意識していたし、取り組まざるを得なかったのです。池田首相の場合は、経済にかなり特化したところもあり、評価が難しいところもあるかもしれません。

 ただ、いずれの首相も「日本をもう一度独立した国として立ち直らせる」という強い想いをもち、そのために全力を尽くしていたのだと思います。

――それがいつから変わったのでしょうか。

百田:私は昭和40年代以降だと考えています。この時代は「厄介」です。というのも、昭和10年代に生まれた世代と団塊の世代が社会の中心になっていきます。多くが、「戦前の日本はすべて悪だ」というGHQの教えを素直に聞いてしまった世代です。

 さきほど触れた、戦犯の赦免決議などは「とんでもない」という考えを根底に持つ人が多い。「日の丸反対」などと言いだす人が増えたのもこの頃です。

 一方で、経済は好調に回復を続け、昭和43年には早くもGDPがアメリカに次ぐ、世界2位になります。

 経済は民間が頑張って、完全な復興を遂げて成長を続けている。安全保障はアメリカの核の傘に守られていたし、敵といってもソ連のことだけ考えればよかった。しかしそれはあくまで「概念」に過ぎず、現実的には考慮する必要もなかった。

 もちろんそれは日本にとってはとても良いことです。しかし、結果として政治家は大きな課題を考える必要がなくなり、そういう意識がどんどん低下していきました。

 そして以降は、派閥同士の争いや自身の出世が主な関心事になり、今日に至っているのです。

 私見では、最後に日本の政治が大きな役割を果たしたのはオイルショックの時だったのではないでしょうか。原油の高騰の影響を最小限にすべく日本政府は手を打ち、乗り切った。

 それが日本の政治が最後に見せた輝きだと思っています。しかし、それ以降の政治家は目標を失ったと思っています。

政治家は「いなくてもいい」存在になった

――そうすると、「失われた30年」どころか「失われた50年」だったということでしょうか。

百田:はい。それ以降は、日本において政治家は「おってもおらんでもいい」存在になり、政治家も国民もそれを当たり前のように思っていました。経済は民間で、安全保障はアメリカに、で済むのですから。

 もちろんこの時代は世界中の先進国がかなり平和を享受していたのですが、日本のように何も考えなかった国は珍しいのです。永世中立国であるスイスですら、国民的議論の末、結局徴兵制度を維持してきたのは有名な話でしょう。今が平和だから、軍事のことなんか考えなくていい、なんて国は日本以外にはありませんよ。

 日本を取り巻く状況を見れば、1990年代以降はソ連と共に冷戦構造が崩壊し、結果として中国や北朝鮮という存在の厄介さが増しました。バブル以降経済が衰退の一途なのもご存知の通りです。

 しかしそれでも政治家の意識は変わりませんでしたね。それどころか、世襲が進むにつれて、質はどんどん悪くなっていったと思います。

世襲はなぜ悪いのか

――世襲のほうが親からのエリート教育が期待できる、なんてことはないんでしょうか。帝王学を教わっているとか。

百田:ありませんね。今の政府の閣僚の半分くらいが世襲政治家でしょうか。

 要職を得ている政治家ほど世襲率は高くなります。

 現在の岸田総理大臣も、「次の総理」としてよく名前が挙がる「小石河(小泉・石破・河野)」も全員世襲です。

 世襲でないと大臣になれない、とまでは言えないまでも、世襲政治家が幅を利かせていることは間違いないでしょう。

 ではなぜそうなるのか。党の中ではどうしても当選回数が重視されます。経験を積んだという点では、それにまったく意味がないとは言いません。

 しかし、ある程度の年齢になるまでに一定以上当選を重ねるには若いうちに当選する必要があります。でも、国政に出馬できる普通の人なんてどれだけいるでしょうか。

 世襲でない人が仮に政治家を志しても、まずは地方議員からスタートして、それから国政にというステップを踏む人がほとんどでしょう。すると、晴れて国会議員になった時にはもうかなりの年齢になっている。そこから回数を重ねたら、もう老人ですよ。

 ところが世襲議員はこうした問題を抱えなくていい。若いうちに国政選挙に出馬させてもらえて、大した競争にさらされないまま、地位だけが上がっていく。

 普通の業界では、トップに行くには相当な研鑽と努力が求められ、競争に打ち勝ったものだけがその資格を得ます。ところが政治家の場合は、世襲が圧倒的に有利です。

 しかも政治資金団体という装置を上手に使えば、相続税も支払わないまま、親の蓄えた資金をもとに政治活動ができるのです。

 この問題を野党が追及しないのは、自分たちのところにも結構世襲がいるからです。自民党が目立つだけで、ほとんどの党が同罪なんです。

 本来は、選挙に必要な「地盤・看板・カバン」を最初から持っているような立場なのですから、高い志で大きなテーマに取り組む政治家がもっといてもいいはずです。しかし残念ながらそうはなっていない。安倍晋三元首相は選挙に圧倒的に強いので、そこに注力しない分を勉強に費やしていましたが、そんな人は超例外です。

 私から見れば、総理候補とされる人たちも含めて「あんなバカがなぜ」という政治家がそろっています。

――相変わらず口が悪いというか厳しいですね。

百田:いや、これは今回の『大常識』の軸なんですが、「誰が考えてもおかしいやろ!」ということがまかり通っていませんか。

 税金を取り過ぎたので4万円を戻します、と岸田首相は言います。ところがなぜか、税金を納めていない人には7万円を配るという。

 普通に考えておかしい、と思う人が多いでしょう。何で納めていない人のほうが優遇されるのか、不満を持って当然。

 それを理解できていない時点で、常識が無いとしかいいようがない。

 今の政治家は、普通の人の「どう考えても、おかしいやろ」という感覚をあまりに軽視しているんじゃないでしょうか。その代表例が、私が日本保守党を立ち上げるきっかけにもなった「LGBT理解増進法」だと思います。

 ***

 百田氏は何に憤っているのか。「LGBT理解増進法」に関する見解などについては後編で触れることとする。

後編【心は女性なら女風呂に入浴可」はおかしいやろ! ベストセラー作家・百田尚樹氏が訴える「大いなる常識」】へつづく

デイリー新潮編集部