政権発足から2年以上がたつ。そして改めて思う。岸田文雄首相(66)とは一体何者なのだろうか――。旧統一教会との関係を否定してきた首相に関する新たな証拠写真を本誌(「週刊新潮」)は入手。そこから浮かび上がってきたのは、保身に走るわが国のトップの「空虚さ」だった。

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 昨年12月、岸田文雄首相が自民党政調会長時代の2019年に、党本部で元米下院議長ニュート・ギングリッチ氏と面会した際に旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の関連団体である「UPF(天宙平和連合)ジャパン」のトップ、梶栗正義議長や米国の元教団幹部らが同席していたことを「朝日新聞」が写真付きで報じた。

 ギングリッチ氏は、この面会をセットしたのはUPFジャパンだったと証言。岸田氏が面会相手を「旧統一教会の人間」と認識して党本部で迎えたのは誰の目にも明らかに思えるが、岸田首相はこんな釈明をした。

「ギングリッチ氏と会ったが、大勢の同行者にどなたがいたかは承知していない」

 そして、動かぬ証拠の写真があるにもかかわらずこう強弁した。

「写真があったとしても私の認識は変わっていない」

なぜ苦しい言い逃れを?

 岸田首相はそれまで「旧統一教会との関係はありません」と説明していた。また自民党総裁として、教団との関係性の調査を党所属議員に指示し、関係が確認された議員に対しては「説明責任を果たすべきだ」と述べてきた張本人でもある。自身と教団および関連団体との“接点”を認めることは今さら格好がつかないと考えたのかもしれない。

 とはいえ、事実が釈明の通りならば、「教団関係者と会ったのは初めてで、深い関係ではない」とだけ説明すれば「終了」となる話だ。岸田首相は一体何を恐れて、苦しい言い逃れをしたのだろうか――。

「教団とズブズブ」の証しとされた冊子

 16年12月、東京都内で催されたある政治集会で撮影された一枚の写真。当時、外務大臣だった岸田氏が、米連邦議会議事堂の写真が表紙に使われた「ILC2016」という英字の冊子を手に掲げて、にこやかな笑みを浮かべている。

 ILCとは「International Leadership Conference(国際指導者会議)」の略称で、旧統一教会の関連イベントである。22年10月、山際大志郎経済再生担当大臣(当時)が教団との関係を追及されて事実上更迭されたが、その一因となったのがこのILCへの参加だった。

 なぜ「教団との関係はない」はずの岸田首相が、「教団とズブズブ」の証しとされたILCの冊子を手にして笑っているのか。

「岸田さんも冊子をめくって目を通していた」

 岸田首相にILCの冊子を渡したのは教団関連団体幹部のX氏。関係者によれば、X氏と岸田首相が初めて会ったのは15年7月のある政治集会。外務大臣の岸田氏はX氏と名刺交換をした上で外交や国際情勢に関して意見交換を行い、握手を交わして記念撮影もした。

 それから1年5カ月後、都内の政治集会で岸田氏と再会を果たしたX氏はILCの冊子を手渡して、この国際イベントの意義について熱弁を振るった。二人のやりとりを近くで見ていた人物は言う。

「XさんがILCの概要を説明している間、岸田さんも冊子をめくって目を通していました。ひと通り話が終わるとXさんは、“日本でもこのような国際的なイベントが開催できるように外務大臣としてお力添えをお願いします”と頭を下げた。すると、岸田さんも“そうですね”とうなずいて、一緒に冊子を手に写真撮影をしていました」

「知らなかった」で済ませられるのか

 ここで重要なポイントは、岸田首相がこのILCを「旧統一教会関連イベント」と認識していたかどうかだ。本誌は2月15日号で、林芳正(よしまさ)官房長官と盛山正仁(まさひと)文科相の、教団との関係を示す証拠の会合写真を掲載したが、両閣僚はともに「教団関係者とは知らなかった」と苦しい弁明をした。岸田首相も同じ弁明でやり過ごそうとするのだとしたら、果たしてそれは通るだろうか。なぜなら、写真撮影の前、岸田氏が手に取り目を通した冊子には「ILC SPONSORS」の筆頭にUPFが挙げられ、さらには「UPF Founders」として、旧統一教会の教祖・文鮮明氏と、その妻である“マザームーン”こと韓鶴子総裁のツーショット写真が大きく掲載され、二人の「お言葉」も紹介されていたからだ。

「旧統一教会系」であることが一目瞭然の冊子に目を通し“力添え”の要請に応諾。さらにILCの広報活動にも利用されるであろう写真撮影にまで応じる。ここまでの対応をしておきながら、「教団関係者とは知らなかった」で済ませることはできまい。

“お父さんより優秀”と信者同士で話していた

 では、なぜ岸田首相は、X氏が「旧統一教会関係者」であることは明らかなのに“陳情”に笑顔で応えたのか。その謎を解く鍵は、岸田首相の地元である広島県にあった。

 広島に「翔雄会」という岸田首相の後援組織がある。「政治一族・岸田家」を支える地元企業・団体から成る組織だ。実はその中に、旧統一教会関連団体「平和大使協議会」の幹部Q氏が名を連ねていた。

 Q氏とのつながりもあって、広島の旧統一教会信者たちは選挙のたび、岸田首相や自民党県連が推す候補者を応援し続けてきたという。このことを「岸田家としても把握していなかったはずはない」として現役信者が語る。

「今から10年以上前、まだ大学生だった翔太郎さんが翔雄会メンバーの企業・団体のあいさつ回りをする中で、教会施設も訪問して“父をよろしくお願いします”と私たちにあいさつにきてお話をしたことがあります。首相秘書官だった時は、首相公邸で宴会をしたとかたたかれていたけれど、好青年で有権者の気持ちもよく分かっている感じで、“お父さんよりも優秀だね”なんて信者同士で話をしていたのを覚えています」

「岸田家によっては“友好団体”のひとつ

 しかも旧統一教会信者による岸田家支援は、「翔雄会」がはじまりではない。文鮮明氏の提唱によって創設された国際勝共連合の機関紙「思想新聞」がそれを物語っている。1986年1月1日付の新年を祝うページで、ずらりと並んだ国会議員の「名刺広告」の中に「衆議院議員 岸田文武」の名もある。「岸田文武」とは文雄氏の実父。広島の古参自民党員はこう述べる。

「国際勝共連合は創設時から岸信介氏と協力関係にあり、自民党を支援。それに加えて、文武さんが初出馬した79年は勝共連合が『スパイ防止法制定促進国民会議』を立ち上げた年で、共産主義国の脅威を想定したスパイ防止法制定に賛同する自民党議員は、各地で統一教会の支援を受けていた。文武さんもそうで、その時代から特別に深い関係ではないにしても、岸田家にとっては“友好団体”のひとつだったといえるでしょうね」

「周囲が困惑するほど強引な説明で押し通そうとする」

 文武氏を起点とする「岸田3代」の半世紀におよぶ教団との“接点”。こうした経緯を踏まえれば、岸田首相が文鮮明氏と韓鶴子氏の写真が掲載された冊子を掲げ、拒絶することなく“無邪気”に笑顔で記念撮影に応じたのも合点がいく。

 岸田事務所に事実関係について尋ねたところ、

「9年前の日程を確認することはできませんでした。名刺交換や写真撮影などし、会話をしたとしても、旧統一教会と関係があったとはいえないと考えます」

 として、ILCの冊子を手に取った上で教団関係者と気付かなかったのかという問いには答えなかった。また、旧統一教会信者による選挙支援や翔太郎氏の行動についてはこう回答した。

「選挙の際の詳細については記録もないので確認できません」

 さらに、X、Q両氏に教団関連団体等を通じて取材を申し込んだが本誌の質問に答えることはなかった。宏池会関係者が重い口を開く。

「ギングリッチ氏らとの面会報道への対応が分かりやすい例ですが、岸田さんは旧統一教会に関する話になると、疚(やま)しいことでもあるのか、周囲が困惑するほど“強引な説明”で押し通そうとする傾向がある。その最たるものが、教団への解散命令請求を巡る対応です」

専門家は解散命令請求に疑義も

 23年10月13日、政府は旧統一教会への宗教法人法に基づく解散命令を東京地裁に請求したが、安倍晋三元首相銃撃事件を機に改めて沸き起こった教団に対する国民的な厳しい声とは裏腹に、法律や宗教の専門家からは請求について疑義を呈する声も上がっていた。解散命令請求の要件とされる「刑事罰」が旧統一教会には科せられておらず、元信者らとの間で起きた民事訴訟で不法行為が認定されているだけだったからだ。条文では「法令に違反」した法人が対象だとあるが、例えば、元宗教法人審議会委員の櫻井圀郎・元東京基督教大学教授はこう指摘している。

「旧統一教会の献金集めには問題があると思うが、民法の不法行為なのか、犯罪行為なのかの違いは大きい。(中略)教団と元信者との間の金銭的な問題に、所轄庁による請求として宗教法人の解散を求めることには疑問が残る」(23年10月13日付産経新聞大阪朝刊)

「解散命令請求を出したくないがために…」

 実は当初、政府も同様に判断していた。議論が進められていた22年10月14日には、「憲法の定める信教の自由の趣旨を踏まえれば、所轄庁の関与は抑制的であるべきで、請求は十分慎重に判断すべきだ」との閣議決定がなされ、18日には岸田首相も「民法の不法行為、これは(解散命令請求の要件に)入らないという解釈であります」と国会で答弁している。

 だが、その翌日に事態は動く。立憲民主党の小西洋之議員が国会で、「昨日と認識は変わらないのか」と追及すると、岸田首相は24時間前の答弁を撤回、急に「結論から申し上げますと、(要件に)民法も含まれるという判断であります」と言い出したのだ。この首相による「朝令暮改」の内幕を証言するのは、岸田首相に国会で質問をした当人の小西議員だ。

「岸田政権は、解散命令請求を行うには刑事罰を受けている宗教法人でなければダメだというスタンスを取っていました。しかし、東京高裁のオウム真理教に対する解散命令の決定文には、『刑法“等”に違反し、著しく公共の福祉を害する宗教法人が対象である』旨が記されています。ここに民法の不法行為が含まれるのは当然です。要は、岸田政権は旧統一教会への解散命令請求を出したくないがために、法解釈を捻じ曲げていたのです」

「法治国家で絶対にやってはいけないこと」

 小西議員が続ける。

「そこで、私が国会で質問する前日(22年10月18日)、首相秘書官の下の担当官に『政府はメチャクチャな法解釈を行っている。法解釈を改めないと“岸田首相は旧統一教会の守護神なのか”と追及しますよ。そう言われたくなければ、要件に民法の不法行為は含まれないという法解釈を撤回してください』と伝えました。すると、その日の夜に『撤回します』という連絡が担当官から来たんです」

 解散命令請求への道筋のひとつを作った格好の小西議員だが、その彼もこうあきれる。

「岸田首相は、自民党と深い関係にある旧統一教会への解散命令請求を出したくないという思いを持つ一方で、“旧統一教会の守護神”などと言われて政権が追い込まれるのを避けなければという焦燥も覚えていた。そこで岸田首相なりにそろばんをはじき、1日で法解釈をひっくり返して政権へのダメージを回避する選択をした。そこには、“それまでの内閣の法解釈を貫く”、あるいは“旧統一教会の問題を徹底的に解決する”、いずれの信念も存在しません。結局、岸田首相は風向きを見て政治的な態度を決めた。これは法治国家では絶対にやってはいけないことです。情けなさを感じます」

岸田首相の「動機」は?

 ここで問われているのは、解散命令請求を巡る是非ではない。請求が是ならば、その決断に至る岸田首相の「動機」は何だったのか、ということである。

「1日での豹変」について、岸田事務所はこのように回答した。

「18日は、過去の東京高裁決定の内容についてのお尋ねに対して、これまでの考え方を説明したものであり、19日には、関係省庁が協議する中にあって、宗教法人について解散命令請求を検討するに当たっては、個別の事案に応じて判断していくことを整理したものです」

 岸田首相にインタビューした経験のある政治ジャーナリストはこう分析する。

「岸田首相の性格を考えると、動機は“保身”の一言に尽きるでしょう。岸田首相が恐れたのは、解散命令請求を出さずにマスコミなどから総攻撃を受けることです。そこで自身に矛先が向かい、教団との“接点”が出たら完全にアウトだったでしょうからね」

自身の「延命」のため

 それを裏付けるかのような文化庁職員の声が報じられている。宗教法人審議会委員の中には、先に触れた閣議決定と同様に、解散命令請求に疑問を持つ人々がいた。そこで文化庁の担当者らは委員を個別訪問して説明した上で、審議会でこう訴えたという。

「(教団に何もしなければ)内閣が飛んでしまう」(23年10月13日付産経新聞)

 この言葉からは、解散命令請求が霊感商法の被害者のためでもなく、宗教2世のためでもなく、岸田首相自身の「延命」のためであったことが伝わってくる。

 これまで岸田首相は自らの延命の邪魔になるものを次々と「消去」してきた。裏金問題が発覚すると旧安倍派(清和会)の閣僚を次々と「追放」し、問題が旧岸田派(宏池会)にまで波及してきたと見るや派閥そのものを「解散」させ、自身に火の粉が及ばないようにした。そしていま、教団との“接点”という自らの過去を闇に葬り去ろうと……。

 岸田内閣の支持率は過去最低を更新し続けている。

「週刊新潮」2024年2月22日号 掲載