今年行われる「財政検証」

 老後を生活資金の不安なく過ごすための公的年金。少子高齢化が急速に進む中、現役世代はどの程度の年金を受け取ることができるのか――。

 その年金を巡って国会での論戦が始まっている。今年、2024年は厚生労働省が公的年金の給付水準について長期的な見通しを点検する「財政検証」が行われるからだ。

「財政検証とは少なくとも5年に一度実施される“年金の健康診断”です。かつては財政再計算と呼ばれ、年金財政のチェックが行われていましたが、2004年から『再計算』ではなく、財政検証というワードに変更されました。この検証をもとに来年度、年金制度改正が行われます」

 と語るのは、この4月に『ルポ年金官僚』(東洋経済新報社)を上梓した和田泰明氏。1975年生まれの和田氏は山陽新聞の記者を振り出しに週刊ポストを経て、05年から24年2月まで、週刊文春の記者として主に政界を取材してきた。

「週刊ポストに在籍していた02年は年金制度改正を控え、“年金ブーム前夜”といった様相で毎週のように特集記事が組まれていました。私もその取材班の一人として年金取材にどっぷりとつかりました。ところが、04年に年金改革法が成立するとブームがパタッとやみ、年金の記事は一気に少なくなってしまった。担当デスクからは『和田クンも別の食い扶持探した方がいいよ』と言われたりして、一記者ながら“全国民にとって大切な制度なのに、これでいいのか”とその後も取材を続け、いつか本にしようと思っていたんです」(和田氏、以下同)

国会でも物議

 日本で国民年金法が制定されたのは1959年のことだ。2年後に施行され、国民皆年金制度が確立された。本書は当時から現代に至るまで、年金に携わった厚生省、厚労省の官僚、つまり年金官僚や関わった政治家を取材し、制度の変遷を事細かに描いている。タイトルに「ルポ」と入っているものの、内容は「年金の65年史」といったところ。制度改定の度に、年金官僚と政治家、メディアとの間で壮絶な暗闘があったことが知られざるエピソードとともに紹介されている。

 その本書の出版と軌を一にするように再び年金問題が注目を浴びている。財政検証を巡る議論の中で、「国民年金保険料の納付期間を 5年延長する案」が取り沙汰されているのだ。

 まずは現行の年金制度について簡単に触れておこう。

 国民年金、厚生年金を含めた公的年金は2階建ての構造となっている。1階は20歳以上60歳未満のすべての人が加入する基礎年金。2階は会社員などが加入する厚生年金だ。支給開始年齢はいずれも65歳だが、60歳から75歳までの間でもらう時期を選ぶことができ、早めにもらう繰上げ受給の場合は年金額が減額され、繰下げ受給にすると、逆に増額される。

 今回の財政検証では、20歳からの40年となっている国民年金保険料の納付期間を5年延長した場合の影響を試算することになっている。そのことが国会でも物議を醸しており、立憲民主党の安住淳国対委員長は、「小泉政権下の年金改革で、『100年安心』の年金だから大丈夫だと言っていた。20年も経たないうちに見直しか」と批判を繰り広げた。

年金100年安心プラン

 100年安心――。年金が政治問題と化す発火点はこのパワーワードが原因となることが多い。「100年安心にもかかわらず、なぜ制度を見直さなければならないのか」というわけだ。

「実は『100年安心』という言葉を年金官僚が認めたことは一度もありません。もともとその言葉を作ったのは公明党なのです。2003年の総選挙を前に定めた同党のマニフェストで『年金100年安心プラン』という言葉が初めて盛り込まれました。100年先(正確には95年)の年金財政を均衡させるから100年安心、という見事なキャッチコピーでした。時の厚労大臣は公明党の坂口力氏。私は本書の取材で坂口氏にこの言葉を誰が考えたのか質すと、本人は否定していましたが、年金官僚は坂口氏が発案者であると考えています。結果的に、20年が過ぎた今もこの言葉に官僚たちは翻弄されている。まるで給付額や制度が100年先も変わらない、もしくは100歳まで年金は安心、と誤読させる『100年安心』という言葉は独り歩きし、制度改正の度に批判を浴びているのです」

 実際には、財政検証、またそれをもとに検討される制度改正や「マクロ経済スライド」などの仕組みを用いて、給付額を下げながら年金制度を維持していくというのが厚労省の方針だ。

 では、少子高齢化が急激に進む中、今回の納付期間延長案をはじめ、年金の大きな制度改正が今後行われるのだろうか。例えば、支給開始年齢の基準を現在の65歳からさらに後ろ倒しにして70歳にする、あるいは、現在の賦課方式(現役世代の保険料を受給者に仕送りする形)から積立方式(自身の年金受給の財源を現役時代に積み立てる形)への変更、などである。

 制度改正が行われれば当然、国民的関心事となる。

「年金制度に大きな改正は必要ない」

「年金の支給年齢を60歳から65歳に引き上げようという議論は1980年頃から出始めていました。しかし、実際には引き上げに反対の声が多く、年金史上最大の改正と称される1985年改正でも見送られ、結局、1994年に1階部分を、00年に2階部分の支給開始年齢を65歳に二段階に分けて引き上げることを決めました 。選挙で高齢者からの票を得たい政治家を相手にするのですから、制度変更には官僚側にとてつもないパワーが必要なのです」

 積立方式への変更はどうか。

「積立方式の年金改革が持論の河野太郎デジタル担当大臣が21年に自民党総裁選に出馬した際、その年金改革案は猛批判を浴びました。賦課方式から積立方式に移行するには、今まで賦課方式で支払ってきた保険料は一体どうするのか、という負担の問題が発生します。ですから安易に改正できないのです」

 現在の年金官僚は「今後、年金制度に大きな改正は必要ない」という立場だという。

「すでに引退して年齢を重ねた官僚、例えば故・古川貞二郎元官房副長官は、私の取材に『支給開始年齢の引き上げ議論を避けてはいけない』と語っていました。かたや、今の官僚には、混乱を避けたいという思いが強く、政治的パワーもありません。現行制度の中で、“いかに繰下げ受給にメリットがあるか”をアピールしていくことが先決だと考えています」

金融商品ではなく保険

 その年金官僚の本音は、

「“年金だけに頼らないでほしい”ということでしょう。彼らは年金が損得に関わる金融商品ではなく、リスクに備えるための保険だと考えてほしいのです。すると、国民年金だと満額でも月額6万円超しかもらえませんから、自身の貯えから資産運用もして、老後資金を確保すべきだということになる。しかし、19年に金融庁が老後30年で約2000万円が不足するという報告書を公表し、『老後2000万円問題』として大炎上しました。そうした経緯もあり、年金官僚は本音を声高に叫べないのです」

 人口減少が進む中、年金を本当に受け取れるのか、不安は募るばかり。年金制度の変遷を見れば、公的年金だけを頼りにしないというのが良い選択と言えそうだ。

デイリー新潮編集部