新型コロナと緊急事態条項の議論は別にすべきである理由 石破茂の異論正論(6)

 3回目の緊急事態宣言が不発に終わりつつある今、より強く私権を制限できるような法整備、憲法改正などの必要性を唱える声も上がっている。石破茂元自民党幹事長は、従来から緊急事態条項を盛り込んだ憲法改正の必要性を唱えてきた政治家の一人である。

 が、一方で、今回のコロナ禍と緊急事態条項とを結びつけることには異論があるという。

 石破茂の「異論正論」第6回のテーマは「私権の制限」である。

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「日本は私権の制限に極めて慎重なので、新型コロナ対策といっても限界がある」

「欧米ほど私権の制限ができない日本で、これほどまでに国民が自粛しているからこそ感染拡大を抑えることができている。日本の民度の高さは素晴らしい」

「非常事態にはもっと私権の制限ができるようにしなくてはならない。次にもっと恐ろしい病気が現れたときにどうするのか」

 この1年余り、「私権の制限」という問題についてさまざまな意見を耳にしました。

 なかには今回の新型コロナ禍を受けて、緊急事態条項を盛り込んだ憲法改正をすべきだといった意見を述べる方もいたようです。

 私は今までもずっと、憲法改正は我が国の将来のために絶対に必要だと訴えてきましたし、国家の独立が脅かされるような事態には、その範囲と期間を厳密に区切ったうえで、一時的に行政権を強化する、いわゆる緊急事態条項を憲法に盛り込むことも必須だ、と主張してきました。

 ただし、今回の新型コロナ禍を受けて、というのは、いささか無理がある。そう考えています。

 なぜか。以下、緊急事態条項や私権の制限についての私の基本的な考え方をまとめてみます。

 たしかに新型コロナ対策において、日本政府の対応は、諸外国とは違う点がかなりあったように感じます。

 地方であれ中央であれ、行政府から出されるのは基本的に「お願い」ベースの要請です。「営業停止」「外出禁止」等、強制力を持った政策は、現状では出せないからです。

 現在の「お願い」よりも厳しい行動制限を求めるとなると、法的根拠が必要になります。行政の行うことには、すべて法律上の根拠が必要であり、すべての法律は憲法に合致している必要があります。

 そこでまずは根拠を現行の日本国憲法に見出すことができるのかを考えてみましょう。

 より大きな、公的な目的のために、個人の財産権を制限することは、現行憲法でも予定されています。もし感染拡大を防止するために「営業停止」といった措置を講じるべきだ、という議論になった場合には、この憲法第29条を根拠とすることになると思われます。

「財産権は、これを侵してはならない。

2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」

 この第29条第3項を根拠とすれば、正当な補償を前提として、個人の財産権を一定程度制限することも可能です。

 感染対策を理由に飲食店などの営業停止を強制するとすれば、営業する権利を財産権の一種であると考え、正当な補償とセットにすればいい、ということになります。

 ただし、ここで生じる新たな問題は、「正当な補償」とは何か、ということです。学説上もさまざまな見方があります。

 道路などの社会資本を整備する場合に私有の土地を収用することがありますが、この場合には一般的には路線価など公的に定められた土地の価格を基準とします。しかし営業停止に対する「正当な補償」となると、前年の売り上げなのか、利益なのか、あるいは固定経費を補填すべきなのか、いろいろな考え方がありえます。

 この第29条第2項にある「公共の福祉」については、第12条にこんな規定もあります。

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」

 ですから、現在の憲法であっても「公共の福祉」のために「正当な補償」を前提として私権を制限することは可能なのです。

 しかし、実際には憲法における財産権は、これを具体化する民法においてかなり強く保障されており、だからこそ現時点では「強制」や「命令」に踏み込んだ措置は立法化されていないのです。

 私権の制限を行うにあたって、「緊急事態条項を憲法に盛り込むべきだ」というのは一つの考え方でしょう。

 では緊急事態について考えてみます。ただし、ここで言う「緊急事態」とは、昨年来の「緊急事態宣言」のそれとは異なります。国の独立そのものが脅かされるような事態、つまり「有事」のことです。

 緊急事態に際して、政府が平時よりも強い権限を行使できるという条項は、世界の多くの国で憲法などに明記されています。

 私は長年、憲法に緊急事態条項も軍隊も記されていないことは大きな問題であると訴えてきました。もう多くの方がお忘れだと思いますが、2018年の総裁選においても、緊急事態条項の創設の重要性を訴えました。

 この考え方には強い反発をする方が多くいるのも事実です。私権の制限につながること、政府に一時的にせよ大きな権限を与えること、などの危険性を懸念し、弁護士会や学者の方々、多くの野党に根強い反対論があります。

 こうしたこともあって、緊急事態条項についての議論は進んできませんでした。日本では私のような主張をする者は、ともすれば危険思想の持ち主のように扱われてきたのです。

 前述の通り、日本は緊急事態についても軍についても憲法に明確な条文はありません。

 これは当たり前のことで、現行憲法が連合国の占領下において作られたものだからです。そしてその前提として新しい国際連合の下で「国連軍」が組織される、だからもし日本が突然悪い国から攻められても、天変地異が起こって緊急事態になっても、「国連軍」が代わって対処してくれる、ということでした。その後、国連憲章にある「国連軍」は一度も組織されたことがないけれど、これと密接な関係にあったはずの日本国憲法は、そのまま変えずに今日まで来てしまいました。そして緊急事態に備えよ、私権の制限も考えよ、といった問題提起をするだけで危険人物のように言われてきました。

 しかし、そもそも三権分立や、財産権の不可侵といった憲法上の「原則」を曲げてまで守らなければいけないものとはなんなのでしょうか。

 それは「国の独立」に他ならないと私は確信しています。では、「国の独立」とはどういうことか。

 実はこのことも憲法には明記されていません。

 小学校から大学まで、憲法の基本的原理である「国民主権」については教わりますが、「国家主権」や「国の独立」については全くといってよいほどに教わらないのではないでしょうか。私自身も、教えてもらった覚えがありません。

 日本国憲法制定時に占領下にあった日本は独立もしておらず国家主権も回復していなかったのですから、憲法に国の独立や国家主権、そしてそれを守る軍隊(自衛隊)や緊急時(有事)を想定した記述が無いのは、極めて当然のこととも言えます。

 しかし、そのような状態を放置していいわけがない。これが、自民党が結党より憲法改正を党是として掲げてきた理由でもあります。

 こうした議論の際に、「国なんかよりも国民が大事だ」と言う方がいますが、これはあまりにも短絡的な物の見方と言えるでしょう。

 この場合の国とはどういう存在か。

 国民の思想・信条の自由、表現の自由など、ありとあらゆる権利が不正な国外勢力によって侵されそうになった時に、侵害者に対して「そんなことは許さない」と立ちはだかる存在である、と私は考えています。

 仮にそのような振る舞いをする勢力が現れたら、その総力を挙げて国民の権利を守る、それが国家の役割だということです。

 日本は国家として独立を果たしたのですから、日本の自由や権利を守る主体は、アメリカではありません。日本国です。

 その独立が侵されそうになった時には、民主主義的な手続きに時間をかけるいとまがありません。だから一時的に行政権を拡大して、速やかに事態の収拾ができるようにして、ことが終わったら直ちにもとの憲法秩序に戻す、そういう手続きをあらかじめ定めておかなければならないのです。

 逆に言えば、行政権の拡大というのはそういう究極の局面でのみ許される、ということを厳格に定めなければなりません。目的と時期を限局し、事態の収拾後は直ちに解除する。そうしなければ、今度は行政権が暴走しかねないからです。

 新型コロナ禍において、このような緊急事態条項や私権の制限といったテーマについて考える機運が高まったこと自体は、悪いことではありません。

 ただ一方で、この新型コロナウイルスのパンデミックが、これまで述べたような「緊急事態」にあたるかといえば、そうではないことはもうご理解いただけるのではないでしょうか。

 日本とは全く違う価値観を持った国外の勢力に侵略されて、日本国の憲法秩序が破壊され、基本的人権の尊重をはじめとする国民の自由と権利が根底から脅かされる場合――それが本来の緊急事態です。そして、このような事態に対する備えは平時にこそ行わなければなりません。

 冷静に議論できる平時の環境で、時期を限定した権力の集中の仕組みについて、その開始、と停止、それぞれの要件と緊急的な国会の関与について、事前に規定しておくことが絶対に必要です。

 これと比較すれば、いまは確かに一種の危機ではありますが、憲法秩序が破壊されるような状況とは言えません。

 きわめて重要な問題だけに、本質的な議論を進めることが望ましいと考えています。

2021年5月12日 掲載