9月18日、日本記者クラブの主催で、自民党総裁選の候補者による討論会が開かれた。様々なメディアが4候補の論戦を伝えた。

 ***

 時事通信は同日、「河野・岸田氏、日朝首脳会談に前向き 高市氏ら台湾有事に言及 自民総裁選」の記事を配信した。

 中国が台湾への圧力を強めている。この問題に高市早苗・前総務相(60)は「台湾有事の可能性は高いと考えて備えをしなければならない」と討論会で発言したと伝えた記事だった。

 ネット上で高市氏の人気は高い。メディアも注目している。主な記事を3本、タイトルだけご紹介しよう。全て電子版だ。

▽「総裁選、『高市氏の言葉』にネット民が熱狂する訳」(東洋経済ONLINE:9月15日)

▽「ネット検索は『高市早苗』が先行? 立候補予定者の『派閥』『家系図』にも高い関心」(読売新聞:9月16日)

▽「総裁選出馬の高市早苗氏のネット人気が急上昇 『軍師』には安倍前首相、櫻井よしこ氏も」(AERA dot:9月17日)

 政治担当記者は、「高市さんは8月に『週刊文春』で総裁選に立候補する意向を発表し、9月8日に出馬会見を開きました」と解説する。

「当初は、20人の推薦人を集められるか疑問視する声もあり、ご本人もそれを認めていた時期がありました。ところが、菅義偉首相(72)が9月3日に退陣を表明すると、翌4日に安倍晋三・前首相(66)が高市さんを支持すると、新聞社などが報じたのです」

安倍前首相の“スピード”

 安倍氏の支持表明に、大きな注目が集まった。4日に通信社や新聞社は、速報に近い記事を配信した。こちらも見出しだけをご紹介しておく。

▽「ポスト菅の争い始動、自民総裁選 安倍前首相は高市氏支持」(共同通信)

▽「自民総裁選、動き本格化へ 安倍氏、高市氏を支援−岸田氏『党員に発信』」(時事通信)

▽「自民総裁選 安倍氏は高市氏を支持」(産経新聞)

 現在の高市氏は無派閥だが、1996年に新進党を離党して自民党に入党した際には、当時の森派(註:清和政策研究会、現在は通称「細田派」)に所属した。

「安倍さんも同じ派閥ですから、2人は旧知の間柄なのです。また国家観など政治スタンスが近いことも間違いありません。とはいえ、菅さんが総裁選の不出馬を表明したばかりなのに、安倍さんはいち早く高市さん支持を表明した。このスピードには、永田町では『ずいぶん早いね』という声が上がっていました」(同・記者)

 安倍前首相は16日、Twitterでも高市氏支持を表明した。どうしてこれほど熱心に支持するのか、その理由を安倍首相に近い自民党議員が明かす。

93年の高市vs.野田

「高市さんと言えば、安倍さんというより、森喜朗元首相(84)に可愛がられていたことで有名です。森さんからすれば、高市さんは可愛い“弟子”。彼女が一世一代の大勝負に出たわけですから、“師”が応援しないはずがない。安倍さんがいち早く高市支持を表明したのは、森さんから頼まれたのではないかと言われています」

 高市氏が衆院選で旧奈良県全県区から無所属で出馬し、初当選を果たしたのは1993年7月。3か月後の10月、高市氏は朝日新聞のインタビューに応じ、大阪版で記事が掲載された(註:末尾参照)。

 高市氏は選挙区で「森喜朗の妾」という怪文書がばらまかれたことや、高校の同級生から「政治家の愛人をしているの?」と真顔で質問されたことなどを、率直に語っている。

 それから5年後、98年に日刊スポーツの名物コラム「政界地獄耳」に、「野田聖子郵政相に息巻く通産政務次官・高市早苗」が掲載された。

 当時の首相は故・小渕恵三氏(1937〜2000)。小渕内閣で野田聖子・幹事長代行(61)が郵政相に抜擢されたことを、高市氏が「党への貢献度は私の方が上」と怒っているという内容だった。

勝手補佐官

 記事では、高市氏を《幹事長・森喜朗の側近》とし、《「森内閣ができたら目玉大臣にするから」と、なだめている》と結んだ。

 森内閣は2000年に誕生したが、高市氏が目玉大臣になることはなかった。しかし、「勝手補佐官」で脚光を浴びる。

 高市氏は公式サイトにコラムを掲載しているが、2000年8月に「勝手補佐官誕生」の記事を配信した。

 勝手補佐官とは何なのか。それを説明するためには、当時の政治状況を振り返る必要があるだろう。

 当時の森首相は2020年5月に、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国」と、いわゆる神の国発言を行い、野党を中心に政教分離の原則に反すると批判が高まった。

 6月に野党から内閣不信任決議案が提出されると、森内閣は衆院解散を決定。総選挙が行われた。

 森首相の「無党派層は寝てくれればいい」という発言も問題視され、自民党は解散前の271から233へと議席を減らし、単独過半数を割り込んだ。公明党と保守党との連立で、辛うじて過半数を維持した。

 総選挙が終わると、特別国会で首班指名が行われ、森首相が選出された。第2次森内閣が発足したわけだが、ここで高市氏のコラムから引用させていただこう。

鉄板焼きの4人

《ところが、その夜のニュース番組を見ていると、自民党の若手議員が「森内閣ではダメだ」「森さんには交替してもらうべきだ」と発言しているではありませんか》

《翌日の自民党代議士会で私は発言を求めました。「私たち代議士にとって、首班指名の一票は何より重いものだと思います》

《「投票用紙に自分で『森喜朗』と記入した直後に総理の不適格性を指摘するのは国民に対して無責任だと思います」、「森総理に失政があれば、それも選んだ私達の責任であるから、批判するより全力で支えるべきだと思うこと」などを、皆に訴えました》

 すると、当時の安倍官房副長官から電話があり、《森総理が鉄板焼きをおごって下さる》と連絡があったという。

 駆け付けたのは、下村博文・党政調会長(67)、世耕弘成・党参院幹事長(58)、当時は参議院議員だった山本一太・群馬県知事(63)、そして高市氏の4人だったという。

《私も含めた4人で「勝手に総理を補佐する」ことを決め、総理にお伺いを立てました。「私達これから『勝手補佐官』と名乗らせていただきます。そして官邸の外から勝手にサポートさせていただきます。勝手補佐官の名刺もバッジも作って本格的に活動を開始しますが、よろしゅうございますね?」》

「高市さんは総理」

《酔っぱらって上機嫌の総理が「変な奴らだなあ。まあとにかく頼むよ」と我々のアホな企画に乗って下さったので、この夜めでたく「勝手補佐官」がオーソライズされたのであります》

 だが、森内閣の支持率は低下を続ける。特に2001年2月10日、ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高校の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、教師と生徒の9名が死亡するという事故が発生した。

 この際、森首相はゴルフ場におり、事故の報告を受けても、約1時間半の間、プレーを続けた。これが世論の強い反発を呼んだ。

 森内閣は4月26日、低支持率などを理由に内閣総辞職を行った。だが、森氏と高市氏の“師弟関係”が消滅することはなかったようだ。

 毎日新聞の奈良県版は2006年4月、「自民党:森前首相迎え、2区集会――奈良」の記事を掲載した。

「自民県第二選挙区支部の新たな出発を応援する会」が奈良市のホテルで開かれ、05年の衆院選で鞍替え当選した高市氏が「若輩ですが力を合わせて頑張ります。末永くご指導を」と挨拶した。

 この会には森氏が招かれ、「高市さんは、総理になる見識を持った女性政治家」と持ち上げてみせた。

五輪でも師弟関係

 06年9月には第1次安倍内閣が発足。高市氏は「沖縄及び北方対策、科学技術政策、少子化・男女共同参画、食品安全、イノベーション」の特命担当大臣として初入閣を果たした。

「2020年4月、東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長だった森さんは、聖火を全国各地で展示する案があることを明かしました。当時、総務相だった高市さんが、『地方創生の一つの事業として何かできないか。総務省として考えたい』と提案されたと説明したのです。未だに2人の“師弟関係”が継続していたことが分かりました」(前出の記者)

註:高市早苗さん:1 代議士(元気人間・猛烈健康日録) 【大阪】(朝日新聞大阪夕刊・1993年10月13日)

デイリー新潮取材班

2021年9月26日 掲載