「ロシアが負けることは、まず考えられない」──これが、かつて日本のトップだった人物の発言だ。森喜朗・元首相(85)は1月25日、日印協会の創立120周年記念レセプションであいさつし、ウクライナへの侵略を続けるロシアを擁護した。
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多くのメディアが森発言を伝えたが、この稿では朝日新聞デジタルの記事(註1)から引用させていただく。
《せっかく(これまでロシアと良好な関係を)積み立ててここまできているのに、こんなにウクライナに力入れちゃっていいのかな。ロシアが負けるってことはまず考えられない》
森氏がロシア寄りの発言をしたのは、これが初めてではない。2022年11月、鈴木宗男参院議員(74)のパーティーであいさつし、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領(45)を批判した。
《ロシアのプーチン大統領だけが批判され、ゼレンスキー氏は全く何も叱られないのは、どういうことか。ゼレンスキー氏は、多くのウクライナの人たちを苦しめている》(註2)
さらに森氏は、《戦争には勝ちか、負けかのどちらかがある。このままやっていけば(ロシアが)核を使うことになるかもしれない。プーチン氏にもメンツがある》と“警告”まで発したのだ。
まるでウラジーミル・プーチン大統領(70)の代理人といった趣だが、森氏は親子2代にわたる親ロ派として知られている。
プーチンとの親交
森氏の父親である森茂喜氏(1910〜1989)は石川県根上町(現・能美市)の町議と町長を務め、ロシアとの文化交流に力を入れた。担当記者が言う。
「茂喜さんが町長だった1976年、根上町はイルクーツク州シェレホフ市と姉妹都市になりました。茂喜さんは友好親善に力を注ぎ、死後、遺骨の一部を同市に送るよう遺言で指示したほどです。実際、現地には、茂喜さんのお墓が作られました」
2000年4月、森氏は首相に就任すると初の外遊先にロシアを選び、プーチン大統領と会談を行った。
「翌年3月にはイルクーツクで日ロ首脳会談が行われ、イルクーツク声明が出されました。北方領土の返還に向け交渉を促進させることに同意したのです。このときシュレホフ市にある茂喜さんのお墓をプーチン大統領と訪れたことも話題になりました」(同・記者)
冒頭の森氏の発言を報じた時事通信は、記事の中で《森氏は首相在任中から北方領土問題に取り組み、ロシアのプーチン大統領との良好な関係で知られる》と解説した(註3)。
ご本人としては信念に基づく発言だったのかもしれないが、当然ながら有権者の反応は厳しかった。
森喜朗の蜃気楼
Twitterでは《老兵は消え去るのみ》、《ロシアの侵略戦争は、言い訳のできない惨虐な戦争犯罪は明白》、《ウクライナ民間人に思いを馳せたことはあるんだろうか》──という具合だ(註:いずれも原文ママ)。
防衛大学名誉教授の佐瀬昌盛氏は、東京大学大学院で国際関係論を学び、ドイツの国立ベルリン自由大学に留学するなど、東西冷戦研究の第一人者として知られる。
1974年から2000年まで防衛大学校の教授を務め、2007年には集団的自衛権に関する憲法の見直しを検討すべく、当時首相だった安倍晋三氏(1954〜2022)の私的諮問機関(註4)の有識者委員も務めた。
佐瀨氏は「森喜朗さんのお名前は『もり・よしろう』と読みますが、一部のメディアなどでは『しんきろう』と呼ばれています」と言う。
「ウクライナ戦争を巡る国際情勢を鑑みれば、森さんの『ロシアは負けない』との発言は非現実的であり、まさに“蜃気楼”を見ているかのようです。多くの国民が『どうしてそこまでプーチンに肩入れするのか?』と疑問に思っているでしょうし、私も同じ思いです」
ドイツの大転換
首相だった森氏は失言や問題発言が多く、政権は約1年しか保たなかった。
「森首相の唯一とも言える成果がイルクーツク声明でした。森さんは当時の記憶が忘れられないのかもしれません。とはいえ、プーチン氏は元KGBの職員。諜報活動のプロであり、利用価値のある人を籠絡することなど朝飯前です。森さんは今でも、プーチン氏の罠に引っかかっているのではないでしょうか」(同・佐瀨氏)
森氏は記念レセプションのあいさつで、《日本がやっぱり大事な役割をしなきゃならん》とも訴えた。
では、もし森氏の助言に従ったら、どんなことが起きるのだろうか。例えば、日本がNATO(北大西洋条約機構)加盟国と距離を置き、ロシアとのパイプを構築するという“独自外交”を行ったら、どんな結果が待っているのか──?
「日本外交は世界の笑いものになるでしょう。ここで思い出すべきは、ドイツがウクライナに戦車『レオパルト2』の供与を決めたことです。日本はヨーロッパから離れているので仕方がないところがありますが、これが世界史レベルの、ドイツ外交政策における大転換であることは、あまり日本では解説されていないようです」(同・佐瀨氏)
移住のススメ
AFP=時事は1月25日、「ドイツ、ウクライナへのレオパルト戦車供与を承認」の記事を配信し、YAHOO!ニュースのトピックスに転載された。
「ナチスの悪行を十字架として背負い、“力の政治”を封じることが、戦後ドイツ政治の根本方針でした。ドイツには、第二次世界大戦での対ソ戦という負い目もあります。長く融和的な外交姿勢を続けてきましたが、戦車の供与を決めました。理由はアメリカ、イギリス、フランスを初めとするNATO加盟国がドイツに圧力を掛けたからです。こうした国際政治の現状を森さんがご存知だったら、あんな発言はできなかったでしょう」(同・佐瀨氏)
NATO加盟国は一致団結してロシアに立ち向かっている。ドイツでさえ“NATO協調路線”を選ばざるを得なかった。まして日本が“独自外交”を展開できる余地などないし、何より必要性も乏しい。
「ヨーロッパで暮らすと国際政治の現実を肌で感じることができます。アメリカの巨大な国際政治力も日本で感じるより鮮明です。森さんも、例えばポーランドの首都ワルシャワに1カ月でいいからお暮らしになってはどうでしょうか。ロシアやNATO加盟国の実像が見えてくると思います」(同・佐瀨氏)
註1:「こんなにウクライナに力を入れていいのか」自民・森喜朗元首相(朝日新聞デジタル:1月25日)
註2:森氏、ゼレンスキー氏を批判 「ウクライナ人、苦しめている」 鈴木宗男氏パーティーで(毎日新聞:2022年11月19日)
註3:森元首相「ロシア敗北考えられず」 ウクライナ支援を疑問視(時事通信・1月25日)
註4:安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会
デイリー新潮編集部