《岸田総理は政治家に高額な手土産を配って、国民には恒久な増税を強いる》(註:原文ママ)──ネット上には、こんな痛烈な批判も投稿された。週刊新潮は2月2日号に、「親バカ子バカ! 『岸田総理』あの『長男秘書官』が外遊で観光三昧」の特集記事を掲載した。
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岸田文雄首相(65)の長男、翔太郎氏(32)は首相秘書官を務めている。ところが1月9日から行われた首相の欧米5カ国訪問の際、様々な“問題行動”を起こしていたという記事だ。担当記者が言う。
「記事では、公用車でパリやロンドンを観光していたことや、カナダでジャスティン・トルドー首相(51)に記念撮影を申し込み、周囲を呆れさせたことなどを報じました。外務省は1月30日、『観光動機による行動は一切ない』などと反論しました」
翔太郎氏は1991年広島生まれの32歳。地元の名門・修道中学・高校から慶應義塾大学に進み、卒業後は三井物産に就職したエリートだ。6年間勤務した後、2020年に岸田事務所で公設第二秘書となった。
そもそも昨年10月、翔太郎氏が首相秘書官に“抜擢”された時点で、少なからぬ有権者が「身内びいきでは?」と疑問視した。なにしろ、何の実績もないのだ。
親の七光りというイメージが強い首相秘書官が、父親の外遊を利用して脳天気な日々を過ごしていた。有権者の批判が集中するのも当然だ。
週刊新潮の報道について、30日の衆議院予算委員会で立憲民主党の山井和則氏(61)が質問を行った。YAHOO!ニュースのトピックスに転載された関連記事を紹介しよう。
土産物の購入は公務
◆【速報】岸田総理、翔太郎氏の観光報道に事実関係明言せず 今後は「緊張感持って」(TBS NEWS DIG:1月30日)
◆首相、全閣僚に土産購入 「長男秘書官の公務」(共同通信:1月31日)
「山井氏は岸田首相に、翔太郎氏の行動は観光だったのか、事実関係の説明を求めました。しかし首相は『肯定も否定もしないということだと認識をしております』と明言を避けたのです。一方、翔太郎氏がロンドンの老舗百貨店『ハロッズ』を訪れたことなどは、『首相の政治家としての土産購入が目的の一つ』と釈明しました」(同・記者)
ちなみに翌31日の衆議院予算委員会では、土産を「全閣僚に買ったと承知している」と説明、土産を購入することも秘書官の「公務だと思う」との認識を示した。また一部のメディアが土産物はアルマーニのネクタイだとも報じた。
30日の予算委に戻ると、岸田首相は息子の行動について「緊張感を持って行動を考えていかなければならない。改めて徹底させたい」とも発言した。
とはいえ、父親のために土産物を買うという時点で、緊張感は全く感じられない。かつて首相秘書官を経験した人物は、週刊新潮の取材に「自分は現地で業務に追われ、とても観光に行く暇などなかった」と答えている(註)。
岸田家の家業は政治
岸田首相も翔太郎氏も、共に緊張感が欠如していたのだとすれば、《改めて徹底》させても無意味だろう。なぜなら、まずは緊張することから始めなければならないからだ。
山井氏は「大臣へ向けた土産購入ではなく、国民へ向けた仕事をさせるべきだ」と皮肉交じりにアドバイスしたが、同感という有権者は多いに違いない。
「岸田首相や翔太郎さんに緊張感が欠けているのは、岸田家が3代にわたって続く政治家一家ということも大きいのではないでしょうか。政治が家業同然になっており、地元の有権者は黙っていても票を入れてくれます。選挙で落選する心配がないことが、批判に対する感度の鈍さの理由でしょう」(同・記者)
広島県西志和村(現・東広島市志和町)に生まれた岸田正記(1895〜1961)は、岸田首相にとっては祖父にあたる。
正記は京都帝国大学法学部に進み、在学中に高等文官試験(現・国家公務員採用総合職試験)に合格した。筋金入りの秀才という印象だが、官僚の世界には進まなかった。
家業の不動産業を継ぎ、地元の広島でデパート経営に乗り出す。旧満州でもデパートや不動産会社を経営していた。
2年間の浪人生活
そして1928(昭和3)年に衆議院議員選挙に出馬して初当選。以後、6期連続当選を果たした。
「戦時中に海軍政務次官など内閣の要職を歴任したため、戦後は公職追放となりました。サンフランシスコ平和条約が発効され公職追放が解除されると、1952年の総選挙に立候補し当選しましたが、1期で引退しています」(同・記者)
岸田文武(1926〜1992)は戦時中、東京帝国大学法学部に進み、父と同じく在学中に高等文官試験に合格。1949年、商工省(現・経済産業省)に入省し、資源エネルギー庁公益事業部長、貿易局長、中小企業庁長官などを歴任した。
「1979年の総選挙で初当選し、総務政務次官や文部政務次官などを経て、1988年から自民党の経理局長を務めました。入閣を果たしたことは一度もありませんでしたが、いわゆる“縁の下の力持ち”として自民党や政権を支えました」(同・記者)
そして1957年に、岸田首相が生まれた。父親の方針で広島ではなく東京で育てられた。
開成高校を卒業し、東京大学を目指して2年間の浪人生活を経験。最終的には早稲田大学法学部に進んだ。
当選後は苦難の日々!?
早大卒業後は日本長期信用銀行に入行し、1987年に退行。衆議院議員だった父親の秘書となった。
「岸田家の歴史を振り返ると、岸田首相は30代で父親の秘書を務め、同じことを翔太郎さんにもさせていることが分かります。ただ、岸田首相は父親の秘書でしたが、翔太郎さんは特別職国家公務員である公設第二秘書から国家公務員である首相秘書官に“ステップアップ”してしまいました。当然ながら、有権者の見る目は厳しいものになります。それが今回、多くの批判を集めている理由でしょう」(同・記者)
岸田首相が旧広島1区から出馬し、初当選を果たしたのは1993年の総選挙だった。
「同じように翔太郎さんも、いつか父親の後継者として立候補するわけです。何しろ“政治は家業”ですから、難なく当選するのでしょう。しかし、当選したからといってバラ色の議員人生が待ち構えているはずもありません。秘書官の時とは比べものにならないほど有権者は翔太郎さんの行動をチェックするはずです」(同・記者)
現職の衆議院議員で政治家一家の4代目といえば、元環境大臣の小泉進次郎氏(41)がいる。翔太郎氏の未来を占う上で、小泉氏の“政治家人生”は参考になるという。
“雑巾がけ”の日々
「全身に入れ墨を入れていたことで知られる又次郎(1865〜1951)、防衛庁長官を務めた純也(1904〜1969)、首相を務めた純一郎(81)、その地盤を受け継いだ進次郎氏は小泉家としては4代目の国会議員です。当初は“自民党の若きホープ”として高い人気を誇っていましたが、失言などが相次ぎ、かつてほどの勢いはありません。今は国対副委員長で、いわば“雑巾がけからやり直している”状態です」(同・記者)
進次郎氏のケースを見れば明らかなように、有権者の目は厳しい。正直言って、国会議員を目指すのは諦めたほうがいいだろう。
註:岸田総理の長男・翔太郎氏が父の外遊先パリ、ロンドンで“観光三昧” 異例の親バカに元首相秘書官は「観光に行く暇などない」と一喝(デイリー新潮:1月31日)
デイリー新潮編集部