2月5日(日)に投開票が行われた、北九州市長選。戦いを制し、見事、政令指定都市の首長の座を射止めたのは、無所属で出馬した武内和久氏(51)だった。一方、自民党、公明党、立憲民主党、国民民主党の4党から推薦を受け、大本命とされた津森洋介氏(47)は、まさかの落選。4月に迫る統一地方選を占う前哨戦で起きた大番狂わせは、いかにして生まれたのか――。

広がらない支援の輪

 自民党関係者が嘆く。

「告示直後の調査では、津森7に対して武内氏が3という圧倒的な差で津森がリードしており、“楽勝”というのが我々も含めて大筋の見方だったんです。ところが、当開票日1週間前の調査では、ほとんど僅差になっていて、一転して“これはもしかしたら、津森氏が負けるかもしれない”というムードが流れました」

 迫り来る武内氏を振り切るべく、引き締めを図ったものの、

「応援を約束してくれている人に改めて電話でお願いすると、それは承諾してくれるのですが……、その人から、さらに新しい人を紹介してもらって、飛び込みで支援をお願いするといった“新規営業”を試そうとすると、“それはちょっと”と断られることが多々ありましたね。結局は、元々踏み固めていたところをさらに確実にすることしかできなかった」

 支援の輪が広がりにくかった背景については、

「今回の選挙では、北九州市長を4期16年務めた北橋健治前市長が津森氏を全面的にバックアップしたのですが、皮肉にもこれが仇になったという見方が強いです。というのも、“この16年で北九州市の経済は落ち込んでしまった”と考える自民党支持者も少なくない。いくら自民党が推薦しているとはいえ、その北橋氏の後継者である津森氏を、素直に応援できない、というわけです」

水面下で分裂

 かくして蓋を開けてみれば、無所属の武内氏が、与野党4党相乗りの本命候補・津森氏を1万4000票差で破る、大番狂わせとなったというわけだ。

 もっとも、この波乱は、“起こるべくして起こった”と見る向きもある。政治部デスクが言う。

「昨年12月、自民党が津森氏に推薦を出すと決定した際、副総裁である麻生太郎氏が、津森氏への推薦を決定する書類へのサインを断った。麻生氏は、2019年に行われた福岡県知事選挙の際、立候補した武内氏を応援した過去があり、今回の選挙では、武内氏も津森氏も応援しない、そういう立場を取ったのです。この態度に、麻生氏に近い地元市議や県議は敏感に反応。表では津森氏を応援しつつも、裏で武内氏も支える、そんな動きが水面下で起きていた。事実上の分裂だったのです」

 さらに、告示直前には、こんなことも。

「福岡選出の衆院議員の武田良太元総務相が、菅元総理に声をかけ、津森氏のために北九州入りを頼み、菅氏もこれを快諾したものの、直前でキャンセルに。というのも、この選挙を仕切る自民党福岡県連と武田氏の仲が険悪で、武田氏が、菅氏と一緒に演説をするのを県連が拒み、それに武田氏が激高 。結果、菅氏の応援自体が飛ぶことになったのです。それにしても、総理経験者、そして大臣経験者の応援を断るなんて、他の選挙では絶対あり得ないでしょう」

次の衆院選で……

 推薦を出した自民党内部が、そもそもまとまっていなかったというわけだが、

「結果的に武田氏と菅氏は、この選挙に下手に関わらずに済んだわけで、二人とも今はほっとしていると思いますよ。そして何より、今回の選挙で笑いが止まらないのは、他ならぬ麻生氏でしょう。自らの選挙区のすぐ近くにある北九州市に、武内氏という楔を打ち込むことができたわけですから」

 打ち込まれた“楔”が、今後どのように作用するかといえば、

「まず考えられるのは、次の衆院選への影響でしょうね。実は北九州市が選挙区となっている福岡9区、10区には現在、自民党の議員がおらず、次回の選挙では確実に候補者を選定しなければならない。そして新たな候補者選びとなれば、武田氏をはじめ、地元重鎮議員たちのさまざまな思惑が錯綜するのが常ですが、そんな中でも、麻生氏の意向は一層重たくなるでしょうね。麻生氏の息子である将豊氏を、10区から出馬させ、自らは現役続行しつつ、息子に権力を継承させるのでは、などというウルトラCの噂まで、さっそく飛び交っています」

 選挙は終われど、戦いはいつまでも終わらない――。

デイリー新潮編集部