今季2つ目のメジャー大会、全米プロゴルフ選手権は、世界ランキング1位のスコッティ・シェフラーが4月のマスターズに続き勝利を挙げて年間グランドスラムに近づけるかどうかが注目されていた。【舩越園子/ゴルフジャーナリスト】

警官の指示を無視?

 シェフラーは初日12位タイとやや出遅れたが、2日目以降の巻き返しが期待され、彼自身もそうすべく意気込んでいた。しかし、2日目の早朝、想像すらしなかった仰天の出来事が起こった。

 全米プロの舞台、バルハラGC(ケンタッキー州)のゲート前で、大会を主催するPGAオブ・アメリカの男性スタッフが、その日は試合を観戦しようとやってきたところ車にはねられ、亡くなる事故があった。

 その交通事故の影響で周辺道路は大渋滞。そこへ選手用のコーテシーカーを自ら運転してやってきたシェフラーは、バルハラGCのゲートの手前で警官から「真ん中のレーンを進んでいいよ」と指示されたそうだ。

 選手用の車だと一目瞭然でわかったからこそ、その警官はシェフラーを中央分離帯に設けられたUターン用のレーンへ誘導したのだろう。しかし、言われた通りに前進したシェフラーは、今度は別の警官にゲートの目の前で「止まれ」を「ハンド・シグナルで指示された」とされている。

「されている」と曖昧な表現になるワケは、関係者のそれぞれの言い分が現状では大きく食い違っているからだ。シェフラー本人は警官の「止まれ」のジェスチャーを「誤解してしまった」と言い、シェフラーの弁護士は「シェフラーは何ひとつ責めを負う言動は見せていなかったという複数の目撃証言がある」と主張する。しかし、警官は「(シェフラーは)止まれの指示に従わず、前進し続けた」と言い、体を張ってシェフラーの車を止めようとしたその警官は「車にひきずられ、負傷した」というのだ。

 そのあたりの真偽のほどは今はまだ不明だが、警官の80ドル相当のユニフォームが修繕不能なほど擦り切れて破れ、膝や手首にケガをして病院に搬送されたことは事実だ。

 シェフラーはすぐさまコーテシーカーから出るよう指示され、その場で手錠をかけられて拘置所へ連行された。そして、容疑者が着せられるオレンジ色のオーバーオール姿でマグショットと呼ばれる顔写真を撮影され、オンラインでアクセス可能なそのマグショットは瞬く間に全米、いや世界中へと広められてしまった。

試合開始に間に合った

 その後、逮捕・拘束されたその男性が「世界ランキング1位の王者スコッティ・シェフラーだ」「全米プロ出場選手だ」とわかったからなのだろう。手錠をかけられた午前6時35分からわずか2時間ほどでシェフラーは自由の身となり、皮肉なことに今度は警官のエスコート付きで大急ぎでバルハラGCへ急行。

 事故の影響で大渋滞が起こったため2日目のスタート時間が遅らせられていたことが幸いし、9時12分に会場に到着したシェフラーは10時08分のスタート時間になんとか間に合うことができた。

 そして前代未聞の逮捕劇を経験したシェフラーは、まるで極度の緊張を極度の集中に変えたかのように、スコアを5つ伸ばし、4位タイへ急浮上。

 しかし、一夜明けたらさすがに疲れが出たのか、3日目は一転してスコアを落とし、24位タイへ後退した。それでも最終日は65をマークして再浮上し、8位タイで4日間を終えたところはさすが世界ナンバー1の貫禄だった。

 しかし、警官にケガをさせて逮捕されたシェフラーがすぐに自由の身となって試合に戻ることができたことに対しては、「スーパースターの特別扱い」「試合を棄権すべきだった」等々、批判の声も多数上がっている。

 5月21日に予定されていた罪状認否は6月3日に延期され、今後の成り行きが注視されている。

先週のツアーでは逆転され優勝を逃す

 そんな仰天のドタバタ劇に翻弄された全米プロだったが、決勝2日間、とりわけ最終日は、純粋なゴルフの熱戦がファンの視線を釘付けにした。

 サンデー・アフタヌーンを首位タイで迎えたのは、30歳のザンダー・シャウフェレと27歳のコリン・モリカワという2人の米国人選手だった。だが、なかなかスコアを伸ばせず停滞していたモリカワに代わって、米国出身で30歳のリブゴルフ選手、ブライソン・デシャンボーがスコアを7つ伸ばし、シャウフェレに並ぶ通算20アンダーで先にホールアウトした。

 その数十分後に最終ホールの18番(パー5)にやってきたシャウフェレは、「バーディーなら優勝、パーならデシャンボーとのプレーオフ」という状況下、1メートル半のバーディーパットをしっかり沈めて悲願のメジャー初優勝を達成した。

 ドイツとフランスの血が流れる父親(ステファン)と日本育ちの台湾人の母親(ピンウエイ)を両親に持つシャウフェレは、カリフォルニア州サンディエゴ郊外で生まれ育ち、サンディエゴ州立大学を経て2015年にプロ転向。PGAツアーにデビュー後、17年にシーズン最終戦のツアー選手権を制し、そのとき初めて全米レベル、いや世界レベルの注目を浴びた。

 以後、着々と勝利を重ねて通算7勝を挙げ、2020年東京五輪では金メダルを獲得。しかし、メジャー4大会ではトップ10に12回も食い込んだというのに惜敗ばかりを喫し、悔しさを噛み締め続けてきた。

 先週もPGAツアーのウエルスファーゴ選手権で最終日の7番まで首位を走りながら、ゾーンに入った状態のロリー・マキロイに大逆転されて勝利を奪われたばかりだった。

粘りのゴルフで優勝

 最後に勝利したのは2022年7月のジェネシス・スコティッシュ・オープン。あれから2年以上も優勝から遠ざかっていたシャウフェレだが、それでも世界ランキング3位で今大会を迎えたところに彼の底力と惜敗の多さがはっきりと見て取れた。

「シャウフェレは勝てそうで勝てない」
「シャウフェレはツメが甘い」
「シャウフェレはメジャー・チャンピオンにはなれない」

 そんな屈辱的なフレーズを自ら払拭すべく、今大会のシャウフェレは決して諦めず、決して揺るがず、粘りのゴルフを披露していた。最終日は10番でボギーを喫した直後に11番、12番で連続バーディーを奪い、ネバーギブアップを地で行くゴルフをしていた。

 そしてプレッシャーがかかる最終ホールで1メートル半のバーディーパットを見事に沈め、とうとう悲願のメジャー初優勝を成し遂げた。

「とてもいい気分だ。とても甘美な味わいだ」

 かつて一時期だけタイガー・ウッズのスイングコーチを務めたクリス・コモの指導を今年から受け始め、新たな道を進んでいる。

 幼少時代から常にシャウフェレに同行していた両親の姿は今年のバルハラGCには見られず、ウイニングパットを沈めた彼を出迎えたのは、21年に結婚した愛妻マヤと友人たちだった。

 プロ転向から9年、長い歳月が流れる中で、さまざまなことが変化していった。その流れの中で、自分ができることに最大限取り組んできたシャウフェレがようやく掴み取った初めてのメジャー・タイトルは、大会史上11人目の完全優勝というビッグなオマケ付きとなった。

 そしてPGAツアー選手のシャウフェレとリブゴルフ選手のデシャンボーが最後まで競り合い、惜敗したデシャンボーが潔くシャウフェレを讃えたグッドルーザーぶりも味わうことができた今年の全米プロは、いい大会だった。

舩越園子(ふなこし・そのこ)
ゴルフジャーナリスト/武蔵丘短期大学客員教授。東京都出身。早稲田大学政治経済学部経済学科卒。1993年に渡米し、在米ゴルフジャーナリストとして25年間、現地で取材を続けてきた。2019年から拠点を日本へ移し、執筆活動のほか、講演やTV・ラジオにも活躍の場を広げている。『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『才能は有限努力は無限 松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。1995年以来のタイガー・ウッズ取材の集大成となる最新刊『TIGER WORDS タイガー・ウッズ 復活の言霊』(徳間書店)が好評発売中。

デイリー新潮編集部