多様性の時代を迎えている。それこそが絶対善であり、異論は一切許されないかのようですらある。だが、しかし……。多様性を推し進めるあまり、内戦状態ともいわれる混乱に陥った国が存在する。「人権大国フランス」の現場ルポから日本人は何を学ぶべきなのか。【宮下洋一/ジャーナリスト】
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今年6月27日、フランス・パリ西郊外のナンテールで、車を運転していたアルジェリア系の17歳のナエル・メルズックが警察官の職務質問を無視し、運転を続けたことで射殺される事件が起きた。この日の夜、パリ郊外を始め、北部のリール、東部のリヨン、南部のマルセイユなどで約20万人に及ぶ若者が暴徒化。その後、1週間以上にわたり、車や学校などへの放火や略奪行為が相次ぎ、3505人(内務省発表)が逮捕された。
暴動発生から3日後、国連人権高等弁務官事務所は、「フランスは、警察に蔓延(はびこ)る深刻な人種差別問題に対し、真剣に取り組むべき時にある」と警告を発したが、同国政府は「(警告は)過剰」で「根拠がない」と異議を唱えた。
私は、25年以上の欧州生活や取材経験から、警察官の現場射殺の横行のみならず、「自由・平等・博愛」の国家理念を提唱するフランスの矛盾と限界を目の当たりにしてきた。
だが、私が生まれ育った日本は他国にも増して、人権先進国と謳われるフランスをあがめ、移民、ジェンダー、死刑問題など、自らの政策や国のあり方に変化を加えようとしがちだ。
「仲間のことは口外しない」
花の都・パリ――。誰もが憧れる伝統や文化の裏で、人権大国は機能不全に陥っている。それでも日本は、「フランス幻想」を抱き続けていくのだろうか。
パリ中心部から西郊外にあるナンテールまで、近郊鉄道でわずか10分。県庁の近くの駅で下車した。数十メートル先にあるネルソン・マンデラ広場の片隅の柱には、たくさんの花束が結ばれていた。ここでナエルは警察に射殺され、息を引き取った。
彼の母親が住む低家賃住宅(通称「シテ」)周辺を歩いてみた。あらゆる壁に「ナエルに正義を」や「クソ警察」などと書かれていた。見渡す限り、アフリカ系とアラブ系移民の居住地区で、白人とアジア系の姿は見当たらない。
15歳前後に見える少年3人がタバコを吹かしていた。「この場所から始まった暴動のことを聞かせてほしい」と尋ねると、3人は私をにらみつけ「ノン(いやだ)! うるせぇ、とっとと失せろ!」と暴言を吐くだけで、何も答えなかった。
シテの敷地内を散歩していたマダガスカル出身の元軍人であるピエール(仮名、61歳)は、こう口にした。「オメルタ(マフィア用語で『沈黙の掟』)さ。ここは、麻薬、売春、武器の取引が横行している。彼らには同族意識があり、誰一人として仲間のことは口外しない」
警察官の「正当防衛ではない発砲」が増加
それにしても、約20万人の若者はなぜ、乗用車約1200台、学校やビル2508棟を燃やし、警察官や消防隊員約700人を負傷させるほどの暴動を繰り返したのか。
射殺されたナエルの母親は、1970年代に建てられた風変わりなビル群の一棟の中で暮らしている。公共放送「フランス2」の取材に対し、「警察を責めたいとは思いません。息子の命を奪った一人の警察官を非難します。息子を逮捕するなら、別の方法があったはずです」と語った。
フランスでは、一般市民が警察に射殺される事件が年々、増加傾向にある。独立系新聞「バスタ!」(2023年6月28日付)の調べによると、18年から23年8月までの間に、警察官の「正当防衛ではない発砲」で命を落とした市民の数は、78人に上っている。
10年からの累計は141人(日本では、同類の射殺事件は戦後3件のみ)。急進左派「不服従のフランス」のジャン=リュック・メランション党首は、〈(警察の)職務質問拒否による死刑に反対する〉とツイッター上で発言した。なお欧州では、ベラルーシ以外、死刑は廃止されている。
「人種差別が明らかに存在」
ナエル同様、警察官の銃弾で命を落としたアラブ系フランス人少年の父親、イッサム・エル・カルファウイ(50歳)は、今夏、南仏マルセイユ市内のカフェで、今回の暴動について振り返った。
「この国には、人種差別が明らかに存在します。移民といっても、私たちはフランス人です。この国で生まれ育っている2世や3世ですし、大半は国に適応しています。しかし、白人社会がアラブ系フランス人に拒絶感を持っているのです」
幼少期から差別を受け続けてきたイッサムのこの言葉は、フランス社会の複雑さを的確に表現している気がした。差別の種類は異なるが、長年、第二の母国との思いでフランスに適応してきた私も、「よそ者」の存在であり続けている感覚は拭えないままだ。
世界の人々が思い描いているフランスとは、パリだろう。だが、わずか105平方キロと限られた土地面積の都は、「夢物語」の世界で、それ以外の都市、つまりほぼ全国土のほうがフランスの「現実」といえる。私は、暴動鎮静後も緊迫した状況が続くマルセイユを訪ねていた。
警察官が「ストライキ」
そこでは、暴動が激化していた7月2日、22歳のアラブ系男性が警察官の発砲で頭部に重傷を負った。この出来事に関与した警察官が逮捕されたことを受け、正当防衛を訴える国家警察の警官800人がその後、約2週間の「休業」を決行した。
ただ、警察にはストライキの権利がない。そこで彼らは、「病気休業」の名の下、治安警備を放棄した。町中には、不気味なほど警官の姿がない。とても奇妙な光景だった。報道では、窃盗事件が急増しているとのことだった。
8月7日朝、マルセイユ市内でバスに乗り、フランス国内最貧地区(国立統計経済研究所調べ)として知られる3区を散策した。朝からひどかった。バスに乗ったアフリカ系移民女性が「息子を乗せ忘れちゃったわ。バスを止めてちょうだい!」と叫び、彼女と運転手の言い争いに発展した。
幼い息子をバス停に放置したまま、自分だけがバスに乗ること自体、常識的には考え難い。それに気付かない運転手に対し、乗客が怒り狂ってしまうことも常識ではありえない。フランスでは、「常識」の概念が多様すぎて、混乱が生じているようにも感じる。
3区に白人の姿はほとんどない。アフリカ系とアラブ系の移民か、その2世や3世が暮らしている。フランス語が聞こえてくるのはまれだ。空状態のゴミ箱の外に、大量のゴミが捨てられている。臀部が半分見えている薬物中毒の色男、真っ黒に汚れた顔で小銭をせがんでくる美少女。仮にもここは、フランス第二の都市の中心部だ。
「夜になると殺し合いが起きる」
それでもまだ日中はリスクが少ない。ただ近年、「夜になると殺し合いが起きる」と、3区にあるベル・ドゥ・メ通り沿いに理髪店「シェ・ハミッド」を構えるハミッド店長(50歳)は言った。
「借金地獄に落ちて、殺される事件が増えている。2010年くらいに景気が悪くなって、コロナでさらに貧困化した。結局、この周りの住民は仕事がなくて、ドラッグで生計を立てている。見ての通り、警官がどこにもいないだろ?」
マルセイユでは、麻薬取引による殺人事件も相次いでいる。AFP通信によると、今年1月から8月26日までに、合計38人の男女が麻薬絡みのトラブルで殺害されている。そのうちの2人は焼死、1人はリンチによる死亡だった。
旧港沿いにあるテラスでエスプレッソを飲みながら、スマホを眺めていると、突如、隣にいた女性旅行客が叫び声を上げて立ち上がった。椅子に置いたはずの彼女のバッグが消えていた……。
社会を破壊する「超個人主義」
近隣諸国の人々が抱くフランス人に対するイメージというのは、「常に抗議と不満を抱えている」だ。その理由として、多くの専門家は「フランス革命の精神」とひもづけるが、当時の闘争心がいまだ脈々と受け継がれているとは思えない。
ソルボンヌ大学のピエール=アンリ・タボワヨ政治哲学教授(58歳)は、私にこう語った。
「フランスには、社会を破壊する三つの要素があります。一つ目は社会を無視した麻薬取引、二つ目は自由と民主主義を利用するイスラム過激主義、三つ目は自由を野放しにした超個人主義です」
フランスの民主主義は、国全体のためでなく、個人の権利のためとの考えにすり替わってしまった。社会の均衡よりも、個人の権利を重要視する。これが超個人主義に靡(なび)くフランスの現状だという。コロナ禍の影響もあったが、黄色いベスト運動や年金改革に抗議するストで街やキャンパスは荒れ、この6年間で授業を完遂できた学期がないとタボワヨ教授は不満を口にした。そして、母国の弱点について、こうも嘆いた。
「独自のアイデアを好むインテリ国家と称されてきたフランスは、極端な発想に魅了されてしまうところがある。それを極左的な教育を受けてきた多くのジャーナリストが率先して報じ、他の声を切り捨てる傾向があることも否定できない」
「この国はもっと悪くなる」
伝統的にフランスは、左派寄りの風潮があり、移民や難民への寛容、社会保障制度の充実などを徹底してきた。しかし昨今、この国から恩恵を受けた移民さえもが、その左派的な社会に居心地の悪さを感じるようになっている。
パリ東郊外クリシー・ス・ボワのシテに長年住んでいる、ポルトガル人のジョゼ・マルケス(68歳)は、「ミッテランから続く左派政権が移民を放置しすぎた結果だ。昔(70、80年代)は、みんな仲が良かったのに」と落胆。「この国はもっと悪くなる。私は、母国に戻ることを決めた」と憂い顔を見せた。
このシテでは、2005年に大規模な暴動が発生し、私は、その現場を取材していた。当時の若者たちはまだ、大金を稼ぐ「ラッパー」や「サッカー選手」を夢見ていた。しかし今では、夢を抱くことさえも放棄している。
フランス移民統合局(OFII)のディディエ・レシ局長は、仏週刊誌「レクスプレス」の取材で、若者たちについて、こう述べている。
「彼らには『未来がない』。唯一の願望は、モノを手に入れること。ブランドの靴、最新の携帯電話などだ。(中略)他の人々に共通の財産の利益が与えられないよう、集まって(学校、庁舎、警察署などを)破壊する」
移民、麻薬、暴動……。フランス社会は今、混乱状態に陥っている。国内治安総局は、2012年以降、テロ事件による死者は合計271人、負傷者は約1200人と発表している。イスラム過激派によるテロリズムは、一旦、静寂を保っているが、その波がまたいつ来るかは分からない。次から次へと押し寄せる問題の根源は、何なのか。
植民地政策と家庭の崩壊
暴動から2カ月が経過した8月、マクロン大統領は、仏週刊誌「ルポワン」の独占インタビューで、「暴徒化した若者たちの90%はフランス生まれだ」と述べ、移民扱いを回避。だが、「移民の数を減らさなくてはならない」という、これまでのフランス政府の理念に反する発言もしている。
ナショナリズムの研究家で、国際関係戦略研究所(IRIS)のジャン=イブ・カミュ(65歳)は、「なぜ近隣諸国では暴動が少ないのか」との私の質問に対し、こう答えた。
「イタリア、ドイツ、オランダとは異なりマグレブ(北アフリカ)諸国やアフリカでの植民地の歴史がフランスにはある。支配された国々は、今も復讐の意識が強い。だが、私の世代には暴動はなかった。世の中で離婚が増え、父親像のない移民の2世代目や3世代目が問題になっている」
植民地政策の複雑な背景と、家庭の崩壊がフランスの障壁につながっていることは疑いのない事実だ。しかし、当然ながらすべての移民が社会を破壊しているわけではない。
「この国の問題の根源は…」
著書『もうひとつの「異邦人」 ムルソー再捜査』(水声社)などの作品で知られるアルジェリア人作家のカメル・ダーウド(53歳)は、同胞からの批判を覚悟の上、こう明かした。
「アルジェリア系フランス人の郷愁が、この国の問題の根源です。アルジェリア系移民は、唯一、定住を拒む国民で、帰郷へ思いをはせて生きている。その精神が代々引き継がれ、新世代は『帰れない』苦しみを引きずっている。そして何よりも、彼らの中ではまだ、フランスからの独立戦争が続いている。フランスは、仲間か敵か、その二者択一しかないのです」
各都市のシテから戻り、シャンゼリゼ通りを歩いてみる。ルイ・ヴィトンのバッグを手に持ち、シャネルの黒縁眼鏡をかける女性。1杯6ユーロ(約950円)のカプチーノを啜る会社員、テラスでカキと白ワインを楽しむカップル、最新のアストンマーティンを運転する若者……。そこには確かに、花の都が存在していた。
夢のないシテから、その「夢物語」の世界は目と鼻の先。服も靴も買えない腹を空かせた少年や少女がシャンゼリゼ通りに繰り出し、同年代の子供たちが両親を前にレストランでクレープを頬張る笑顔を見て、彼らは何を思うのか。この魅惑の都市が、彼らには残酷すぎる。
「多文化主義」を貫いた英国やオランダと違い、フランスは移民を国家理念に従わせる「同化主義」を選択した。「自由」と「平等」は、育つ環境による程度の差こそあれ、全員に与えられている。だが、最大の壁は、同じ価値観を持って生きる「博愛」を実現することだ。その「フランスの価値観」に順応できない者に対し、フランス社会は冷たい。
日本は移民、難民を受け入れるべきなのか
人権や多様性を諸外国に訴えるのは一見、聞こえがいい。しかし、それは本当に「人権的」な行為といえるのだろうか。現在のフランスの多様性は、「歓迎する側」の都合に合わせることを要求しているに過ぎず、必ずしも「歓迎される側」にとっての幸福につながってはいないように映る。
私はいま、地球の反対側から日本を眺めている。その日本は、欧州などから移民や難民政策の緩和を求められているが、今後も従来の方針を維持し、西洋諸国の批判に屈してはならないと私は考える。それは、排外主義ではない。
救済が必要な人々は間違いなく存在する。しかし、彼らを無闇に異文化圏に招くことで、逆に彼らは居心地の悪さを覚え、社会に悪循環をもたらす可能性がある。事実、いまのフランスは「多様性」が「対立」を招き、現場射殺という名の「死刑」が横行する事態にまでなっている。これが過剰な人権を唱えてきたフランスの現状であることを、日本は知っておいたほうがいい。
宮下洋一(みやしたよういち)
ジャーナリスト。 1976年生まれ。米ウエスト・バージニア州立大学卒業。バルセロナ大学大学院で国際論修士、ジャーナリズム修士。欧米での生活は約30年に及ぶ。『安楽死を遂げるまで』『ルポ 外国人ぎらい』等の著書がある。昨年12月には、フランスの現場射殺の問題も取り上げた『死刑のある国で生きる』(新潮社)を上梓した。
「週刊新潮」2023年9月21日号 掲載