日本政府が8月24日、福島第1原子力発電所の処理水の放流を開始すると、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権は「放流は日本の主権」とし、その決定を支持した。

 一方、野党「共に民主党」などの左翼政党と市民団体は強く反発し、「日本政府が地球の海洋汚染を悪化させる」「韓国民が安全な水産物を食べられない」と主張している。IAEAの検証の下で「処理水に有害な放射能が検出されていない」と発表し、日本政府も処理水に関して徹底した点検し、韓国政府と情報を共有する約束をしているのに、彼らにとっては「馬の耳に念仏」だ。

 9月9日、ソウルの光化門(クァンファムン)で、「共に民主党」は左翼野党である「進歩党」とともに、「日本の汚染水の海洋投棄反対集会」を開いた。長時間周辺の交通を妨害し、家族やカップルたちでにぎわう週末の光化門に大音響が響いた。彼らは、日本政府と尹錫悦大統領が海に汚染水を放流したと非難。その決定は国際法違反だと主張し、あちこちに「大統領を放流したい」と攻撃的なコメントの垂れ幕が掲げられていた。

 こうした動きの背景には「共に民主党」の支持率が現在、下落し続けていることがある。来年4月に国会議員総選挙を控え、支持率を上昇させる武器は左派支持層を結集させられる「反日」しかない。処理水放流問題を、左派は支持率復活の格好の機会だととらえている。

 左翼政党の政治攻勢は韓国国民の「恐怖心理」を煽ってもいるわけだが、“日本が処理水を放流したために今後、放射能に汚染された水産物が出まわる”というその主張に対しては、「魚介類消費が冷え込み、罪のない水産業者だけが打撃を受けかねない」という懸念も高まっていた。

〈当店では日本産マグロを使用していません〉

 2019年の文在寅(ムン・ジェイン)政権当時に韓国内で起きた、日本製品不買運動を髣髴とさせる動きも少しずつ見えている。

「韓国の若者の街」として有名な弘大入口駅近くのマグロ専門店では、処理水の放流直後、店の入口に「当店では日本産マグロを使用していません。最上級のマグロを提供します。安心して召し上がってください。(マグロの原産地:フランス、マルタ)」と書かれた案内文を掲げて注目を浴びた。日本産のマグロが最上級ではなく、安心できないという意味にも受け取れる。マスコミではこの店やコメントについて報道し、ブログではこの店を「日本産を使わないマグロ店」だと紹介している。

 日本産マグロを扱わない他の店も話題になった。光化門付近にあるホテル内の店の入り口には「日本産マグロではありません」「日本近海から得られるマグロは一匹も使用しない」と掲げた。この店もフランスとマルタなどから輸入したマグロを使用しているということだ。この店もマスコミに紹介され、平日の昼休み時間に筆者は訪問してみたが、客の数は多かった。「ノージャパンマグロ」の効果があったのだろうか。

 ソウル市江南区にある寿司専門店の中には、まるでお互いに示し合わせたかのように「日本産の魚を使用していない」と、同じ内容の告知を掲げた店が多数見うけられる。SNSで「日本産水産物」というハッシュタグを付け、「日本産水産物の不買運動に参加する」といっている店もある。

 韓国内の大型スーパーのシェア第1位である「イーマート」の駐車場の通路にも、「イーマートの水産物は安全です」「日本産水産物を取り扱わず、放射能安全体系を運営しています」と書かれた垂れ幕がかかっている。

与党は“安全”を強調も…

 韓悳洙(ハン・ドクス)首相は8月24日、対国民談話の発表で「科学的基準と国際的な手続きによって処理され放流されれば、今の状況で、国民が過度に心配する必要はないことが全世界の科学専門家の共通した意見」「政府を信じ、科学を信じてほしい」と語った。同首相は「日本産水産物に対する輸入規制措置を堅固に維持する」と強調した。

 保守与党である「国民の力」も9月8日、国会で国内水産物消費促進に向けた広報イベントに出席し、野党の汚染水攻勢を“怪談”と規定して「安全だという確信をもって水産物を利用してほしい」と要求した。

 だが、左派野党は、処理水の放流を利用した政治攻勢を緩めていない。一部の自営業者や流通会社では、日本産水産物を扱わないなど、野党の意に沿う行動を実践している。そのため、一部の水産業者の間では「環境汚染と国民の健康を心配するふりをしているが、実は政治利用するために恐怖心理をあおる行動は、むしろ消費や売上に弊害になる」と指摘が出ている。

むしろ水産物売り上げは増加

 もっとも、一時こそ日本産水産物の不買運動に発展する兆しが見えたが、8月末から9月に入り、その雰囲気は消えつつある。

 韓国政府は8月28日、福島処理水の放流直後、国内の海産物に対する放射能数値調査を行ったが、異常がないと発表した。9月8日にも放射能が検出された水産物がないと繰り返し明らかにした。また、江原道は8月24日から9月10日まで、済州島は9月1日から7日まで地域内の水産物に対する放射能検査を実施した。その結果、まったく問題がなかったという。さらに、左派野党支持地域である全羅南道順天市も、地域内の水産物に対する安全性検査の結果、放射能物質が検出されなかったと発表した。それ以降、放射能の検出に関するニュースはほとんど聞こえてこない。

 むしろ国内の水産物売上は伸びたこともわかった。韓国政府は8月24日から29日まで、大型スーパー3社の水産物売上高が、処理水放流直前の8月17日から23日の売上高よりも103%増えたと発表した。首都圏最大規模の水産物卸売市場「鷺梁津(ノリャンジン)水産市場」も同様。8月24日から30日までのクレジットカード決済による売上高は、8月17日から23日より48.6%増えたという。日本産水産物だけではないが、処理水の放出は水産物の流通量に影響を与えなかったことがわかる。

 韓国人の日本旅行に対する人気も落ちていない。韓国の仲秋節である秋夕連休(9月28日〜10月3日)を控え、大手旅行会社「ハナツアー」の調査結果、同期間の海外旅行予約者は1位が日本23%、2位がベトナム19.4%、3位はヨーロッパ13.8%だという。また、別の大手旅行会社「黄色い風船」の秋夕連休海外旅行予約調査結果も同様に、1位は東京(31.7%)、ベトナム(31%)が31%で2位に、3位は17.5%の西欧だった。

ノ・ミンハ(現地ジャーナリスト)

デイリー新潮編集部