日朝首脳会談を実際に“仕掛けた”のは誰か?

 小泉純一郎元首相は、カネに潔白な政治家と言われた。秘書も汚い金に手を出せなかった、との逸話を残す。政治力が「言葉」とサプライズから生まれることを熟知していた。「自民党をぶっ壊す」「抵抗勢力」の言葉で、自民党総裁・首相に選ばれた。サプライズは、「日朝首脳会談」と拉致被害者の帰国だった。首相の胆力と米大統領との信頼関係が、歴史的首脳会談を実現させた。

 今月17日で日朝首脳会談から21年が過ぎた。田中均・外務省アジア大洋州局長(当時)が仕掛けた、との証言が語られるが、これは真実ではない。小泉元首相の秘書官を務めた飯島勲内閣官房参与も月刊「文藝春秋」(文藝春秋)10月号で、日朝首脳会談の突破口は田中氏ではなかったと明らかにした。

 真実を知る安倍晋三元首相は亡くなり、主役の小泉元首相と日本財団の笹川陽平会長は、自らを語らない。

 北朝鮮側から関わった人物が、「すぐには書かない」との条件で、当時重い口を開いた。この人物は、金日成・金丸信(元副総理)会談を隣室で聞き、北朝鮮に拘束された第18富士山丸の船長らの釈放、日本人妻の里帰りにも関わった。

 金丸氏の訪朝では、金丸氏の先祖が高麗王朝崩壊の際に、日本に亡命した武人であった事実も探り出し、金日成に報告した。日朝首脳会談では、北朝鮮首脳の「報告書を出せ」の指示を受け、日本側の事情を伝えた。

小泉政権の危機を回避すべく決断された「日朝首脳会談」

 彼は日朝首脳会談後、秘密交渉の責任者だった旧知のミスターX(後に国家保衛省の柳京・副部長と判明)に会った。柳京は語った。

「日本外務省のアジア局長に騙された、平壌は怒っている。日朝外交正常化も実現しないし、1兆円の経済協力資金も実行されなかった。日本では政治家より官僚のほうが力を持っていると言ったのに、違った」

「拉致被害者の帰国については、全員帰国させなくていいのか、と何回も確認した。局長は、国交正常化後に徐々に帰国させればいい、と言った」

 なぜ、そんなことになったのか。このやり取りについては、判断が分かれる。一つは、小泉首相が拉致問題解決に関心がなかった、との指摘だ。もう一つは、外務省局長が次官に昇進するつもりで、次官就任後に自分の成果にしたいと考えた、との解説もある。

 この実務交渉では、日本側は「北朝鮮の主権侵害」を強調し、激しいやり取りが交わされたというが、なぜか首脳会談では主張しなかった。柳京はその後、実力者の張成沢(金正恩が処刑を命じた)との争いに敗れ、処刑された。

 日朝首脳会談のきっかけは、2002年1月末の田中真紀子外相の更迭だ。鈴木宗男氏との衝突が原因だった。田中更迭の前には、小泉首相の支持率は70%を超えていたが、外相のクビを切ったら40%台に急落した。

 このまま下がり続けたら、小泉政権は崩壊するかもしれないという危機に直面した。その危機回避のために決断したのが、「日朝首脳会談」だった。日朝首脳会談の動機は、必ずしも拉致被害者救出ではなかった。「政変阻止」だった。

北朝鮮の笹川氏に対する評価に目を付けた小泉元首相

 決断した小泉元首相は、02年4月初めに、日本財団会長の笹川氏を官邸に呼んだ。笹川氏は1992年の訪朝で、金日成主席と4時間以上も会談しており、その際に金正日総書記も面会に応じる意向を示していた。金日成がこの会見で述べたの は、北朝鮮の戦略を理解する、歴史的な証言だった。

 金日成はこの時、正直に語った。「自民党の実力者を動かさないと日朝正常化はできないというから、以前に金丸信と会談したが失敗した。日本の政治家は信用できない」

「米韓合同軍事演習が、一番困る。我が国も同じ規模の演習で対応するので、演習後は石油が枯渇し、兵器は消耗する。日朝・米朝改善が必要だ」

 笹川氏は答えた。「日本は、アメリカの了解なしにはお国(北朝鮮)と国交正常化はできません。そのためには、大統領経験者のカーター氏とお会いになるのがいい」

 真冬の昼食で、スイカが出た。笹川氏が「スイカ好きの父親に、こんな美味しいスイカを一口でも食べさせてあげたい」と言うと、金日成は涙ぐんだ。金日成は会談後に、隣室で聞いていた金正日に「親孝行で立派な日本人だ。お前もいずれ会うといい」と伝え、この言行録が平壌の主席宮には残されている。

 金日成は笹川氏のアドバイスを受け、カーターを平壌に招待した。カーター訪朝の費用は、笹川氏が提供した。北朝鮮の笹川氏に対する評価に、小泉元首相は目をつけた。

 笹川氏は、「首脳会談をしたい」との小泉元首相の書簡を密かに受け取り、金正日総書記に送った。すると、2002年5月の連休明けに「お会いする用意はある」という返事が届いた。こうしてミスターXと外務省局長の「秘密交渉」が始まった。

 この間、交渉の経過と合意について、笹川氏には一切知らされなかった。笹川氏も聞きたいとは思わなかったが、小泉元首相は困るたびに金正日への書簡を頼んできた。

北朝鮮もまた「日朝首脳会談」と「日朝国交正常化」を利用した

 02年9月の訪朝直前、小泉元首相はニューヨークの国連総会に出席し、ブッシュ米大統領と会談した。ブッシュは日朝国交正常化に反対だった。「首相が平壌を訪問する政治的事情は理解している。しかし、核開発を放棄しない限り、国交正常化には応じないでほしい」。

 小泉元首相はニューヨークから、笹川氏に電話した。「核開発を止めないと正常化と経済協力は難しい、との書簡を金正日に送ってほしい」。すぐに金正日は書簡を寄越した。「心配しないでほしい、首相のメンツは潰しません」。こうして日朝首脳会談は実現した。

 北朝鮮側の人物は、私に日朝首脳会談を必要とした北朝鮮の内情を明らかにした。北朝鮮は、ブッシュ米大統領の「悪の枢軸発言」と、核施設を攻撃しかねないとの脅威に直面していた。北朝鮮は内部で、核開発を放棄しない方針を、すでに決めていたからだ。

 平壌は、米国の軍事攻撃を阻止するために、日朝首脳会談と日朝 国交正常化を利用したという。また、経済が悪化し、資金不足に陥っていたので、日本からの経済協力資金がどうしても必要だった。日本は、その北朝鮮の事情と弱さを知らずに、北朝鮮の戦略に乗せられたと言うべきか。

 だが拉致被害者の帰国は、一部実現した。それでも、北朝鮮の内部情報収集と分析に日本は失敗したと、反省はすべきだろう。後世の外交のために、首脳会談の真相と教訓を明らかにしてほしい。

重村智計(しげむら・としみつ)
1945年生まれ。早稲田大学卒、毎日新聞社にてソウル特派員、ワシントン特派員、 論説委員を歴任。拓殖大学、早稲田大学教授を経て、現在、東京通信大学教授。早 稲田大学名誉教授。朝鮮報道と研究の第一人者で、日本の朝鮮半島報道を変えた。 著書に『外交敗北』(講談社)、『日朝韓、「虚言と幻想の帝国の解放」』(秀和 システム)、『絶望の文在寅、孤独の金正恩』(ワニブックPLUS)など多数。

デイリー新潮編集部