ロシア、中国寄りの教皇と危惧する指摘が出るのも、ある意味当然なのかもしれない。ローマ教皇フランシスはウクライナに「白旗を掲げる勇気が必要」だと発言、ロシアと停戦するよう求めたことが、3月9日に明らかになった。ウクライナ政府は無条件の降伏勧告と解釈。自分たちの国旗は黄色と青色で描かれており、「他のいかなる旗も掲げない」と猛反発した。

 ***

 教皇の発言を問題視する声は多かった。欧米だけでなく世界各国のメディアが詳しく報じ、バチカン(ローマ教皇庁)側は慌てたのか、「白旗は降伏勧告を意味しない」と火消しに躍起だ。担当記者が言う。

「教皇フランシスコは2月にスイス公共放送のインタビュー取材を受けました。それを3月9日、バチカンの公式メディアが内容の一部を放送に先立って公開したのです。それによると、まず記者が『ウクライナには降伏する勇気を持ち、白旗を求める人がいます』と質問しました。教皇は『人々にとっての善を考える者こそ、最も強き者だ』と強調した上で、白旗を求める人がいるという質問の根拠は、『あなたの解釈でしょう』と述べたのです」

 これで終わっていれば、何の問題もなかった。しかしながら教皇は「今の現実を直視し、国民のことを考え、白旗を掲げて交渉する勇気を持つ人々の存在を信じています」と続けてしまったのだ。

 ウクライナが教皇を批判したほか、ポーランドやラトビアといった周辺国も反発を示した。NATO(北大西洋条約機構)も「今はウクライナによる降伏について語るときではない」と教皇を諫めた。

 一方、ロシア側は喜びを隠さない。在バチカン・ロシア大使館はXに「フランシスコ教皇は、ヒューマニズム、平和、伝統的価値観の真の誠実な擁護者だ」と投稿した(註1)。

 そもそもローマ教皇フランシスコは、ウクライナ戦争に仲介する意思を鮮明にしてきた。和平を求める特使をウクライナ、ロシア、そして中国に送っている。

教皇のスタンドプレー

 防衛大学名誉教授の佐瀬昌盛氏は東西冷戦研究の第一人者として知られる。ソ連の時代からロシアをウォッチしてきた佐瀬氏は「なぜローマ教皇が停戦交渉に乗り出しているのか、全く理解できません」と首を傾げる。

「注目すべきは、停戦を望む国や勢力が教皇に仲介を依頼したわけではない、という点です。普通、停戦交渉の仲介者は、誰かに頼まれたから引き受けるものです。ウクライナからの依頼で教皇が停戦交渉に動くのなら分かります。フランスやドイツといったNATO加盟国からの依頼でも同じでしょう。ロシアからの依頼は──侵略国の依頼を引き受ける妥当性は問われるべきですが──理解はできます。ところが教皇は誰からも頼まれていないようなのです。自分一人で停戦を訴えているのですから、なぜ、こんなスタンドプレーを行っているのか全く理解できません」

 佐瀬氏は教皇の元に、どれだけ情報が集約されているか疑問視する。ロシアはロシア正教会の勢力が圧倒的で、カソリックの信者は弾圧されてきた。ウクライナはロシアとの対立が深刻化するにつれ、ウクライナ正教会はロシア正教会と袂を分かった。とはいえ、ウクライナにカソリックの信者は少ない。

「ロシアやウクライナがカソリック国なら、信者から詳細な情報を得ることができるでしょう。しかし実際は異なります。さらに教皇はロシア正教会を普通の宗教団体と考えているのではないかと危惧します。私たちのようにロシアを長年研究してきた者は、ロシア正教会を宗教勢力とは見なしません。彼らは国家権力と癒着し、独裁国家の統治を支えてきた黒い歴史を持ちます。今回のウクライナ戦争でも停戦を呼びかけるどころか、若者に参戦を訴えていることからも明らかです。教皇が停戦を訴えても、ロシア正教会が同じ宗教勢力として関心を示すことはないでしょう」(同・佐瀬氏)

「ロシア人は残虐ではない」発言

 教皇フランシスコは1936年にアルゼンチンで生まれた。宗教家として主に南北のアメリカ大陸で活動してきた。佐瀬氏は「ヨーロッパを肌感覚で理解していないことも、今回の騒動に影響を与えたかもしれません」と指摘する。

 佐瀬氏の見解を裏付けるものとして、教皇がウクライナやNATO加盟国の側に立って行動してきたという指摘は皆無だ。むしろロシアや中国との関係構築に熱心な教皇として、一部では危惧が表明されてきた。

 そもそも教皇のウクライナ戦争を巡る“舌禍”も、これが初めてではない。まずは2022年6月、カトリック系の記者団に対して「赤ずきんは善でオオカミは悪だった。ウクライナ戦争の場合、象徴的な善人も悪人もいない」と発言した。

 ロシアがウクライナに侵攻したのは、この年の2月だった。それから4か月が経過しての発言であるにもかかわらず、ロシアを批判しない融和的な姿勢に、かなりのカトリック教徒が失望したと伝えられた。

 さらに同じ年の11月、ロシアのウクライナ侵攻で最も残虐なのは、「非キリスト教徒の少数民族の部隊」だと発言した。具体的には最も残虐な兵士として、「ロシアの伝統に従っていないロシア人」や「チェチェン人、ブリヤート人などの少数民族」を挙げたのだ。

「アメリカ嫌い」の指摘

 教皇の発言を敷衍すると、「キリスト教徒」か「ロシアの伝統に従っているロシア人」は残虐な兵士ではないことになる。ロシアを擁護した発言と解釈することは可能だが、この時はロシア側が猛抗議した。そのためウクライナやNATO加盟国から批判の声が上がることはなかった。

 だが次の舌禍に対しては、ウクライナは明確に反発を示した。23年8月、教皇はロシアのサンクトペテルブルクで開かれた若年層の集会にオンラインで参加。そこで行われた講話でピョートル大帝やエカテリーナ2世といったロシアの王族に触れ、「偉大なロシア帝国の後継者であることを忘れないように」と呼びかけたのだ(註2)。

 ロシアのプーチン大統領はピョートル大帝を引き合いに出し、ウクライナ侵略を正当化してきた。これを教皇が追認する形になったのだから、ウクライナが強く抗議したのも納得できるだろう。

「教皇の『ウクライナ戦争の場合、象徴的な善人も悪人もいない』の発言は、アメリカの経済紙『ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)』が注目し、22年6月に記事を配信しています。記事では多くの専門家に取材し、アルゼンチンで生まれ育った教皇はアメリカの経済支配を経験したことで、『超大国は悪だ』という考えが植え付けられたと指摘。教皇はアメリカを筆頭とする西側諸国と距離を置き、独自外交を目指してロシアや中国との関係構築を重視しているのではないか、と分析しました」(前出の記者)

バチカンと中国が急接近

 日本人にとって、バチカンと中国の接近は他人事ではない。多くの日本メディアが詳報を行っている。ここでは時事通信が23年9月に配信した「ローマ教皇特使が異例の訪中=「国交樹立」観測も浮上」との記事を見てみよう。

《フランシスコ・ローマ教皇のウクライナ和平特使を務めるズッピ枢機卿が、中国を訪れた。公式には「中国政府高官とウクライナ問題を協議した」と説明されているが、外交関係のないバチカン(ローマ教皇庁)の特使訪中は異例。台湾と断交して中国との国交樹立に踏み切る第一歩ではないかとの見方も出ている》

 中国は教皇だけが司教を任命できるという制度を「内政干渉」として反発。1951年にバチカンと断交を行ったという経緯がある。

「カトリック教会は全世界で数多くの司教が性暴力を振るっていたことを筆頭に、その暗部が次々に暴かれ、依然として激震が続いています。信者の信頼回復を完全に果たせたとは言えず、対応に悩む教皇にとって14億の人口を持つ中国は信者増員という観点から非常に魅力的です。中国と断交してきたことで、バチカンは台湾との関係を重視してきました。ところが今の教皇フランシスコになってから、『バチカンは台湾を捨て、中国と国交を樹立するのではないか』との観測が台湾で飛びだし、政府も非常に憂慮しているのです」(同・記者)

中国と何を話したのか?

 こうなると、ウクライナ戦争の停戦交渉はバチカンと中国が会談するための“口実”だという疑念すら生じてしまう。本当は中国との国交樹立が最重要事項であり、ウクライナ問題は二の次ではないのか──。

 いずれにしても、一つだけ言えるのは、これだけロシア寄りの教皇にウクライナが停戦交渉を依頼することは絶対にない、ということだろう。

註1:ロシア、ローマ教皇の平和への努力を称賛 「白旗」発言受け(AFP BB News:3月14日)

註2:「偉大なのは帝国主義ではなく文化」 ロシア「称賛」発言、ローマ教皇が釈明(朝日新聞:23年9月5日夕刊)

デイリー新潮編集部