5月20日、台湾で新たな総統が就任する。蔡英文氏に続く民進党の総統であるだけに、大きな方針の変化はないようにも見えるが、世界はすでに新たな緊張状態に足を踏み入れている――。

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 1月の選挙で新総統に選出された頼清徳(らいせいとく)氏は、20日に就任演説を行う。

「頼氏の演説には、台湾国内だけでなく、全世界からの注目が集まっています」

 そう切り出すのは、ネット番組などでお馴染み、ジョンズ・ホプキンズ大学博士課程在籍の佐々木れな氏だ。外資系コンサルティングファームで防衛・安全保障のプロジェクトに従事した経験を持ち、現在は東アジアの安全保障を専門とする立場から、台湾をめぐる国際情勢を解説する。

「引き続き民進党政権ということで、基本方針は前政権と大きくは変わることはありません。しかし、あくまでも『現状維持』の路線を貫いた前総統の蔡英文氏と異なり、頼氏はこれまで『独立』を強く謳っていた人物です。米中を中心とした世界各国が台湾有事に身構える中、両岸関係に対する姿勢が、就任演説ではどのような言葉で表現されるかによって、今後の台湾海峡をめぐる緊張具合が変わってくると見られているのです」

“当事者”たちの思惑

 世界の覇権を米中両国で争う今日、台湾有事は今や世界的な重要トピックの一つとしてとらえられている。まさに台湾海峡こそが、各国の思惑が行き交う舞台となっているのだ。その“当事者”たちは今、何を考えているのか。佐々木氏が続ける。

「まず中国は、これまで度々公の場で独立への思いを口にしていた頼氏を“危険な分離主義者”として批判していました。表向きには前政権の『現状維持路線』を継承すると表明している頼氏ですが、『独立宣言』のチャンスを狙っているのではないかと、中国側としては警戒感を強めています。ここ数日、中国が台湾に対する軍事的圧力を強めているのも、その表れでしょう。とはいえ台湾側からそのような宣言などがあれば、中国が台湾に対して武力行使する口実を得られるのもまた事実。独立派の頼氏としても、これまでの方針を大きく覆すことはしないだろうというのが、現実的な見方ではあります」

 では対するアメリカとしては、現状をどうとらえているのか。

「中国との歩み寄り路線をとる台湾・国民党の一方で、ここ8年にわたって政権を担ってきた民進党は、中国と距離を置き、アメリカと親密な関係性を保っています。その意味で、民進党が今回の総統選で勝利を収めたことに多少の安堵感はあったかもしれませんが、今のアメリカは、丸2年以上の長期戦と化しているロシア・ウクライナ戦争や、中東情勢全般に大きな影響を与えうるイスラエル・ハマスの衝突への対応で手一杯なのが実態。これ以上戦線を拡大させるわけにもいかず、『今は台湾有事どころではない』というのが本音だと思われます。米国内での前評判としても、『台中関係が安定する』という意味では、むしろ国民党の候補者の方に期待する声もあったくらいです」

 目下のところは、中国サイドも人民解放軍の腐敗問題や外交・国防トップの突然の解任などに揺れていて、国内の立て直しが急務となっている。「今は情勢を緊迫させたくない」という両者の思惑は一致している状態なのだ。

「独立志向の強い頼氏に対して、今は事を荒立てたくない米中双方。それぞれが民進党政権に対して、台湾の地位について「現状変更」を行わないようにけん制するという、ある意味では緊迫した状態が続くものの、向こう2、3年程度は、大きな衝突はないと見ていいでしょう」

「台湾有事は日本有事」

 しかし逆に言えば、数年後には台湾有事が現実味を帯びてくるという見方もできるということか。佐々木氏は、

「米国での報道によると、昨年のAPEC首脳会議の際に行われた米中首脳会談において、習近平国家主席は『必ず台湾を統一するつもりだ』と語ったといわれています。習氏はその時期こそ明言しなかったものの、2027年以降の台湾有事のリスクは高いと見るべきだと思います。ちょうど習氏の3期目が終わる頃で、4期目を見据え、大仕事を成し遂げたいのだろうという見方が大半です。さらに、米国の大統領選も28年に控えていますから、選挙前の軍事介入はしづらくなる事情も重なってくる。こうした点から、27年が、最もリスクの高まる年だと考えられます」

 決して遠くない未来に、日本の“隣人”をめぐって歴史的な武力衝突が起こりかねないのである。

「日本で台湾有事という言葉を見聞きしても、『台湾海峡を挟んで両国で衝突し合うだけ』などと、あくまで他人事としてとらえている方も多いかもしれませんが、決してそんなことはありません。例えば、中国側としてまずは、台湾を海上から包囲して、エネルギー製品等の必需物資の補給経路を断ったり、上陸の足場にしようとしたりする、封鎖戦略をとる可能性が高いと見られています。仮に米海軍がこの封鎖を解除しようとするなら、現実的には北東部から接近することになるので、つまりは与那国島や石垣島周辺が衝突の舞台になることだってありえるのです」

 さらに、と佐々木氏。

「封鎖戦略とは長期戦が前提。そうなると今のウクライナ戦争のように、数年単位の衝突へと長期化する可能性だってありますから、経済的、社会的な影響は計り知れません。特に、半導体の供給における影響は甚大です。ファンドリー(受託生産)では台湾のTSMCが世界シェアの60%以上を占めていますが、米ランド研究所によれば、米国とその同盟国が、台湾の生産喪失を相殺するのに十分な製造能力を構築するためには、2〜5年かかるといわれています」

 何より、台湾が中国の支配の手に落ちるようなことが起これば、お次は沖縄のリスクが高まってくる。かつて安倍晋三元首相が「台湾有事は日本有事」と発言したことが物議をかもしたが、文字通り日本も当事者の一員なのだ。

「もしトラ」がここでも……

 ここで一つの大きな変動要因となるのが、11月の米大統領選挙だ。

「もしトランプ氏が政権に返り咲くことになれば、台湾をめぐる不確実性は一層高まります。というのも、トランプ氏は何よりディール(取引)を重視する人物であり、『再選したら中国の最恵国待遇を見直す』などと、中国に対する発言も、貿易に関するものに偏っています。仮に中国に貿易戦争で圧力をかけ続け、中国が貿易面で大きく譲歩することがあれば、トランプ政権として、台湾については強くこだわらない可能性もあります。そもそもトランプ氏は以前から台湾を軽視しているきらいがあり、『台湾に半導体産業を奪われた』と公に文句をつけているだけでなく、中国高官の前で『台湾には関心がない』と発言したという話まであるほどです」

 そしてこう続ける。

「次期トランプ政権で、対中国政策のアドバイザーとなることが見込まれているアメリカ・ファースト政策研究所(AFPI)のスティーブ・イェーツ氏ら専門家は、米国による台湾防衛を強く支持しています。他方で、2期目のトランプ氏は政策ポジションではなく、『忠誠心で部下を決める』とも言われており、トランプ氏が再選した場合、こうした専門家の声に耳を傾けるかは未知数です。したがって2期目のトランプ政権では、米国が台湾有事に介入しないというオプションがありうることに留意すべきでしょう」

 だからこそ、日本はあらゆるシナリオを想定して有事に備えておかなければならないという。

「日本にもこれだけのリスクがあるのに、それらに対するシミュレーションができていません。例えば、台湾海峡周辺のシーレーンが封鎖され、恒常的に物資輸送が滞るようになれば、国内は燃料不足に陥り、原発の再稼働を一層進めざるを得なくなってくるかもしれない。そして何より、台湾防衛に日本単独で介入するのは困難ですから、アメリカとの協力体制は不可欠。日本の国益を守るためにも、アメリカに対して台湾防衛の重要性を説き続けることが求められています。加えて、アメリカ政府として、国家安全保障担当大統領副補佐官、国務副長官、国防次官補等が台湾側のカウンターパートと安全保障対話をしているように、日本もアメリカを介して、台湾と意思疎通数だけではなく、当局間での安全保障協議のメカニズムを強化すべきだと思います」

国民党とのパイプ

 その意味で、日本の行き過ぎた民進党支持にも問題があると、佐々木氏は指摘する。

「民進=親日、国民党=親中という極端なラベリングと、民進党とだけ付き合えばよいという極論は、大きな問題です。たしかに、前総統の蔡氏も新総統の頼氏も親日派ですから、日本国内の民進党人気も根強いです。しかし、今回の総統選、国民党および第三勢力である民衆党との得票率は極々僅差で、三つ巴状態でした。さらに、同時に行われた立法院選では国民党が勝利していて、ねじれ状態に陥っています。国民党がこれだけ台湾国内で重要な地位を占めていて、さらに次の選挙では政権交代の可能性もあることを考えると、中国との対話をあきらめ、米国と日本頼みの民進党の言うことばかりを鵜吞みにすることは得策とは言えません」

 実際に、民進党からの情報をもとにした日本人の“台湾像”は、実態とは異なるのだという。

「国民党とのパイプが希薄である以上、日本で得られる情報は、民進党側のバイアスのかかったものが多い。言ってしまえば、日台の防衛費を増額させ、自助努力を促すとともに、自国の武器をより多く売りたいという米国の都合も反映されているわけです。少なくとも、私が現地の関係者と話をする限り、あれだけの人気があるように見える頼氏でも、国民党からは『過激な台湾独立派』という見られ方をしています。日本から見える台湾の姿は、民進党や米国のフィルターを通した後のものであることが多く、必ずしも実態を映したものとは限らないことを、自覚しなければなりません。その意味でもやはり、情緒的な民進党政権への支持に偏り過ぎず、産官学で、国民党とも意思疎通を図っていくことも必要だと思います。蒋介石のひ孫にあたり、国民党の将来のホープと呼ばれている蔣万安台北市長が今月15日から18日まで訪日し、自民党の麻生太郎副総裁や鈴木貴子青年局長と面会していますが、こうした動きは評価すべきでしょう」

デイリー新潮編集部