俳優の竹中直人が東京五輪の開会式出演を直前になって辞退していたことが明らかになった(「文春オンライン」7月28日)。昔演じていたコントの中に障害者に対する「差別的」表現があるからだという。

 これで開会式直前に消えた人物としては、音楽担当の小山田圭吾、演出担当の小林賢太郎に続いて3人目ということになる。

 今のところ、小山田に対しては厳しい声が圧倒的に目立つが、一方で小林、竹中の解任、辞退についての評価は分かれているようだ。

 もちろん「仕方がない」「当然だ」という主張の人も多く存在している。「当然だ」の中の最右翼の一人は、エコノミストの浜矩子氏が挙げられるだろう。浜氏は森喜朗氏の組織委員会会長の辞任から小林の解任までまとめて、こうこき下ろしている。

「激烈な女性蔑視ぶりを露呈した政治家。人気タレントの容姿を侮蔑することがショーアップ効果につながると思ったコピーライター。同級生いじめの「実績」を語ったミュージシャン。ユダヤ人大量虐殺をコントの題材にしたお笑い芸人。何とも、吐き気がするラインアップだ。この人々に共通するものが三つある。三つの無だ。無知・無魂・無涙である。」(「AERA」 2021年8月2日号)

 日頃から安倍政権の経済政策を「アホノミクス」、後継の菅政権についても「スカノミクス」と表現している人物だけあって、今回も実に手厳しい。

 一方、普段は比較的浜氏と近いスタンスの発言も目立つお笑い芸人の村本大輔氏(ウーマンラッシュアワー)は、少なくとも竹中の件については異議があるようだ。竹中辞任のニュースについて、ツイッターでこう述べている(7月29日)

「過去に戻って『2021年の基準でおかしいことを言うなよ』と言っても、できるわけがない。なぜなら普通だから。志村けんのネタなんかおっぱいださせてセクハラよ。それは当時の普通。過去を今の基準で裁く奴は、お前の今が何年後かの極悪だという自覚だけ持っとけよバカ」

 社会風刺的なネタを多く扱っている身としては、数十年前のネタの責任を問うような風潮には黙っていられなかったのだろう。

 彼の言うように、「過去を今の基準」で裁くとどうなるか。

9年前の「ロンドン五輪」の演出

 たとえば9年前に開催されたロンドン五輪の開会式や閉会式を見てみよう。

 オープニングに登場したのはダニエル・クレイグ演じるジェームズ・ボンド。言うまでもなくイギリスが誇る腕利きの情報工作員である。日本も含む西側諸国にとっては頼もしい存在かもしれないが、ソ連などにとっては長年、好ましい人物ではなかった。数多くの同胞を殺されている。

 何より彼は殺しのライセンスまで持っている物騒な人物であり、「平和の祭典」に相応しくない、とうるさい人ならば言うかもしれない。ボンドは架空の人物だ、というのであれば、小林や竹中のコントに登場したのも一種のキャラクターだろう。

 このロンドン五輪開会式にはポール・マッカートニーも出演している。世界中で愛されるミュージシャンで親日家としても知られる。しかし彼が来日時に大麻所持で逮捕された直後、「フローズン・ジャップ(冷たい日本人)」というタイトルの曲を発表したことは比較的よく知られたエピソードである。本人は「差別の意図はなかった」と主張しているし、実際に悪気はなかったというのが定説となっている。インストなので歌詞もない。が、通常「ジャップ」が日本人の蔑称であることは常識だから、揚げ足を取ろうと思えば簡単だろう。

 開会式にはMr.ビーンことローワン・アトキンソンも登場した。これについては、ある種の障害を抱えた人物を戯画化して笑い物にしたコメディだという批判者が数多く存在している。

 さらに閉会式で一部好事家を喜ばせたのは、エリック・アイドルの登場だった。イギリスが誇るコメディ集団、モンティ・パイソンのメンバーである。ブラック・ユーモアが売りの一つだったモンティ・パイソンのネタが現在の視点で見た際に、どれだけ危ないものか、このあたりはネットで検索すればすぐにわかる。ユーチューブでもとんでもないネタを見ることが可能だ。ある時期まで、日本に限らず欧米でも、この手の「不謹慎な笑い」は数多く存在していた。またかなり最近まで日本人やアジア人を嘲笑するかのような描写を含む作品は珍しくなかった。ある種の「差別ギャグ」については日本よりも欧米の方が盛んだった時期がある。

 このため小林が解任された直後から「ロンドン五輪でのモンティ・パイソンはOKだったじゃないか」という声はネット上でも一部で上がっていた。

決定的に鈍かった東京五輪の組織委員会

 ロンドンではほとんど見られなかったこの種の問題が、東京で頻出したのはなぜか。もちろんそれぞれの組織委員会の危機管理能力、事前の準備力の差もあるのだろう。

 また見逃せないのは、より一層、社会がこうした問題にナーバスになっているという点だ。いわゆる「ポリコレ」(ポリティカル・コレクトネス=政治的正しさ)を他者に求める姿勢は年々、いや日々強くなっているといっても過言ではないかもしれない。

 この点に東京五輪の組織委員会は決定的に鈍かった。

 企業相手の危機管理コンサルティングを行っている(株)リスク・ヘッジの代表取締役社長、田中優介氏の著書『地雷を踏むな』にはこんな一節がある。

「昔ならば、『地雷』のマップはかなり固定的でわかりやすいものでした。こことあそこに埋まっている、ということを知っておけば、その知識はかなり長持ちしたのです。実際の戦場でも地雷は一度埋められたら勝手に動くことはありません。だから、マップさえあれば避けて通ることは可能でしょう。

 ところが、インターネットも登場し、価値観が多様化した現代は、こうした固定的なマップが通用しない時代です。『地雷』が勝手に動き回るような状況だと考えていただければいいでしょうか。いや、より正確に言えば、『地雷』が勝手に分裂して増殖していくような状況だと言えるかもしれません」

 ロンドン五輪はわずか9年前だが、ポリコレ意識が高まったことで、あの頃より現在のほうが「地雷」のように触れてはいけないものが増殖しているのは確かだろう。公的なイベントに関わる組織、自治体、企業にとっては何とも難しい時代になってしまったのは間違いない。

 となると、今後注目されるのは来年開催される予定の北京冬季五輪だ。言うまでもなく開催国、中国は現在進行形で人権侵害を行っている、という国際社会の声は大きい。少数民族への差別的な政策、香港での弾圧などは「過去の悪行」ではない。芸能人らの問題とは深刻さも被害もケタが違うわけだが――。

デイリー新潮編集部

2021年7月31日 掲載