ウラジオストクの日本総領事館に勤務する領事がスパイ容疑で拘束された事件は、なぜ起きたのか。ロシア治安当局FSBが作成した「証拠映像」を分析すると、ロシア側の“作為”が浮かび上がってくる。今回に限らず最近のロシアでは、日本人をスパイにでっち上げ、さらには“プロパガンダ”に利用するケースが起きているのである。

 ***

舞台は日本料理店

 動画は薄暗い飲食店の隅のテーブルで、男女が向き合うシーンから始まる。奥に座るのは胸のあたりまで髪を下ろした女性で、顔にモザイクがかけられている。手前にはスーツ姿の男性が座っている(男性のモザイク処理は編集部による。元の動画では素顔が晒されている)。

 画面中央に不自然に映り込む「箸立て」。どうやら場所は日本料理店で、別の席から隠し撮りしているようだ。

 女性が書類らしきものを差し出すと、男性は両手で受け取り、確かめるような動作を見せてからどこかにしまった。その間、女性はメニュー表をパラパラとめくっている。書類を入手し男性はほっとしたのか、髪の毛をかき分けながら背後を確認するかのようにくるりと振り向いた。薄暗い店内で男性の白い歯が怪しく光る。

 そこから急に場面は車が行き交う街中へと切り替わった。画面中央に映し出されるのは「FSB沿海地方局」と書かれた建物。すぐに再び場面が切り替わり、今度はオフィスのような場所で日本人男性が一人で机を前に座っているシーンが映し出される。先ほど隠し撮りされていた男性だ。

 観念したかのように首を垂れる男性に向かって、通訳らしき女性が画面外からたどたどしい日本語で話しかける。

「罪」を認めた男性

「ロシアの法律を違反することをわかっていますか」

 うなずきながら「いまわかりました」と答える男性。男性の背後にある窓には、顔は見えないが別の男性が写り込んでいて、圧をかけるようにして立っている。再び女性が、

「ロシアの内部の情報とか、情報をもらったことがわかりますか」

 と畳みかけると、男性はあきらめきった表情で淡々とこう答えた。

「あのー、えーっと、いまはわかりました」

 この1分弱の動画が、いまロシアのニュース番組では繰り返し流されている。FSBが摘発した日本人外交官スパイ「タツノリ・モトキ」による犯行の「決定的証拠」として報じられているのである。

目隠しをされて連行された

 9月27日、ロシアはこの日本人領事を「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」に指定し48時間以内の国外退去を通告したと発表した。一方、林外務大臣は「ロシア側の行為は領事関係に関するウィーン条約および日ソ領事条約への明確かつ重大な違反」と猛抗議している。

 領事は本当にスパイ行為を働いていたのだろうか。外務省関係者は「でっちあげの可能性が高い」と指摘する。

「戦争が起きているこの状況下で、日本の外交官がリスクを冒して映画に出てくるようなスパイ活動をするわけがない。現地では、領事が受け取った書類にロシアとアジア太平洋地域の他国との協力関係や、西側諸国が科した制裁のロシア極東・沿海地方への影響に関する機密情報が含まれていたと報道されていますが、極めて怪しい。ロシアでは公然の情報を調査しただけでも、『スパイ』に仕立て上げられることが日常茶飯事だからです。金銭と引き換えだったとも伝えられているが、単に食事代をおごっただけなのかもしれない。女性がFSBの囮捜査官で、ハメられてしまった可能性も十分考えられます」

 “罪”を認める供述をしている点については、

「領事は拘束後、日本総領事館や本省に連絡を取れないようにスマートフォンを取り上げられたばかりか、目隠しされ、両手と頭を押さえつけられた身動きがとれない状態で連行されたと本省に報告しています。尋問の際には、取調官に髪を掴まれ威圧されたとも。罪を認めない限り釈放してくれなかったのでしょう」(同)

 動画で領事が見せていた微妙な表情には、ちゃんと理由があったのである。

2年前には共同通信記者も“餌食”に…

 日本人がFSBのターゲットにされる事件は、同じウラジオストクで2年前にも起きていた。19年12月に共同通信の記者が、「ロシアの軍事機密情報を入手しようとした」としてスパイ容疑で拘束され、国外追放処分になった。

「共同の記者は、拘束される3カ月前に、ロシア軍がオホーツク海への敵艦隊侵入を阻むために、千島列島の2島で新型地対空ミサイルの配備を進めていると内部文書をもとに記事にしたのですが、これが軍当局の逆鱗に触れた」(ロシア事情に詳しいジャーナリスト)

 この時も「証拠映像」が隠し撮られていた。

「飲食店で記者がロシア人男性と食事している様子です。今回と同様に記者の顔まで写った動画が全国放送で晒された。かわいそうにこの記者は取材していただけなのに『日本の特務機関員』とされ、悪い日本人が暗躍していると国民に印象づけるプロパガンダに使われたのです。ちなみに、共同通信のウラジオストック支局にはその後、代わりの特派員が入れ替わりで入りました。つまり、当局は記者の行動をそこまで問題視していたわけでもないのです」(同)

日本人シェフをめぐる“奇妙な報道”

 今回は国際法で身分が保証されている外交官への暴挙だ。さらに一歩踏み込んだわけだが、「いまのロシアが置かれている状況を考えると、日本との外交リスクを冒してでもプロパガンダを行う動機はある」と前出の外務省関係者は続ける。

「戦争が始まり日本が欧米に倣って対ロ制裁を発動した時点で、北方領土問題など遠い彼方。今やロシアにとって日本は“敵国”です。一方、いまプーチン政権は国内の厭戦ムードに悩まされている。21日の部分動員令発令後、徴兵事務所が襲撃されたり、徴兵該当者が焼身自殺を図るなど大変な騒ぎです。そんな中、“敵国”が国内で悪事を働いていると喧伝することで、国民の愛国心を喚起したり、締め付けを図る狙いがあるのです」

 今年6月には、ある日本人を巡って奇妙な報道も見受けられた。サンクトペテルブルクの有名レストランで働く日本人シェフが暴行容疑で逮捕されたというニュースだ。ロシアの国営通信社「スプートニク」日本語版ではこう伝えている。

〈サンクトペテルブルクの裁判所は5日、妻の連れ子を虐待した疑いで、日本人シェフのX容疑者(※記事では実名)の逮捕状を発付した。サンクトペテルブルク市裁判所統一報道部が発表した。 X容疑者の妻で14歳〜17歳の3人の子どもの母親が、先に警察に通報した。当事者双方から話を聞いたコムソモリスカヤ・プラウダ紙によると、X容疑者は子どもたちが何か悪いことをした場合、腕を伸ばしたまま一点を見て8時間跪かせ、トイレに行くことも許さなかった。また容疑者は妻のことを殴り、妻の顔半分に麻痺が残ったという。さらに妻の話によると、容疑者はモスクワの有名レストランで働いていたとき、従業員に皿を投げたため解雇された。高温の油が入った鍋を従業員に向かって投げたこともあった。争いは揉み消されたという〉

帰国までの長い道のり

 このニュースも今回同様、容疑者の写真入りで大々的に報じられた。だが、いまのロシア国内の報道を鵜呑みにすることは危うい。読めばわかる通り、ドメスティックな争いを一方的な言い分のみで報じた内容である。

「なぜあえてこの事件を大きく扱うのか」。ロシア在住の日本人はこの報道についても、一様に違和感を抱いたという。前出の外務省関係者は「日本人の凶暴性を印象づけるために、プーチン政権が報道機関に圧をかけた可能性が高い」と分析する。

 48時間以内の国外追放になった外交官だが、実はまだ帰国できていない。平時ならばウラジオストクからは2時間20分のフライトで成田空港に戻れるのだが、いまは日本−ロシア間で直行便が飛んでいないのだ。

「28日にウラジオストクからモスクワに向かったそうです。そこから中東を経由しての帰国となるので、日本に着くにはまだ時間がかかると思われます」(前出のジャーナリスト)

 今回の件を受け、日本の外事警察がカウンターとしてロシア人スパイを摘発する準備を進めているという情報も出回っている。日本は横暴を極めるロシアに毅然とした態度で立ち向かうべきである。

デイリー新潮編集部