日本では現在、「ルフィ」が指示役をつとめた連続強盗事件の滞在先としてフィリピンが注目を集めている。だが、目下フィリピン国民が関心をよせるのは、この「モデル兼実業家の殺人事件」だ。【大塚智彦/フリーランスライター】
地元マスコミが事件を連日のように大きく取り上げる理由は主に3つある。被害者のイヴォネット・チュア・プラザさん(38)が「美人」であるという通俗的な関心に加え、監視カメラに捉えられていた犯行の様子が、2人の男による至近距離からの射殺という生々しいものであること。そして最大の理由が、事件の黒幕に現役陸軍准将というフィリピン軍の高級幹部が浮上しているからである。
自宅前で至近距離から射殺
事件が起きたのは年末も押しせまった2022年12月29日のことだった。現場はフィリピン南部ミンダナオ島ダバオ・デル・スル州のダバオ市グリーンメドウ地区キンボウ・ゲストリートのビューロック18番にあるイヴォネットさんの自宅である。午後7時半ごろ、自家用車の三菱モンテロ・スポーツで帰宅し自宅に入ろうとしていた彼女に、正体不明の男2人が乗ったオートバイが近づいた。そして後部座席の男がバイクを降り、イヴォネットさんに向けて数10センチの至近距離から発砲したのだ。
イヴォネットさんはその場で即死し、男2人はバイクで逃走した。
一連の犯行の様子は。現場近くにあったCCTV(監視カメラ)に記録されており、フィリピンのテレビや新聞はその静止画像を一斉に報道した。血痕が残る地面や、横たわるイヴォネットさんの遺体もモザイクがかけられた状態でメディアで広く流された。
モデル兼実業家として活躍
モデルとして活躍していたイヴォネットさんは、製薬ビジネスに携わる実業家としての顔も持ち、地元ダバオでは有名人だったという。
事件当初は、仕事関係のトラブルに巻き込まれたのではないかとの見方や、モデルとしての活躍に恨みを抱く者の犯行、あるいは事件当日にイヴォネットさんの車と2人組が乗ったバイクとの間でなんらかの交通トラブルがあり巻き込まれたのではともいわれていた。
が、それは瞬く間に否定されることになった。
決め手はイヴォネットさんのFacebookにアップされていた複数の写真だった。
殴られた跡が痛々しい写真
その複数の写真が撮影されたのは2022年4月。自宅ベッドとみられる場所で、横たわるイヴォネットさんが自らの顔を接写したものだった。
彼女の顔右半分には、眼のまわりや頬に殴打されたと思しきあざが残っている。内側が切れて出血している下唇を見せてもいて、加えて投稿に〈ヘス・ドゥランテがこれを私にやった〉とのコメントをつけているのだ。
事件によってこの写真が掘り返され、件の「ヘス・ドゥランテ」とは、ダバオ・デ・オロ州にある陸軍1001歩兵旅団の司令官で陸軍准将の地位にある、ヘスス・デュランテIII准将であることが明らかにされた。このためイヴォネットさんを負傷させたデュランテ准将が、殺害にも関与しているとの見方が一気に広がったのである。デュランテ准将はドゥテルテ前大統領の大統領警護隊の隊長も務めたこともある、陸軍のエリートだった。
関与否定するも拘留され司令官解任
当初デュランテ准将は、マスコミを通じ事件への関与を全面的に否定した。「私の名前が取り沙汰されているのはイヴォネットさんのFacebookにあった傷害を受けた写真が理由だろう」と認めたうえで「彼女は友人であるが、例の写真はその後彼女自身が削除し、私が負わせた傷害ではないと明らかにしている」と殺害はもちろん傷害にも関与していないと主張。さらに「イヴォネットさんの殺害は悲しいことで遺族に哀悼の意を示す。正義が下されることを祈る」と事件の第三者であるとの姿勢を強調してもいる。
しかしイヴォネットさんのFacebookは現在、問題の「暴行写真」が掲載されている。彼女の友人らの手によって再アップされたもので、さらにはデュランテ准将の写真も載っているのだ。
政府が特捜チーム設置
事態を重く見た政府は1月2日に特別捜査チームを設置し、警察や軍と協力して本格的な真相解明に乗り出すことを決定した。アバロス内務相はダバオに飛び、1月6日に地元関係者と共に遺族と面会、哀悼の意を示すとともに事情を聞く異例の対応を見せた。
警察による捜査によって、事件前にイヴォネットさんが友人に漏らしていた話から彼女が既婚者である准将と愛人関係にあったこと、軍の機密情報を入手した彼女が准将を脅していたことなどが明らかにされた。殺害にデュランテ准将が関与していた疑いが濃厚に。
そして1月11日、特捜チームはデュランテ准将を殺害事件の黒幕とし、陸軍軍人8人の事件への関与を認定したのだった。軍も捜査に乗り出し、准将の身柄を拘束した上で旅団長の職を解任、ルソン島マニラ近郊タギッグにある陸軍本部に身柄を移送して拘留することとなった。
実行犯の兵士が准将の関与を証言
地元メディアの報道によると、決め手となったのは、射殺の実行犯として拘束中のデルフィン・シアルサ2等兵とアドリアン・チャチェロ伍長が「黒幕はデュランテ准将だ」と証言したことだという。事件当日、バイクを運転していたのがチャチェロ伍長、射殺を実行したのがシアルサ2等兵であることが軍の捜査で明らかになっている。
このほか2人の逃走を手助けしたり、周辺の監視をしたなどの容疑で、陸軍兵士たちが容疑者となった。デュランテ准将が部下の兵士を使って犯行に及んだというのがほぼ確実だ。
陸軍司令官のロミオ・ブラウナー中将はメディアに「フィリピン陸軍は軍人によるいかなる犯罪行為も許すことはない。よって殺害への関与で名前が上がったデュランテ准将を旅団司令官から解任し、公平で徹底的な捜査に協力している」また「陸軍は将校であろうと兵士であろうと不正行為や犯罪を容認しない。過ちを起こした場合、将校も兵士も同じ扱いを受ける」として、軍として准将を“特別扱い”することはあり得ないと強調した。
ただし、会見に立った特捜チームの報道官ユーディアサン・グルティアノ大佐は、殺害の背景に「軍の機密情報が関係している」としつつ、その情報の詳細については全く明らかにしていない。
だが、イヴォネットさんが軍の「機密情報」を直接入手したとは考えにくく、もし機密情報が動機とすれば、それはデュランテ准将から「寝物語」などで漏らされたものである可能性が高いとみられている。であれば准将に情状酌量の余地はまったくない。
これ以上の真相追及は、デュランテ准将以下、犯行に関与した兵士の良心にかかっているといえる。
大塚智彦(フリーランスライター)
デイリー新潮編集部