演奏するのに18時間かかるといわれる、エリック・サティのピアノ曲『ヴェクサシオン』。28時間もの上演時間を要するといわれる、カールハインツ・シュトックハウゼンのオペラ曲『光』。

 音楽の世界には、常軌を逸するような長時間の楽曲が存在する。本作に登場する曲もそのひとつ。ある少年が遺した合奏曲『真空で聞こえる音』は、演奏時間が36時間もある壮大な作品だ。この曲を通しで演奏するという試みに、“俺”こと相馬智成は巻き込まれる――。

 応募総数4355本。日本最大級の新人賞、電撃小説大賞の本年度第27回で、《メディアワークス文庫賞》を受賞した『君と、眠らないまま夢をみる』(遠野海人/メディアワークス文庫/KADOKAWA)が発売された。

 朝の新聞配達のアルバイトと、その帰りに鴨川の河川敷を歩くのを日課としている高校3年生の智成。桜の散った春の終わりに、亡き友人・恭介の妹から「兄の遺した曲を文化祭で演奏するのに手を貸してほしい」と頼まれる。

 智成と恭介は5歳の時に出会い、十年来の仲だった。トランペットを習っていた智成は、作曲の才能を持つ恭介の作る曲を数限りなく吹いていた。しかし4年前、恭介が事故で死んで以来、智成はトランペットから距離を置くようになる。

 そんな彼の前に、4年ぶりに恭介の妹・優子が現れる。恭介の遺作『真空で聞こえる音』をなんとしても演奏したい――。そう訴える優子の勢いに押されるようにして、このプロジェクトに参加する。

 人間は死ぬことで時が止まる。恭介は生という歩みを止めた14歳のまま年をとることはなく、対して智成と優子は年をとり続ける。

 生きることで人は変わる。この4年間で智成は変わった。トランペットをやめて、高校に進学し、アルバイトをはじめ、そして死者が見えるようになった。

 新聞配達をしている夜明け前から日の出にかけて、京都の街のそこここに漂っている死者の姿を、彼の目は捉えるようになっていた。それは智成だけでなく、優子もそうだった。恐れ知らずの優子は、京都御苑の中心地、通称「御所」で楽器を演奏している死者たちに、協力を求める。かくして生者と死者の合奏団が編成される。

 この物語にはさまざまな「喪失」と「心残り」がある。

 兄の死を受け入れられない優子。満足のいく結果を残せないまま引退することに、忸怩たる思いを抱く吹奏楽部の部長。部活動にのめり込む危うさを知っている顧問教師。最愛の弟に後ろ髪を引かれる死者。そして、亡き友人にまつわるものを全て捨てることで、先へ進めると思い込んでいた智成。

 彼らの心情が交錯するクライマックス、36時間のマラソン演奏会は圧巻だ。音が楽しいと書いてまさに「音楽」そのものの恍惚と喜びが、行間からあふれてくる。そうして終盤、智成のソロ演奏のさなかに、ある奇跡が舞い降りる。それによって生者も、たぶん死者も救われる。

 終わることで前に進む。進むことで時が動く。喪失は再生につながっている。

 生きること、死ぬこと、思いを受けとること、手放すこと。そんなたくさんの感情が絡まりあい溶けあって、交響曲のような豊穣な調べを奏でている。

文=皆川ちか