職場のパワハラや長時間労働に悩んでいるなど、明らかに環境を変えた方がいいと分かっているのに、踏み出せずにいませんか? うつ病でも会社を辞められなかった40代男性が、転職に成功するまでの8カ月間でやったことを紹介します。【記事前編】(公認心理師 柳川由美子)


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パワハラ上司のいる職場を辞められない

「会社では人に話しかけるのも、話しかけられるのも大の苦手なんです」

 初めてのカウンセリングで40代の男性Aさんがそう言った時、私は驚きました。なぜなら、初回では緊張気味な相談者さんが多い中、Aさんはどんどん言葉が出てきて、むしろ話し好きな人なのだろうと想像していたからです。とても感じが良く、職場ではリーダー的な立場なのかな、とさえ思っていました。

 ところが、朝起きると会社に行くことがとにかく苦痛だといいます。大手企業で技術者として働くAさんですが、誰が乗って来るか分からないオフィスのエレベーターや、知らない人が隣に座るときもある社員食堂では、常に緊張してしまうそうです。

 実はAさんは長年、心療内科に通っていました。適応障害に伴う「うつ」と診断されて薬を服用してきましたが、「このままずっと薬をやめられないのは嫌だ」と、私のクリニックに来られたのです。一時、休職したこともあったそうですが、今はまた忙しい仕事を続けていて、よく眠れない、倦怠(けんたい)感が続く、食欲不振など、適応障害の人に多い症状も出ていました。

 会社がツライというAさん。それは人への恐怖やハードな仕事だけが理由ではありません。「上司が威圧的で、部下がミスをしたり、自分とは異なる意見を言ったりするとすぐに怒鳴るんです」

 毎日、上司の怒鳴り声を聞き、叱られている同僚の姿を見ているのはいたたまれない。転職したいが、こんな自分には転職なんてできない。だが、このまま会社に居続ける自信もないし、時には生きているのがつらくなることもある――というのがAさんの訴えでした。

 ただ、Aさん自身が怒鳴られることはないそうで、その理由を尋ねると「私は上司に意見を言うことはないので、協調性があると思われているんでしょうね。でも、それは違うんです」とさめた口調。「そもそも私は、人に意見することがほとんどありません。人の言うことは大体いつも正しく聞こえて、自分の考えはどれも駄目だと思ってしまうから。それで、人に意見しないだけです」

 経歴や職場での立場を伺う限り、Aさんはとても優秀な人です。話していても頭の良い人なのだと分かります。しかし、人に褒められてもそれを自分が受け入れられないそう。これまで心理学に関する本もたくさん読まれているAさんは、そうした自分の感覚や生きづらさの原因が、「自己肯定感の低さ」にあると気付いていました。

 そこで、自己肯定感を高めること、人に対する恐怖を取り除くことを目標に、カウンセリングをスタートしました。

カウンセリング後に転職する人が多い理由

 私のカウンセリングでは初めに期間と回数を決めてスタートし、延長するかどうかは相談者さんに決めてもらっています。Aさんは複数の心理療法と、日常的に自ら行うワークをいくつか実践すると、それらを始めて約8カ月後には「職場で人と緊張せずに話せるようになった」とうれしそうに報告してくれました。

 その時はまだ1回分カウンセリングが残っていたのですが、Aさんは「卒業します」と宣言。「では、残り1回分は半年後に行いましょう」と約束して、いったん終了となりました。

 半年後、カウンセリングで再会したAさんは、とても明るい表情でした。「以前は常に漠然とした不安がありましたが、今はそれがなくなりました。体調も良いです」。しかも、前回のカウンセリング直後に転職にも踏み切り、すでに新しい職場で働いているということでした。

 実はカウンセリングを卒業後、転職される相談者さんはとても多いです。体調が良くなったことはもちろん、心の底に抱えてきたさまざまな不安がなくなったことが大きいでしょう。

 根底に不安があると、体も心も緊張で萎縮してしまい、状況に最も適した発想や行動ができにくくなります。しかし、カウンセリングを通して不安を払拭し、さらに気持ちの切り替えや自分を大切にする重要性を知ったことで、冷静に自分の状況を見つめられるようになります。そうなって初めて、人は大きな決断ができるようになるのです。実際に、全く異業種への転職や40代での起業、あるいは前向きな離婚をされた方もいます。

 さて、それでは具体的にAさんはどのような心理療法とワークを実践したのでしょうか。また、カウンセリングの初期で明らかになった、意外な「内面の問題」とは? 仕事やプライベートで悩みがちな40代男性でも、専門家の下で簡単に取り組める方法を、記事の後編で紹介します。

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