ジャニーさんが語った3つの夢 そして新社長は? 滝沢秀明は?

ジャニーさんが語った3つの夢 そして新社長は? 滝沢秀明は?

 日本の芸能界をリードしたジャニー喜多川さんが7月9日、くも膜下出血で亡くなった。87歳だった。12日に営まれた家族葬では、タレントの名前が刻まれたプレートが遺影を囲んだという。ジャニーさんが50年がかりで追いかけた夢は、自身が育てた次世代に受け継がれていく。



*  *  *
「出会いと深い絆に感謝します。YOU、天国で待っててよ」(東山紀之)

 ジャニーさんの訃報を受け、翌日からジャニーズ事務所の所属タレントが次々とコメントを発表した。

「常に現場に立ち続けた姿勢を手本にさせて頂きます」(木村拓哉)

「ジャニーさんと出会えたことで僕の人生は大きく変わりました。嵐をつくってくれてありがとう。感謝です。感謝でしかないです」(大野智)

「少年のような心を持った男でした。僕が音楽や作品にここまで情熱的になれたのも、あなたの作品や表現者に対する情熱を見てきたからこそだと思います。あなたは最高です。最高以外の言葉が見つかりません」(長瀬智也)

 ジャニーさんは6月18日、自宅で倒れ、都内の病院に救急搬送された。入院先に所属タレントが入れ代わり立ち代わりお見舞いに訪れていた。しかし、危機を脱することはできず、9日午後、永い眠りについた。

 ジャニーさんは、最近まで自らがプロデュースする舞台やコンサートに足を運んでいたという。放送作家の山田美保子さんは明かす。

「ここ1、2年、車椅子を持っている人が近くについていらっしゃいましたが、完全に乗っている姿を私は見たことがありません。私たちの目に触れるような場所では、絶対にシャキッと立っていらっしゃる。夢を売るお仕事、周囲に気を使わせたくなかったのではないでしょうか」

 日本の芸能界をリードしてきたジャニーさん。ここで改めて、その人生を振り返ってみたい。

 ジャニー喜多川、本名喜多川擴(ひろむ)。僧侶の父が布教で訪れた米国で日本人女性と結婚、1931年にカリフォルニア州で誕生する。

 帰国後は在日米軍関連施設に居を構えていた。近くのグラウンドで、ジャニーさんは少年野球チームを結成。チーム名は「ジャニーズ」。62年、映画「ウエスト・サイド物語」に影響され、日本で本格的なミュージカル公演を目指し、選手の中から4人抜てきし、アイドルグループ「ジャニーズ」を結成、5歳上の姉・藤島メリーさんと、ジャニーズ事務所を創設した。

 週刊誌記者としてジャニーさんと密接に関わった時期があり、著書『異能の男ジャニー喜多川』などがある作家の小菅宏さんは、ジャニーさんの「僕は12、13歳の少年の顔を見れば、彼が40歳になったときの顔まで想像できる」という言葉が忘れられないそうだ。

「その将来を見いだすことができる少年こそが、僕にとっての『仲間』なんだと言っていました」

 この言葉を裏付けるように、フォーリーブス、郷ひろみ、田原俊彦、近藤真彦、少年隊、SMAP、KinKi Kids、嵐など、数多くのトップアイドルが輩出した。2011年にはその功績が、ギネス世界記録にも認定された。

 芸能プロ関係者は言う。

「男性アイドルというジャンルを育てた第一人者。芸能界に大きな功績を残したと思います」

 ジャニーさんには、タレントの育成に独自の「哲学」があった。朝日新聞のインタビュー(17年)で、最も重視するのは「やる気」だと答えている。

「顔で選ぶんですかとよく聞かれますが、たとえば井ノ原(快彦)はジャニーズ顔ですか? 彼も朝の番組でがんばっていますが、要は、本気で闘っているかどうか」

 11年のインタビューでも、次のように話している。

「大切なのはルックスよりやる気。光GENJIを結成する時、彼らにローラースケート滑れるの、と聞いたら『滑れない。でも楽しそうだからやってみたい』と。で、1時間後にはスイスイ滑ってる。好きこそものの上手なれ、です」

 その代わり、芸には厳しく、評価に手加減はしない。Hey! Say! JUMPの薮宏太も、14年の「AERA」のインタビューにこう答えていた。

「めったに褒めてはくれませんし、毎日のように演出の変更があったので、全然満足してはいないでしょうね。満足しないからこそショーを作り続けているのだと思います」

 ジャニーさんの「褒めない」姿勢について、東山は著書で分析している。

<そこで傷つき、落ち込んでいるようではダメなのだ。ジャニーさんの狙いもそこにある。タレントは負けず嫌いでないと、伸びない。……僕らの内なる闘争心に火をつけるのが、実にうまい>(朝日文庫『カワサキ・キッド』)

 一方で、子や孫ほど年の離れたタレントから「ジャニーさん」「社長」と慕われていた。

「ジャニーさんは、彼らに対し、絶対に上から目線で接しない。対等な『仲間』なんです」(小菅さん)

 裏方的な仕事も積極的に行っていたと前出の山田さんは言う。

「現場でジャニーさんが自らイスを片付けている姿を見たこともあります。オーディションのときに、掃除のおじさんかと思った人がジャニーさん本人だったという『あるある』もありますよね。舞台が終わった後、孫くらいの年齢のアーティストに『お疲れ、よかったよ』とねぎらう言葉をかけている姿も見ました」

 そして、ときには芸以外で厳しくタレントを叱ることがあったそうだ。

「言葉遣いにはうるさかったですね。乱暴で失礼な言葉遣いは、すぐ注意していました」(小菅さん)

 ジャニーさんは、前出の朝日新聞インタビューで次のように語っている。

「親御さんから信頼を受け、大事なお子さんを預かる以上、私も命をかけて自分の子のように教育しようと思ってやってきた」

 所属タレントにとって父親のような存在だったジャニーさん。TOKIOのリーダー・城島茂は過去のインタビューで、ジャニーさんの言葉について語った。

「先輩のコンサートを見に行けば『ユー、ステージに出ちゃいなよ』。バックダンスの振り付けを覚えるのに苦労をしていると『新しい振り付け、考えちゃいなよ』。『むちゃぶり』とも思える言葉にデビュー前から鍛えられたから、何でもやれた」(17年、朝日新聞)

 国分太一は、今回、次のようなコメントを寄せた。

「僕の心の中には『YOUやっちゃいなよ』という言葉がずっと胸の中にあります。この言葉で、新たな挑戦が出来るようになったんだと思っています。感謝しかありません」

 小菅さんは言う。

「『ユーはできる。できないんじゃない、ユーはしないだけなんだ』とよく言っていました。その言葉が後押しになったと、みな異口同音に言っていました」

 ジャニーさんといえば、舞台。「PLAYZONE」「SHOCK」「DREAM BOYS」「少年たち」「滝沢歌舞伎」……舞台への情熱なくして、ジャニーさんの半生を語ることはできない。

 11年の朝日新聞インタビューでこう語っている。

「ブロードウェーに負けたくないという気持ちでやってきました。ブロードウェーあってのショービジネスと言われるけれど、日本から世界に認められるショーを発信していきたい」

 映画演劇評論家の萩尾瞳さんは、舞台人・ジャニー喜多川について、「若いころからブロードウェーミュージカルがお好きで、早い時期から独自のミュージカルを作ろうとなさっていたのが非常に大きな功績です。日本のミュージカル史の一端を担いつつ、ラスベガスのショーの要素も盛り込んで他とは違うオリジナルミュージカルを作り上げていきました」と語る。

「ステージングや舞台転換のうまさはもちろん、舞台機構を駆使されるのもセンスを感じます。青山劇場や帝国劇場の舞台機構を最もうまく使いこなされていたのではないでしょうか」

 こだわったのは「本物」に触れること。機会があるごとに最先端の技術だけでなく、旬の作曲家や演出家を海外から連れてきた。

「『ドリームガールズ』の作曲家ヘンリー・クリーガーや、マイケル・ジャクソンの振り付けを担当したマイケル・ピータース、現在はその弟子にあたるトラヴィス・ペインなど、旬の人、最先端の人を海外から連れてきたりする。その目配りやアンテナ、しかも本当に頼めるという人脈と人柄にも、舞台にかける思いを感じます」(萩尾さん)

 前出の小菅さんは、まだ30代だったジャニーさんが、自分には3つの夢があると語ってくれたことがあったと言う。

 ひとつは、ジャニーさんが気に入った少年たちを集めて宝塚方式に、年齢やキャリア別にメンバーを振り分け、一つのステージを作り上げていくこと。そういったスタイルはほどなく確立された。ジャニーズのステージでは、前列にデビューしたグループやJr.のトップのグループがいて、中列、後列に後輩が並ぶ。

「ふたつ目は、ゴールデンタイムのテレビ番組に、所属タレント全員を出すこと。3つ目が、自分の作品の公演もできる専用の劇場を持つこと。これも、東京グローブ座でかないました。ジャニーさんは『見てて、今に僕、全部やるから』と断言しました。当時は全然信じられませんでしたが、本当に全部実現しましたからね」(小菅さん)

 希代のプロデューサーを失ったジャニーズ事務所。その存在はあまりに大きく、今後の行く末を心配する声もあるが……。

 ジャニーさんが最後まで命を懸けていたのはジャニーズJr.と呼ばれるデビュー前の若手たちの育成だった。6月18日に倒れる前日もジャニーズJr.の番組収録に立ち会っていたという。

 国分は7月10日、MCをつとめる情報番組「ビビット」で、ジャニーさんを、ジャニーさんが好きだった野球にたとえて「ジャニーさんは2軍の監督だと思う。1軍ではない。2軍には若手たちがいるじゃないですか。基礎や精神論を教えた。1軍にあがるときにはもうプロフェッショナルになっている自分たちにあとは自分で考えてやりなさいというような精神を教えてくれた」と語った。

 長年ジャニーズを取材してきた朝日新聞記者は、Jr.について明かす。

「ここ5年ほどで格段にレベルアップ。SixTONES、Snow Man、Travis Japan、HiHi Jets、美 少年など、デビュー前なのに単独コンサートを開く人気ユニットがいくつもあり、歌もダンスもうまく、スタイルもよい。K−POPのように海外に通用する実力も備えています。本人たちも世界を見据えているのが特徴です」

 今年8月には総勢300人のJr.だけのコンサートも開かれる予定だ。Jr.は、まだ平均年齢が10代のグループもあり、ファンも若い。

「絶えず若いファンを再生することでジャニーズは50年間、人気を維持してきた。ジャニーさんが渾身の力をふりしぼって育成した成果が実り、畑が非常に肥沃な土地になっているところ。とても良い状態でバトンタッチされていると思う。デビュー後のグループの解散やメンバーの脱退などばかりが話題になりますが、基礎的な部分が盤石なのは大きい」(朝日新聞記者)

 新しく社長に就任するとみられ、これまでも「1軍の監督」だったのは藤島ジュリー景子さんだ。

「プロデューサーとしての実績と手腕は高く評価されるべき。嵐がブレークしたのもジュリーさんの手腕によるもの。ジャニーさんとはまた違う感性があり、タレントの個性の幅を広げ、多くのファン層を獲得してきた」(同)

 一方、「2軍」の監督は、新会社ジャニーズアイランドの社長に就任した滝沢秀明。滝沢は20歳のころにこんな発言をしている。

「本当になりたいのは『プロデューサー』って言われる人かもしれない。特にジャニーさんになりたい! 小さいころからショーを作ることがすごく好きだったんです。ジャニーさんにひっついて『俺も海外行く!』って」(月刊アサヒグラフ「person」02年5月号)

 滝沢について、アイドル評論家の西条昇・江戸川大教授は話す。

「ジャニーさんから直接指導を受ける機会も多かったが、同じ人間ではありませんから、個性は出てくる。でも、何も変えないという方針は逆にジャニーイズムではないと思います。ジャニーさんは、同じ舞台の演目でも構成も出演者も毎回大きく変えていました。根幹は残しながら、趣向をこらしたりしていくことが、タッキーがジャニーイズムを継いでいくことになるのではないでしょうか」

 さらに、滝沢ならではの強みもあるという。

「Snow ManやSixTONESといったJr.のメディア露出がとても多くなり、動画配信なども積極的に取り組むようになりました。ベテランふぉ〜ゆ〜にもスポットを当て、ジャニーさんとは違う優しさも感じます。それは後輩から慕われる部分だと思います。やはり本人がタレントとして経験してきたものですから、説得力がありますよね」

 ジャニーさんの姿勢を象徴するようなセリフが、堂本光一の舞台「SHOCK」シリーズに出てくる。「SHOW MUST GO ON」。何があってもどんなときも、ショーの幕は開けなければならない。ジャニーさんが50年かけて追いかけた夢の続きは次世代が紡ぎ出してくれるに違いない。(本誌取材班)

※週刊朝日  2019年7月26日号


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