TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。ピアニストのフジコ・ヘミングさんについて。



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 2018年公開の『フジコ・ヘミングの時間』は、古い書物とアンティーク家具のあるパリのアパルトマンの一室から、京都とベルリンの街並み、さらに北米、南米へと、ピアニストのひとり旅を詩情豊かに綴っていた。

 フジコのワールドツアーに同行、このドキュメンタリーを監督した小松莊一良に話を聞いた。

「純粋無垢な夢見る少女のようでありながら、ロックミュージシャンにも似た強烈な個性を放っていました。それなのに、奏でる音色は僕の心を繊細に包んでくれた。それが最初に抱いた彼女の印象です」

 フジコの母はピアニスト大月投網子(とあこ)、父はロシア貴族の血を引くスウェーデン人デザイナー、ジョスタ・ゲオルギー・ヘミング。ベルリンで恋に落ち、結婚。日本で暮らすが、先の大戦に向かう外国人排斥の空気の中、父は帰国してしまう。

 日本に残ったフジコはロシア出身の名ピアニスト、レオニード・クロイツァーに出会う。ナチスを逃れ、日本に滞在していた巨匠の前で演奏すると授業料は不要になった。

 天才少女と謳(うた)われたフジコだが、16歳で中耳炎を拗(こじ)らせ右耳が聴こえなくなってしまう。しかし、くじけずレッスンに励み、17歳でリサイタルデビュー。東京藝大へ入ると新人の登竜門、NHK毎日コンクールに入賞、日本フィルとの共演も果たした。

 フジコは海外を目指すが、自分が無国籍なのを知る。苦労の末、難民パスポートで西ドイツに渡るがここで更なる運命に見舞われる。レナード・バーンスタインがお墨付きを与えてくれたリサイタルを前に風邪がもとの高熱で、あろうことか左耳まで聴こえなくなってしまう。手に入れかけた栄光が逃げていった。

 その後30年近くヨーロッパを転々としながら音楽教師を続け、母の死を機に帰国、母校・藝大奏楽堂でのリサイタルや聖路加国際病院でのボランティア演奏が評判を呼び、1999年、NHKが彼女の日々をドキュメンタリーで取り上げると、一気にフジコブームが沸き起こる。デビューCD『奇蹟のカンパネラ』がクラシック界では異例の200万枚の大ヒット。“Campanella”はイタリア語で「小さな鐘」の意味。リストの『ラ・カンパネラ』が運命の鐘を鳴らしたのだ。

「他の音楽家の演奏と聴き比べて欲しい」。自身の代名詞ともなった『ラ・カンパネラ』についてフジコは語る。「カンパネラは死に物狂いで弾く曲だから、弾く人の行いと心のあり様が出る。わかる人にはわかるんです」

 60代後半でCDデビューしたフジコのコンサートは20年経った今もソールドアウトが続く。

「熱情にして繊細」と小松監督はフジコの印象を語ったが、彼の言葉と映像でその半生を辿りながら、僕はため息をついた。今では想像すらできない過酷な時代、孤独に苛(さいな)まれながら猫や小さな生きものへ注いだ愛情が感性を円熟へ誘い、ピアノの一音一音をふくよかに輝かせ奇跡的ともいえる音世界を作り上げたのだ。

 今年2021年、フジコと小松監督は小さな命に捧げるチャリティーコンサートをオンラインで公開した。そこにはコロナ禍に生きる人と動物を包み込む温かい音色があった。

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞

※週刊朝日  2021年5月21日号