NHKの連続テレビ小説「おちょやん」が幕を閉じた。5月14日放送の最終回では、ヒロインが離婚した夫とともに鶴亀新喜劇の舞台に立ち、喝采を浴びる。実人生と芝居を巧みに絡めてきた、この作品らしい締めくくりだ。



 杉咲花が演じたヒロインのモデルは喜劇女優・浪花千栄子で、鶴亀新喜劇のモデルは、松竹新喜劇。それゆえ、全編を通して、劇中劇がよいアクセントになっていた。また、ラスト2週は苦労続きだったヒロインが公私ともに幸せになる姿が描かれたので、安らかな満足を感じた人も多いだろう。重苦しく暗い展開も目立った作品の最後に、ヒロインが晴れた空を見上げ「今日もええお天気や」とつぶやく場面には、多くのファンが感動したはずである。

 ただ、この作品、数字的には振るわなかった。全115回の平均視聴率は17%台の前半。20%超えが珍しくない朝ドラとしては物足りない数字で「失敗作」ともいわれる「純と愛」(2012年後期)と同レベルだ。

 もちろん、数字がすべてではないし、記録より記憶に残る傑作というものもある。実際、SNSなどでの反響を見る限り「純と愛」のときのような不満の声はあまり目立たなかった。

 それでもやはり、朝ドラとしてこれで大丈夫なのかという気持ちにはなる。朝ドラおよび大河ドラマは「国民的」という形容もされるドラマ枠であり、ある程度の数字は維持していないと枠の存続に関わってくるからだ。

 一昨年の大河「いだてん〜東京オリムピック噺〜」が一部で熱狂的な支持を集めながらも、ひとケタ台という歴史的低視聴率に終わったときがそうだった。翌年の「麒麟がくる」が数字的にも盛り返したことで、ホッとさせられたものだ。

 朝ドラについても、2003年後期から8年半、10%台の作品が続き、不要論がささやかれた冬の時代がある。その再来を危惧してしまうのである。

 ちなみに、吉本興業の創業者を描いたことで「おちょやん」と似ていたのが「わろてんか」。笑いがテーマで、大阪制作というのも同じだ。この作品の平均視聴率が20.1%なので「おちょやん」も工夫しだいでそれくらいまでいけたのではないか。

 では、どんな工夫が有効だったかといえば――。まず、画面の暗さをなんとかしてほしかった。全編を通して、都会の屋内でのシーンが多く、自然の美しさ、特に明るい緑が足りなかったのだ。100作記念の朝ドラ「なつぞら」でも北海道パートが人気で、東京編は今ひとつ盛り上がらなかったように、画面の暗さが数字にも響いた気がする。

 そのぶん、物語が明るければいいが、むしろ逆だった。朝ドラ史上最悪と評された父親による虐待、再会したかと思えばやくざ者になっていた弟による妨害、あげくは公私にわたるパートナーだった夫が若い後輩女優をはらませたため、離婚して家を出るハメに。そのつど、救いとなる展開も用意されていたものの、そこに到達するまでに暗さに耐えきれず、離脱した人もいるだろう。

 秦基博の歌う主題歌のタイトルは「泣き笑いのエピソード」。それはまさに、この作品のテーマでもあったが「泣き」と「笑い」のバランスが前者に偏りがちだった。しかも、泣かせようとする気合が強すぎて、かえって泣けなかったりもしたのである。

 じつはこの背景には、ある先行作品が影響している。同じく大阪制作の「カーネーション」(2011年後期)だ。熱烈なファンも生んだが、古くからの朝ドラファンには不評で、視聴率も20%には届かなかった。

 その原因はやはり、画面と物語の暗さだ。前年の大河「龍馬伝」で注目されたプログレッシブカメラによる映画風の映像は、朝ドラにはややそぐわないもので、違和感をもたらした。また、ヒロインたちの荒っぽい言葉遣い、柄の悪いキャラクターも、朝からあまり爽やかな気持ちにさせてくれなかった。ドラマとしての出来自体はまずまずだったから、夜の枠ならよかったのにと思ったものだ。

 もっとも、いまや朝ドラは朝に見るものとは限らないと言いたい人もいるだろう。実際、昼や夜、あるいは土曜の一挙放送でとか、録画したものを好きなタイミングでという見方も増えてきているはずだ。

 それでもやはり、朝に見る人は多い。出かける前の「時計がわり」に見ている人もいれば、家事をしながらという人もいて、ぼーっと見ていても面白いとか、橋田壽賀子が生前よく口にしていたように、耳で聞くだけでわかるというところも大事なのだ。

 その点「おちょやん」はちょっと不親切だったかもしれない。深い世界を描こうとするあまり、役者の表情などをじっくり見ていないと入ってこないのではと感じるときが多々あった。ちなみに「カーネーション」について、従来の朝ドラにはなかった深さを評価する声があがったが、そういう深さを求めすぎて、暗さや重苦しさといったものに走るのは朝ドラとしてはむしろ後退することだろう。

 たとえば、前作の「エール」でも、やたらと暗く重苦しい戦争描写が話題になった。そういうものをやってみたい気持ちもわからないでもないが、朝からげんなりした視聴者も多かったはずだ。

  朝からげんなりといえば「おちょやん」では別の意味で引っかかるシーンがあった。もう芝居はやらないというヒロインを口説き落とすため、塚地武雅扮する芸人が自分の失敗談でなごませようとするのだが、それが「ウンの悪い話」という「おもらし」ネタだったのだ。朝食をとりながら見ている人もいるだろうにと、これはさすがに笑えなかった。

 また、ヒロインの父が死んだあと、みんなでしのぶ場面では「あの人、たまらん臭さやったなぁ」という冗談が飛び出した。ホームレス同然となっていたのでそれはそうだが、これも朝食どきにはいささかそぐわなかったのではないか。

  筆者が朝ドラ有数の傑作と考える「純情きらり」などはそのあたりも行き届いていた。原案の小説ではヒロインが腸結核で早世するため、下痢の描写が出てくるが、ただの結核ということにしてぼかすなどした。朝ドラにはこういうエチケットが必要だ。

 そして、朝ドラに何より大切なものを感じさせてくれるのが、現在アーカイブ枠で再放送中の「あぐり」である。「おちょやん」ファンからはお気楽すぎるという声もあがるほど、ヒロインも周囲の人々も明るく、不幸なことが起きてもあっという間に立ち直り、前向きな展開に切り替わる。かといって、感情の機微の描き方がおろそかなわけでもない。喜怒哀楽をしっかり見せつつ、せりふだけ聞いていてもなるほどとわからせる面白さがあるのだ。

 朝ドラには、こういう突き抜けた明るさやのどかさ、ゆるさが似合う。その点「カーネーション」的な重苦しい暗さが目立った「おちょやん」を救っていたのが劇中劇だ。フィクション性が強調されることで、物語の本筋の生々しさが緩和されていた。離婚した夫婦が共演しておたがい前に進もうとするという最終回の劇中劇はまさに、そんな「おちょやん」ならではの見事なフィナーレといえる。

 こういう工夫もできるのだから、他にもひと工夫、ふた工夫することで、あと数%上げることは可能だっただろう。朝ドラに携わる人たちにはそのあたりも頭の隅に置いてもらって、記憶はもとより記録にも残る作品作りを期待したいものだ。

 なお「おちょやん」や「カーネーション」こそが最高の朝ドラだという人には、この記事はストレスのたまるものだったかもしれない。筆者にとっても「おちょやん」には9割方満足したが、ここでは残り1割の不満を書いてみた。

 ただ、もうひとつ付け加えておくと、世の中にはSNSにもネットニュースにも興味のない人がまだまだいる。「おちょやん」が取り逃がした数%は、そういう視聴者層とかなり重なるように思えてならない。朝ドラを大ヒットさせたいなら、そんな声なき視聴者層こそ重視すべきなのである。

 新たに始まる「おかえりモネ」は予告編などを見る限り、画面上も緑が明るく、物語も明るくなりそうだ。ヒロインが気象予報士を目指すという話でもあるし「おちょやん」最終週のタイトル「今日もええ天気や」はそのあたりも意識したものだろう。冬の時代がまた来たらどうしようという一抹の不安の雲を吹き飛ばすような、晴れやかな朝ドラを楽しみにしたい。

●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など