<現代の肖像>真藤順丈 直木賞受賞作『宝島』が誕生するまでの苦悩と秘話

<現代の肖像>真藤順丈 直木賞受賞作『宝島』が誕生するまでの苦悩と秘話

 作家の真藤順丈さんは、沖縄を舞台に描いた『宝島』で第160回直木賞を受賞。アメリカ統治下時代に活躍した「戦果アギヤー」を主人公にした物語は、地元沖縄でも高く評価された。何かに憑依されたかのように沖縄を取材し、「この小説で世界を変えるつもりで書いた」と言う真藤さん。しかし、7年の歳月をかけて書き上げた『宝島』は、苦悩と葛藤の連続だった。AERA 2019年11月18日号に掲載された「現代の肖像」から一部紹介する。



「えっと、戦果アギヤーを書いた真藤です」

 照れながら自己紹介をすると、百数十人でほぼ満席の会場は沸いた。
 今年2月、那覇市の中心地に店舗を構えるジュンク堂書店那覇店で催された真藤順丈(42)のトークイベントは急遽、増席をしたほどの事前申し込みがあった。

 実は昨年6月、真藤が『宝島』を出版したときにも同じ場所でトークイベントが行われたが、当時は10人前後の参加者しかいなかった。『宝島』の舞台は沖縄。この本が直木三十五賞(第160回)を受賞したことで、「ご当地」でも弾けたというわけだ。

 その10人のうちの一人だった球陽堂書房メインプレイス店店長・新里哲彦(61)は、真藤に「これは直木賞を取りますよ」と話しかけたという。

「だって小説ではありますが、当時を生きた人々の言葉が乗り移ったように沖縄の戦後がリアリティーをもって書かれていて、感情移入できましたから。うちの店だけでも1300冊以上が売れました」

「戦果アギヤー」とは、「戦果をあげる者」という意味の沖縄の言葉。戦後の窮地を生き抜くために米軍基地から物資をかすめ取り、横流しをした一群のことだ。真藤はこの戦果アギヤーの少年たちを主人公に『宝島』を書いた。

 戦後、アメリカ統治下時代の沖縄で戦果アギヤーとして深い絆で結ばれていた仲間たちが、沖縄返還までの20年間を力強く生きていく物語。この英雄譚に、1959年に宮森小学校へ米軍機が墜落して児童ら17人が死亡した事故や、70年、アメリカの圧政に耐えかねてコザ(現在の沖縄市)で起きた「コザ暴動」などの史実を盛り込んだ。瀬長亀次郎や又吉世喜などカリスマ政治家から有名ヤクザまで実在の人物も登場する。当時を生きた世代なら、行間から人間の声が聴こえてくるのかもしれない。

 真藤は特に沖縄にルーツがあるわけではない。小説とはいえ、土地の言葉を使ったナラティブな物語を書いていいものか、逡巡もあったという。それでも覚悟を決め、葛藤を乗り越えることができれば、創作者はどんな時代のどんな土地の物語を手がけてもいいはずだと、自分を奮い立たせた。

「登場人物のエモーショナルな部分や、方言の使い方、薩摩の琉球処分のような史実をオミット(除外)するかたちになっていないかなど、あらゆる方面に配慮しました。でも、批判を恐れて萎縮して、精神的に距離を置いてしまうことは、ヤマトンチュ(本土の人)がこれまで歴史的に沖縄におこなってきた腫れ物に触る態度と変わらない。ぼくはこの小説で世界を変えるつもりで書いた」

 気色ばむような台詞すら口にするこの作家は、一体、どんな人物なのだろう。
 真藤は東京都品川区に生まれた。父親は政党機関紙につとめ、その後は党の要職もつとめた。母親は看護師団体の役員をしていたこともあり、ふたりは沖縄への交流を目的とした船旅で知り合った。

 子ども時代、本からは縁遠かった。家に世界文学全集はあったが手をつけたことはない。むしろ漫画に夢中で、手塚治虫の『火の鳥』などの長編漫画を耽読し、漫画家を目指していた。「小説を書く上で基礎教養やドラマツルギーといったものは、手塚作品から学ばせてもらった」と言ってはばからない。高校時代はやんちゃな不良グループとつるみつつも、「ゴッドファーザー」や「グッドフェローズ」などの映画を貪るように観た。

 大学に入ってから映像制作グループに所属。監督・脚本を担当した作品は登竜門的な賞も獲得、「とにかく創作や表現で食べていくことしか考えていなかった」。
 大人数の都合を合わせなければならない映画制作よりも、一人でできる小説家になろうと目標が定まると、猛然と書き出した。27歳のときだった。働いていた映像制作会社も辞めて、小説を書くことだけを生活の中心に置き、ありとあらゆる新人賞に投稿する生活を3年間ほど続けた。

「いま考えると狂気じみていますが、ネタというか、書くテーマに困ったことはなかったんです。陽の差さないアパートにほぼ3年間、こもりきりでした。誰とも会わず、どこにも遊びにいかないで書いていました」

 大きめの事務用紙にびっしりと筆圧の強い文字を一心不乱に刻み、推敲しながらパソコンに打ち込む。当時は「はやく俺を見つけないと文壇の損失になる」と思っていたほど、根拠不明の自信が漲っていた。現在は、自宅の近所にある共同玄関・共同シャワーの木造の古びたアパートを仕事場として借りている。

 この頃には、村上龍、村上春樹、東野圭吾、宮部みゆきなどの現代作家の売れ筋も読んでいたし、ドストエフスキーからコーマック・マッカーシーまで新旧の海外文学も愛読書となっていた。漫画家の新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』にも衝撃を受けた。古今東西新旧のあらゆる表現を取り混ぜて吸収し、すべてが引き出しになった。

 しかし、その3年間のうちに書いたものは新人賞を取れず、30歳を迎えた。そこで一念発起する。これからの1年間、毎月書いて応募していき、賞を取れなかったらプロの小説家を目指すのをやめると決意した。ハードルをさらに上げたのだ。インスタントラーメンをすすり、ガスや電気を止められたこともあった。

「小説家としてプロデビューしたい一心だったんです。ほかの人がやらないことをやらないとブレークスルーできないと思った。あのころは、ふつふつと煮えたぎるものがありました」

(文/藤井誠二)

※記事の続きは「AERA 2019年11月18日号」でご覧いただけます。


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