日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。練馬で大好きなレゲエを聴きながらこだわりのラーメンを作る店主の愛する一杯は、秋田出身の店主が地元の食材でまとめ上げる昔ながらのラーメンだった。



■学生街だが、「学生を相手に商売をしていたら潰れる」ワケ

 西武池袋線江古田駅から徒歩5分。北口の商店街を抜けるとジャマイカンな外観のお店が見えてくる。レゲエ好きの店主・町田好幸さん(47)が営む「ラハメン ヤマン」だ。その外観からはおよそラーメン店とは気づかないが、淡麗でじんわりしみるスープとこだわりの自家製麺で口コミが広がり、創業17年、地域を代表する人気店となった。

 町田さんの自家製麺は、弾力と喉越しがウリだ。その食感は町田さんの言葉を借りれば“グミグミ感”。柔らかく茹でているが、麺の存在感がしっかりある。夏と冬で小麦粉と水の比率を変え、毎日微調整しながらスープにバシッと合わせる。レシピはなく、感覚で合わせるその作業が好きだという。スープは無化調でやさしい味わいだが、奥行きがあり、後味までしっかり美味しい。クセになるのとは違う、また食べたくなるホッとする一杯だ。

「複合的な味が好きなんです。『また食べたい』の正体は、味わいの強いものよりも、後ろで支えている昆布などの食材なんですよね。いろいろな食材をバランスよく合わせることで『また食べたい』感が出てきます。一口目のインパクトは大切ですが、それよりも帰り道や家に帰ってから感じるじわじわ感を大事にしています。そんなに衝撃を感じる味ではないんですが、なぜかまた食べたくなる一杯を目指しています」(町田さん)

 江古田は日本大学芸術学部、武蔵野音楽大学などの大学が集まる学生街として知られているが、町田さんが狙ったのは、あくまで大人やファミリー客だ。

「近所の焼肉屋さんに『学生を相手に商売をしていたら潰れるぞ』と忠告されたんです。学生は授業の休みがあるので、一年の半分は江古田にいない。だから、学生向けにこってりしたラーメンを作るのではなく、地元のお客さんを相手にあっさりとした和風のラーメンを作ったんです」(町田さん)

 平日は常連客がメインで、土日には各地からラーメンファンが集まる。日頃から地元客を意識していたこともあり、コロナ禍でも売り上げは安定しているという。17年間でラーメンの流行は変われど、「ヤマン」は変わらずシンプルなラーメンで勝負する。大好きなレゲエをゆったり聞きながら、町田さんは今日もラーメンを作り続ける。

 そんな町田さんが愛する一杯は、自分を兄と慕う青年が独立して作った中華そば。秋田出身の店主が地元の食材で作った、昔ながらのラーメンだ。

■オープン時から大行列!の正体は…

 池袋駅から一駅の要町にある「中華そば しながわ」。池袋エリアであっさり系の醤油ラーメンで勝負する本格派で、「ミシュランガイド東京」に掲載歴のある名店だ。

 店主の品川隆一郎さん(41)は秋田県の羽後町生まれ。高校卒業まで秋田で過ごし、地元の人気店「大元」「長寿軒」に週3〜4回は通うほどのラーメン好きだった。羽後町は日本そばが有名な街だが、そば屋でもラーメンを食べ、地元のスキー場に行っても食堂でラーメンを食べていたという。

 大学に入学してからは、ホテルや工事現場などで数々のアルバイトを経験した。サラリーマンになる将来に疑問を感じ、大学を中退。その後、飲食の道に進む。イタリアンレストランで働いた後、バーテンダーのアルバイトを始める。

 バーテンダーとして働いていたある日、バーを経営する会社が開業したラーメン店のヘルプに入ることになった。この店が池袋の「七福神」で、ここで品川さんのラーメンの道が開ける。

「純粋に楽しいなと感じたんです。自分で打った麺を自分で茹でて、お客さんに出す。それだけで感動しました。社員になってからは、1日20時間働いても平気でした。アドレナリンが出ていましたね」(品川さん)

 20歳の時、バーから「七福神」に正式に異動し、その後社員に採用される。3年間働き、最後は高田馬場店の店長を務めていた。品川さんはこのまま独立しようと考え、退社した。

 退社後初めて自由な時間を手に入れた品川さんは、ラーメン本を買い、人気店の食べ歩きを始めた。そこで、カルチャーショックを受ける。

「今まで食べたことのないラーメンばかりで、驚きました。独立の前にもう少し勉強したほうがいいと思い、バイク便の仕事をしながら食べ歩きを続けたんです」(品川さん)

 その中で、自分が目指すべき店に出会った。中野区にある「地雷源」である。当時25歳だった品川さんは「地雷源」の門を叩いたが、またもや衝撃を受ける。店主の鯉谷剛至さんと少し話をしただけで、ラーメンが大変厳しい世界であることが伝わってきたのだ。品川さんは言う。

「食材や調味料の分量も1gレベルで徹底され、自分が作ってきたラーメンとは比べ物にならないこだわりでした。盛り付けも美しく繊細で、トップのラーメン店はこうなんだ!と身をもって知らされたんです」

「地雷源」で働くことは許されたものの、徹底したこだわりを追求するのは、体力的にも精神的にもきつかった。だが、まずは仕事を覚えようと必死で修行をした。ここで出していたメニューのひとつ「鶏油魚粉そば」は鶏の出汁に魚の出汁を加えた昔ながらのラーメンの現代版のような一杯。これに感銘を受けた品川さんは、独立する時には昔ながらの中華そばを作ろうと心に決めた。

 2007年6月、2年の修行の後、池袋に「中華そば ゼットン」(のちの「BASSOドリルマン」)を開店した。池袋駅から徒歩12分と決していい立地ではなかったが、最低限の設備と店の広さに惹かれて出店を決めた。

 オープン当初から行列ができ、「池袋の住宅街に行列ができている」と話題になった。だが実際は、品川さんの一人営業だったため、作るのがあまりに遅く、自然渋滞ができていただけだった。行列の凄さが独り歩きしていく中で、話題は少しずつ広がった。その後、名店「中華蕎麦 とみ田」の富田治店主のお気に入りの店としてテレビで紹介され、人気に火が点いた。

 この時、メニューは「中華そば」と「濃厚つけ麺」の2枚看板でスタートしたが、売れるのは濃厚つけ麺ばかり。独立前から目指した味の中華そばは全く売れず、1日200杯提供しても、つけ麺が198杯、中華そばはわずか2杯という日もあった。

「取材が来ても紹介されるのはすべてつけ麺で、中華そばはスタートラインにも立てていない状態でした。そこで、中華そばだけをスピンオフして店を作ることにしたんです。それが『中華そば しながわ』です」(品川さん)

 こうして2013年、要町駅近くに「中華そば しながわ」をオープン。品川さんの地元である秋田の食材にこだわり、ラーメンを作った。

 秋田の味噌・醤油醸造蔵「石孫本店」の醤油を使い、麺も自家製麺にこだわる。さらに品川さんは秋田に自社の畑を開き、そこで育てた野菜をラーメンにも取り入れている。この「しながわ」が「ミシュランガイド東京」の目に留まり、ビブグルマンを獲得した。最先端のラーメンだけでなく、古き良き一杯が評価されたことはラーメン界にとっても大きなことだった。

「ヤマン」の町田さんは、「中華そば しながわ」のラーメンのファンだ。

「品川くんは独立前からよくうちに食べに来てくれていました。お店を開いて実際に彼のラーメンを食べたら、こんな才能があったのかと驚きました。特に自家製麺を使った中華そば。品川くんの細麺を食べた時、『やるじゃないか』と声が出ましたね」(町田さん)

 品川さんも町田さんを兄のように慕う。

「修行時代『ヤマン』の近くに住んでいたので、朝方仕事が終わって帰ると『ヤマン』に顔を出しては悩みを聞いてもらっていました。町田さんは正義感があって、筋をきっちり通す人です。店主としての目標ですね」(品川さん)

インパクトのあるラーメンで一時の話題性を狙うのではなく、自分の目指すものに向かってぶれずに突き進む。二人の言葉からは、本当に旨いものを届けたいという思いが滲み出ていた。(ラーメンライター・井手隊長)

○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho

※AERAオンライン限定記事