親の介護をするとき、夫婦はどんな形が望ましいのか。自身の母親の介護を6年半続けたタレントの新田恵利さん(53)は、介護中の悩みや怒り、つらさ、悲しみなどを乗り越えられたのは、「夫の存在が大きかった」と言います。新田さんの地元、神奈川県の逗子海岸で、新田さんと夫の長山雅之さん(52)が、そろって介護の時の様子について語ってくれました。

―1年前の新田さんへの取材では、「母が旅立った時、後悔しないように、そう思ってやっている」とおっしゃっていました。終わってみてどうですか?

新田恵利(以下、新田):はい。最後に温泉に連れて行ってあげたかったな、とか重箱の隅をつつくように振り返れば小さな悔いは出てきますが、でも「悔いはありません」。そう言い切れます。17歳の時、父が急死したので、それからずっと母を大切にしよう、母を守ろう、母が亡くなるその瞬間まで大切にしようと、そう生きてきました。

―夫婦で旅行する時はいつもお母様がご一緒だったのですよね。

新田:母に「来る?」と聞くと、元気なときは100%「うん」でしたからね。母は夫のことが大好きで、夫も母を大好き。日々の生活も旅行も、いつも私たちは一緒でした。夫と付き合っている時から、「私と結婚したらもれなく母とワンコがついてくるよ」と彼には伝えていましたし(笑)、それを理解した上で私を受け入れ、母も私も大切にしてくれました。

長山雅之(以下、長山):(新田さんとお母さんの関係は)もう別物でしたからねー。私の母は実業家で恵利のお母さんとはタイプが違う。早くに離婚して、必死でした。私は家政婦に育てられたような感じです。ですから、いわゆる家庭のお母さんの愛情というのを、義母からいっぱい注いでもらった感じです。まだそばにいるような気がして、不思議な気持ちです。恵利と買い物に行っても「お母さんの分は?」というのがなくなってしまった今、とても寂しいです。

新田:母と夫は食の好みも一緒でした。母は彼をすごく信頼していて、私の話よりも素直に聞くんです。だいぶ前になりますが、彼が入院した時は、私の代わりに「枕をもっていってあげたい」とお見舞いに行って、戻ってから家で泣いていました。かわいそう、かわいそうって。母も不安だったんでしょうね。

―そんな長山さんは、お母さまの旅立ちまで、恵利さんの介護に寄り添われました。

新田:私たち夫婦と兄、母は同じ一軒家に暮らしていました。1階に母と兄、2階が私たち夫婦です。母のために「顔出して」と言うと、夫はいつだって、「お母さん、どう?」とすぐに下りてくれました。それだけで母のテンションが上がったんです。

―長山さんは、2年前までテレビ局にお勤めでしたね。

長山:はい。いまは独立してフリーの水中VRカメラマンです。

新田:夫は会社員時代も、仕事がある日でも、母の通院に付き添ってくれて、私が話を聞いて欲しい時は、翌朝が仕事で早い日も、私が「明日でいい、大丈夫」と言っても、「いいよいいよ。今話を聞くよ」と夜遅くまで聞いてくれました。私が大変な時は一番近くで見ているからわかるんでしょうね。何よりも優先してくれました。私も甘えて、何でも話していました。私のストレスのはけ口が夫でした(笑)。

長山:我慢したり苦しんだりする姿を見たくなかったからです。結婚したばかりの頃の恵利はすごく我慢をしていて、夜中の就寝中に「ざっけんじゃねーよ」なんて、昼間のうっぷんが寝言で出てきていたこともありました(笑)。それがその後は、「あなた間違ってる! 聞くだけでいいの。黙って聞いてて」て言うようになりましたからね〜。

新田:解決策とか求めていないから、ただ聞いてくれるだけでよかったの。

―長山さんはあえて何も言わずに聞いていたんですね。

長山:最初のうちは、どうしたらいいんだろうと、解決策ばかりを考えて聞いていましたが、だんだんそれよりも、「ちゃんと聞く」に集中する方がよっぽどいいと気づきました。

新田:そうそう。

長山:今日3回目の「くそばばあ」かな、て思いながら聞いていました(笑)。

新田:「(母を)泣かせてきた!」と言っても、驚きもせず笑顔で聞いてくれたよね。

長山:はい。聞きましたよ。

新田:たとえ私が悪かったとしても私の味方をしてくれるのがありがたくて。おかげで介護に煮詰まらず、やり遂げました。介護は大変です。一人で抱え込んでしまったら続かない。近くに理解者や、愚痴を言える相手をキープして、日々の悩みや苦しみをため込まないことが大切です。適切なアドバイスは、ケアマネジャーさんだったり、介護従事者の方だったりがしてくれます。日々の悩みは夫や家族などに、聞いてもらうのが一番だと思います。

長山:黙って聞く、だよね。

新田:はい。そうです。

長山:人を変えようとすべきではない。過去と人は変えられない。ならば今できることをやろう。そうやって生きるべきだと思っています。

―長山さんは、恵利さんの介護から学ばれたことはありますか?

長山:恵利のやり切っている感じを見て、自分の方が悔いが残るな、と思いました。自分の母親(87)は、今は赤坂で一人暮らしをしています。義母を見送った体験を生かして、悔いのないようにしたいと思いました。恵利のおかげで、遠かった母親との距離が縮まり、隔週で赤坂に行くようになり、25年続いています。家族の愛を知り、人生の理想的な終わり方や見送り方を知り、大切な人との切ないながらも愛のある別れを体験しました。

新田:夫にも親を大事にしてほしい、と私が提案しました。それだけは強く言いました。これはすべての人に伝えたいのですが、介護でつながる絆があるということ、介護を通して見えるものがたくさんあるということ。これに気づいてほしいと思っています。

―「おニャン子クラブ」のメンバーたちも介護の問題がふりかかる年頃ですね。

新田:私がぶっちぎりで早くに体験しましたが、みんなそろそろですね。私たち、そんな年になったんですよね。昔は10代だったファンの方も今は介護世代。楽しく「介護トーク」をしていますよ。これからもみんなで明るく楽しく年を重ね、介護を乗り越えていきたいですね。

―6年半をふり返り、このほど出版された「悔いなし介護」(主婦の友社)には、「新田恵利流」の悔いなし介護の心得が詰まっていますね。

 新田:「悔いなし介護」は、母が生きている時にほぼ書き終わっていて、見届けた話を最後に加えてまとめました。在宅でのみとりの魅力とか、見送った後のことは、これから発信していきたいと思っています。オフィシャルブログ「E−AREA」でも介護相談に乗っています。コロナが落ち着いたら少しずつ介護に絡めた講演活動も復活させていく予定です。

(聞き手/本誌・大崎百紀)

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