6年半もの間、母親を在宅で介護したタレントの新田恵利さん。介護中のエピソードや、頑張ることができた理由を明かす。

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 今年3月に母(享年92)を見送りました。腰椎(ようつい)の圧迫骨折がきっかけで要介護4になり、2014年の秋に始まった母の介護。家をリフォームしたり、おむつフィッターという資格を取ったり、介護と向き合って頑張ってきましたが、介護7年目の春に旅立ってしまいました。

 天真らんまんの正直もので甘えん坊。私は結婚する際に夫に言いました。「私と結婚したらもれなく母と犬がついてきますよ」と。夫は快く承諾し、在宅介護に協力してくれました。母は夫のことが大好きでした。彼の言うことはよく聞いていました。食の好みも似ています。

 在宅介護は大変です。何度も母とぶつかって互いに嫌な思いをしました。母娘だから遠慮がない。寝たきりの母を何度泣かせたことか。けんかした後は2階に上がり、夫に「また泣かせちゃったよ」。

 本当は30分後ぐらいに下りたいけれど私にも意地がある(笑)。2時間後ぐらいに「じゃ、様子見てくる」って下りていく。母はけろっとしていますよ。

 今年の1月はお雑煮も食べられましたが、2月になって少しずつ物が食べられなくなって、会話も単語だけに。傾眠が続くようになりました。

 生命力が徐々に落ちていくのがわかりました。受け止めたくはなかったけれど、別れが近づいているなと。そこで2月から「エンディングドレス」を作り始めました。

「最期はウェディングドレスで旅立ちたい」という母との約束をかなえたくて。日々衰えていく母の介護をしながらエンディングドレスを作っていく日々はつらくて悲しくて。仕上げたら逝ってしまうようで。亡くなった日に作り上げました。

 母がもし「施設に入りたい」と言えばそうしたかもしれませんが、最期まで家で良かったと思います。最期まで私たちを認識してくれていたのは救いでした。

 ここまで介護を頑張れたのは、もちろん母のことが大好きだったのが一番ですが、三つあります。

 一つ目は「(母が間違えたことをしても)決してたださず、ありのままを受け止める。母のやりたいようにさせた」ということ。無理に押し付けると遠回りになる。母には笑っていてほしかったから、お菓子しか食べないというときは「はい、はい」と受け入れました。

 二つ目は、兄と協力し、一人で抱え込まずにすんだことです。

 そして三つ目が「徹底して味方となる存在に愚痴を聞いてもらう」です。夫には「何にも言わないで。聞いてくれるだけでいい」と頼みました(笑)。解決策を聞きたいわけじゃない。ただただ聞いてほしいときに人生の味方がそばにいるというのは本当に救いです。どんなときも否定せず、「うん。うん」と笑顔で私を受け止めてくれた夫には感謝しかありません。

 母を送ったばかりの今はまだまだ寂しいけれど、2人でこれから楽しい老後を送ろうね、と話しています。

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※週刊朝日  2021年10月22日号