年々過熱する中学受験において、子どもの受験勉強に積極的に関与する父親が増えつつある。育児に積極的な父親が増えるなかで、受験でもわが子をサポートしてあげたいと父親が考えるようになったのも当然の流れかもしれない。その一方で、父親が自身の受験の成功体験を押し付けたり、会社での仕事のやり方を受験勉強に適用させたりすることで、疲弊してしまう子どもがいるという話も多い。そこで、AERA dot.ではさまざまな「中学受験パパ」のケースを取材し、子どもとの最適な関わり方を探った。短期集中連載の第1回は、早稲田アカデミーの元教室長だった男性が、“プロ”でも自身の子どもの受験指導には苦労している実体験を語ってくれた。

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 中学受験生に寄り添うことは、ずっと“仕事”だった。それゆえ、自分の子どもにも同じように“うまくできる”と信じていた。

 小学5年の息子を育てる三浦祐輝さんは、元塾講師。新卒で早稲田アカデミーに就職し、2006年4月から2013年9月まで勤務。神奈川県にある校舎の教室長も務めたことがある、“中学受験のプロ”だった。

 だが、実際に息子の中学受験が始まると、元塾講師として磨いてきたはずのスキルは通用しないと痛感した。

「『もうやめちまえよ!』といった言葉を口にしたこともありましたし、息子と険悪になり、手をあげてしまったこともあります。そうした日々を経て、一時期は夫婦仲まで悪くなってしまいました」

 たとえば、塾で膨大な課題が出たとき。自身が塾講師の頃は「全部、やってくるのが当たり前」であり、息子にも「やるのが普通だぞ」と平気で口にしていた。だが、その感覚で息子に課題に取り組ませようとすると、どうしても最後まで終わらせることができない。

「膨大な量の課題すべてをこなすことは、そもそも無理なことだったんだ、と初めて気づきました。でも、勉強を本格的に始めた頃は『できないのはおかしい』と、強制的にやらせようとしていたんです」

 できない息子にいらだち、手をあげるまでになってしまった自分自身にショックを受けた。かつて同じ塾業界で働いていた妻に「そんなになるのだったら、もう中学受験はやめたら?」と言われたこともある。

「塾講師と生徒は、お金を介した関係であるからこそ、たとえイライラすることがあっても手をあげるようなことにはならない。自分の子どもではありませんから。ちょっと“他人ごと”ぐらいがちょうどいい距離感なのかもしれません」

 自分の子どもであるが故に、なんとしても理解させようと、徹底管理しようとしてしまう。相手が生徒であれば「もう一度教えようか?」という柔軟な姿勢になるが、自分の子供の場合は「さっき言ったじゃん!」とイライラに直結してしまう。

「そうした時に“人間の闇”のようなものが出てくるのだな、と感じました」

 夫婦ともに、塾業界で働いていたことから、「中学受験を通して学ぶことは、大人になってからも役立つ」と感じていた。算数で言えば、数字の感覚も身につくうえ、社会人になってからも生きることばかりではないか、という実感があった。息子は記憶力も良かったことから、「この子は中学受験にハマりそうだ」という直感も働き、小学1年から習い事の一つとして通塾していた。

 自身の転勤に伴う転塾も経験したが、小学3年の頃まではずっと母親任せ。父親の自分は、「困ったら勉強を見るよ」というスタンスでいたが、小学4年のある日、息子のノートを見たことから、元塾講師のスイッチが入ってしまった。

「読めないような文字で書かれていましたし、要素も整理されていない。とんでもないノートだな、と。『これはちゃんと関わらなければ』と思うようになりました」

 授業で習った要素はしっかりと理解してほしい。そんな思いから、まずは三浦さんが授業用のノートを作成し、写してもらうことから始めた。そもそもきちんと理解していないから、問題は解けない。そうすると、「なんでわからないんだ!」と悪循環に陥る。だからこそ、最初は「写せばいい」と息子に繰り返し伝えた。

■勉強は直接教えず「動画」を通して距離を取る

 息子が小学5年となったいま、三浦さんと息子の関係は良好だ。

 きっかけの一つが、YouTubeで解説動画を作成するようになったことだ。

「父親である自分が感情を入れずに息子に教えるのは、難しい。でも、理解できていない点を補強してくれるようなサービスはない。だったら、帰宅してから息子がいつでも何度でも見られるよう、自分が動画を作ってみようと考えました」

 妻には、動画を一緒に見てもらうよう促した。最初は嫌々見ていた息子も、繰り返し見るようになってからは「わかりやすい」と口にするようになった。

「自分は動画をつくる。だからそれを見て」。そうした関係を続けているうちに、息子の成績も伸びていった。

 三浦さん自身も、「明るく、楽しくある」ことに重きを置くよう意識した。たとえば、算数の途中式が間違っているにもかかわらず、不思議と答えが合っていて、子どもが丸をつけているとき。

「『なんで解答を写しているんだ!』と怒鳴ると、誰も幸せになれない。子どもも落ち込み、家庭の雰囲気も悪くなる。たとえダメなことをしても、なるべく明るく伝えるよう努めています。『なぜ途中式が間違っているのに丸がついているのか、一緒に検証してみよう!』と。明らかにダメなことをしても、ギャグに持っていくこともあります(笑)」

 一つの方法論でダメな場合は、違う方法を試してみる。管理することが子どもに合わないと感じれば、潔くやり方を変える。息子の成長を見極めながら、やり方を臨機応変に変えていくことの必要性も感じている。

「夫婦ともに、息子に『これやれ、あれやれ』と言わなくなりました。それくらいが健全なのかな、と今は思います。両親がのめり込んでしまうのが一番良くない。子どものために真剣になるのはいいけれど、暴走する必要はない。幸せな受験をしてほしいな、と思います」

 昨秋、いくつかの学校の文化祭に赴き、息子が「ここに入りたい」という学校を見つけた。闇雲に上を目指すのではなく、息子自身が校風を気に入った学校を受験してほしいと思っている。(古谷ゆう子)