夫婦別姓が法律婚で認められないために、婚姻届けを出さない「事実婚」を選ぶ夫婦が一定数いる。実態は夫婦であることに変わりないが、日本では法律で認められていない結婚の形であることから、税制の優遇制度が適用にならないなどの問題がある。不安や迷いと葛藤しながら、それでも事実婚を選んだのはなぜなのか。事実婚をしてみて見えた世界について、当事者が語った。

夫婦別姓連載第1回はこちら>>夫婦別姓のリアル「名字、捨てちゃったんだ?」 妻の名字になった夫へ浴びせられる言葉と眼差し

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「夫婦別姓を選べないために、事実婚の道しかなかった」

 東京都在住の田中智子さん(38・仮名)。5年前、大学時代の先輩である夫(40)と“婚姻届けを出さない結婚=事実婚”をした。

 智子さんは、幼いころから自分の名字に愛着があった。少し珍しい名字で、周囲から「かっこいい名字だね」「ありきたりな名字じゃなくて羨ましい」などと言われてきたことも大きいかもしれない。友人からも名字で呼ばれることが多く、いつしか名字は自分の大事な一部になっていた。

 夫と出会い、「この人と一緒に人生を歩みたい」と思うようになってから、“結婚”に対してどこかモヤモヤした感情を抱いている自分に気づいた。突き詰めると、自分の名字への愛着以上に、「相手側の名字に変えなければならない」という状況を受け入れがたい自分がいた。

 世間一般の“当たり前”をのみ込めない自分はおかしいのではないかと自問自答を繰り返した。そのうえで、夫に「できれば名字を変えたくない」と打ち明けた。

 夫は少し驚いたようだったが、「自分の気持ちを大事にしたほうがいい」と寄り添ってくれた。夫自身は、自分の名字に対して特に執着がなく、「じゃあ俺が名字を変えようか」と言った。だがその後、雲行きが変わってきた。

「男が名字を変えるなんて、ありえない」

 夫の両親が、断固としてその姿勢を崩さなかったのだ。夫の家は、地方で家業を営んでいる。夫にはうえに兄がおり、家業は兄が継ぐことになっている。兄はすでに家庭を持ち、子どもも2人いる。だから夫が名字を変えても、名字が途切れることはない。

 だが夫の両親は、「息子が名字を変えるなんて許さない」「結婚して女性が名字を変えるのは当たり前」だと言い張った。一連のやり取りの中で、夫の両親から智子さんへの印象が悪くなり、風当たりが強くなったのを感じた。

 思えばそれまでも、夫の家に遊びに行ったときに違和感を抱くことがあった。

 家の中では父親が一番偉く、専業主婦である母親は、常に父親に気を使っているように見えた。家のすべてのことを「母親がやって当たり前」という父親の態度は、亭主関白そのもの。共働きのサラリーマン家庭で、父親も家事や子育てに比較的協力的な家庭に育った智子さんには、夫の両親のあり方がとても窮屈に映った。

 夫のことは好きだ。だが名字の一件があって、ますます「夫の家の“嫁”になりたくない」「結婚はしたいけれど、夫の家と距離を置きたい」という思いが強まった。

 智子さん自身も仕事を持ち、経済的な面でも夫と対等な立場にある。それなのに「名字を変える」ことが「相手側へ合わせる」「〇〇家に入る」ということを感じずにはいられなかった。夫もまた、自分の両親を敬遠していたが、自分が名字を変えるところまでは踏み切れなかった。

 そんななかで見つけたのが、婚姻届けを出さない“事実婚”という選択肢だった。二人とも、できることなら婚姻届けを出して、「普通に結婚したかった」(智子さん)。それによって、「どちらかの名字を捨てることになる」。

 逆に言えば、婚姻届けを出さなければ、それぞれがこれまで通り自分の名字を名乗ることができると考えた。届けを出さないことで、夫の家との距離も保てるような気がした。

「婚姻届けを出さずに、結婚と呼べるのか」「法的に認められていない結婚はありなのか」と揺れる思いもあったが、最終的には「自分たちにとって納得のいく形を大切にしよう」と事実婚を選んだ。届けを出さないことへの不安もあったが、「不便が生じたら、そのときに考えよう」という話になった。

 夫の両親は、事実婚の決断に対し、怒りを超えてあきれかえっていたが、夫も智子さんも「放っておこう」となった。内心複雑そうだった智子さんの両親からは、「結婚式を挙げて、ちゃんと“夫婦”としているんだったらいいよ」と言われた。

 婚姻届けの提出以外に、周囲からきちんと夫婦として認めてもらうための手段——智子さん夫婦にとって、それは結婚式であり、披露宴だった。実際に、大勢を招いて盛大に式と披露宴を行ったが、その場で自分たちから事実婚であることはあえて言わなかった。せっかくのお祝い事に、どこか水を差すような気がしたからだ。

 衝撃を受けたのが、披露宴が終わった後に手渡された、式場からのサプライズプレゼント。そこには「〇〇様ご夫妻」と、当たり前のように夫の名字が書いてあった。

「せめて事前に、結婚後の名字の確認ぐらいしろよ……と思いました。だけど一方で、夫婦は夫の名字を選ぶのが当たり前だという社会通念を物語っているようで、その同調圧力を、やはり怖いなと思いました」(智子さん)

 その日から5年——。現状では事実婚に対し、周囲から否定的な反応を受けることは思った以上に少ない。

 事実婚を選んだことで、友人から「旦那さんがかわいそう」と言われたことがあったが、「法律に則ってないというだけで、法を犯しているわけではない」と説明した。無論、よくは分かっていないようだった。

「以来、自分の中で、相手を選んで話すようになったかもしれません」(智子さん)

 事実婚がいかにマイノリティーな選択肢なのか、思い知らされる日々でもあった。夫の親戚からはいろいろと揶揄されているようだが、「“法的”な嫁ではない」という事実によって、懸念だった夫の家とも、堂々と距離を保つことができているという。

「周りと違う選択をしたことで、気持ちが大きく揺れることもある。でもそんな経験を重ねるうちに、良くも悪くもメンタルが強くなりました」(智子さん)

 目下の悩みは、子どもが生まれたら法律婚をするかどうするか。まだ妊娠には至っていないが、夫婦ともに子どもが欲しいという思いは一致している。

 事実婚の場合、パートナーとの間に子どもが生まれると、自動的に母親の戸籍に入ることになっている。ゆえに父親と子どもの親子関係を法的に認められるようにするには、認知の手続きをする必要がある。また父親が子どもの親権を持つためには、家庭裁判所で親権を変更する手続きが必要だ。

「そうした一連のことが、子どもに何か不利益をもたらせないかということが心配。日本では、事実婚という結婚のあり方が、社会的にまだまだ認められていない。事実婚と同棲をごっちゃにして、偏見を持っている人は少なくないですから」(智子さん)

 事実婚を貫くことに対し、将来的な不安も大きい。例えば、事実婚は、法律婚と比べて税制上で優遇されないのがデメリットの一つだ。所得税では、配偶者控除や医療費控除が認められず、相続税や贈与税においても配偶者税額軽減が適用されないため、税額が増えることになる。

 また事実婚は、パートナーの遺産の相続人としても法的に認められておらず、たとえ一緒にいた時間が長くとも、パートナー名義の預貯金や不動産などの相続権がない。遺言書を残すことで相続が可能になるが、前述のように法律婚より高い相続税がかかる。

「法律とか権利とか、いつまで社会的な保護や支援が必要ない婚姻の関係性でいられるか分からない。事実婚をしている人は、あくまで“自称・事実婚”でしかなく、せいぜい住民票に“夫・妻(未届)”と記載できるぐらい。自分たちで、“これは結婚関係なんだ”と言い張るしかないんです。この先、何かがあったときのことや老いていく過程を考えると、事実婚を貫き通すのは難しいと思うこともあります」(智子さん)

 取材の中で、智子さんは何度も「法律婚で夫婦別姓が選べるようにさえなってくれたら、本当の意味で納得した結婚ができる」とつぶやいた。

 実際に、別姓を望むなどの理由で、事実婚を余儀なくされている夫婦が一定数いる。事実婚に関するデータは極めて少ないが、内閣府で昨年度に実施した意識調査によれば、事実婚を選択している人は、成人人口の2〜3%を占めていることが推察される。

 例えば、内閣府男女共同参画局が実施した委託調査(令和3年度 人生100年時代における結婚・仕事・収入に関する調査)では、調査回答者のうち「配偶者(事実婚・内縁)がいる」と回答した人は2.3%。別の調査(令和3年度 性別による無意識の思い込みに関する調査研究)では、調査回答者のうち、「事実婚」と回答した人が2.9%、「パートナーと暮らしている」と回答した人は1.1%だった。

 さらに内閣府大臣官房政府広報室による世論調査(令和3年度)では、「あなたは現在、結婚していますか」との質問に対し、「結婚していないが、パートナーと暮らしている」と回答した人が2.5%となっている。

 これに加えて、現在、法律婚を選んでいるが「本当は別姓でいたかった人」もいるはずだ。それらの数や実態を示す調査はなく、いわば“声なき声”。ただ、夫婦別姓を求める声は年々強まり、ここ数年、「選択的夫婦別姓」が選挙においても争点の一つになっている。

 実は、「結婚した夫婦はどちらかの姓を選ばないといけない」と夫婦同姓を強いるのは、世界で日本だけ。日常生活で不便や不利益を感じている人が存在するのに、なぜ日本だけで夫婦別姓が進まないのか。同姓も別姓も選ぶことができる「選択的」なのに、なぜ実現しないのか。次の記事では、その理由を探るとともに、当事者らの別姓への展望を掘り下げる。

(松岡かすみ)