コロナ禍でうつ病やうつ状態の人が増えたことにより、家族や恋人、友人という立場で支えている人も増えている。特に、子育てや仕事に追われる現役世代にとって、パートナーのメンタル不全による負担は重い。共倒れせずに見守るためには、何が必要なのか。人気コミックエッセー『ツレがうつになりまして。』シリーズの著者、細川貂々さんに支える側のコツを聞いた。

*  *  *
――コロナ禍でうつ病やうつ状態の人が増えたことにより、家族や友人を支える側になった人も増えています。共倒れせずに見守るために、何が必要だと思いますか。

 支える家族に必要なのは、自分を一番大事に思うことですね。うつ病に関していうと、相手のためを思ってやったことも、本人はうっとうしく思うだけなので、全く無意味なんです。自分を大事にして、楽に生きられたら余裕が出てきて、それが相手にとって心地いいことにつながると思います。うつ病の人はすごく自分を追い詰めるので、自分のせいで周りが辛くなっているんじゃないかと感じると、それも追い詰める原因になってしまう。周りの人が穏やかでいる方がいいと思います。

 病院などで、家族は「見守って」とよく言われますが、それも余裕がないとできません。ただ、病気と向き合っている時に余裕を持つのはすごく大変なんですよね。経験していく中で、どうしたらいいか考えて、自分のやりやすい方法を見つけていけたらいいと思います。

 あとは、趣味や好きなことをやって、ちゃんと息抜きをする。私の場合、骨董市や宝塚歌劇を見に行くという趣味は徹底してやっていました。宝塚の専門チャンネルやDVDを1日に何度も見て気分転換したり、自分がしんどいなと思ったときにすぐに取り出せるお守り的な何かがあるといいですよね。

――子育て期とパートナーのうつ病が重なり、「子持ちツレうつ」状態の人も増えています。何かアドバイスはありますか。

 私の場合は、ツレのうつ病が良くなった後に子どもができたので、同時に経験したわけではありませんが、想像するだけでも大変だろうなと思います。周りの助けが要りますよね。子育てだけじゃなくて、自分を助けてくれる人が必要だと思います。私はうつ病という診断が出たその日に、両方の親と友達とご近所さんに話しました。自分1人では立ち向かえないと思ったので。ツレの了解? 無いです。これは私の問題ですから。

 理解のある親しい人に限定して、10人弱ぐらいですが、本当に助けになりました。例えば、その人たちと喋っている途中で急にツレの体調が悪くなり、「もう無理」って家に帰っちゃったりしても、「病気だからしょうがないよね」と対応してくれたり。1軒は飲食店だったので、外食もそこには行けたのが大きかったです。家に2人でいて、私がちょっとギブアップとなった時も、話を聞いてもらうこともできました。自分がどう楽になれるかを優先に考えて、早めに対応した方がいいです。

――相手が以前と違う状態になっていることを悲しんだり、その日の調子の良し悪しに振り回されてしまったり、大事な人だからこそ距離の取り方が難しいかと思います。

 相手がそれまでと違うのは、病気になったから。そう思うしかないです。私も最初の頃は、ツレの調子によって一喜一憂して振り回されたりしていましたが、元気そうな日があっても病気が治ったわけではないんですよね。病気のまま。治ったかどうかはお医者さんに聞かないと、素人では判断ができません。相手の変化を見逃さないということと、病気が治ったかどうか期待することは別なんです。

■転機は「もうこのままでいいや」

 不安はいろいろありましたが、最初の頃、一番不安だったのは病気がいつまで続くかといことでした。お金のことは自分が仕事すれば何とかなるんじゃないかと思えても、いつ治るかはわからない。不安は解消できないので、途中で「もうこのままでいいや」と切り替えました。うつの時が来たり、躁の時が来たり、それと一緒に私も暗くなったり明るくなったりして振り回され続けていたら、自分もおかしくなっちゃうと思ったので。そこから脱出するには、今の状況を受け入れるしかないなと気付きました。

――元に戻ってほしいと思うのをやめる、ということですか。

 そうですね。元に戻ったら、また同じように病気になっちゃいますから。病気がよくなったら違う生き方をしていかないといけません。

 ツレは回復した後、病気になる前にやっていたことが一通りできるようになりました。ほぼ元に戻っています。でも、生き方や考え方の癖で、一生懸命になりすぎちゃったり、自信過剰になって、できないことも「できるはずだ」と自分を疲れさせちゃったり……元に戻ってしまうんですよね。そこは周りが気を付けて、「ちょっとやりすぎだよ」と言ってあげなきゃいけない。

――寛解したら別の課題があるんですね。自分を苦しめている生き方の癖、うつ病の原因のようなものはどうやって見つけていきましたか。

 隣で見ていると何となく分かっていったというか……。徹夜して何かに夢中になっていたり、やり過ぎていることがあったりしたら、後で必ず体調崩したので、そこに原因があると分かるようになっていきました。体調を崩す前に何が起きているのかを周りの人が見てあげるのが、結構重要だと思います。

――病気に向き合うのは苦労も多いと思います。離婚や別居を考えたことは。

 ないです。理由は家族だから、ですね。その人が自分にとってどれだけ重要かで考えればいいと思います。私の場合は、料理も家族以外の人とのコミュニケーションも、自分ができないところをツレにやってもらっていて、片方の自分みたいな感じでしたから。

 ツレのうつ病と向き合った3年間は、私達2人にとってはすごく大事な時間でした。自分達の良いところや悪いところに気付くことができたし、それが無かったら結構生きづらい人生だったかもしれない。お互いに相手を思いやることもできていなかったと思います。病気をきっかけに2人の関係性を取り戻せるチャンスでもあると思うので、どうやって相手を思いやれるかなと考えてみるのもいいのではと思います。

■「誰かに話したい」受け止める場を

 2007年に寛解して、少し前までは台風が来ると「頭が痛い」と寝込んだりしていましたけど、もう大丈夫になりました。飲んでいる薬も、今は胆石の薬だけです(笑)。当時、生まれた子どもは中学3年生になりました。もう全然喋ってくれませんし、部屋からほとんど出てきません。

――06年に『ツレうつ』を出版して15年以上が経ちますね。今も反響はありますか。

 ありますね。会った人に直接「本に支えられました」「励まされています」と言ってもらうことが多くて、それは最初の頃から変わりません。みんな話せる場所がないんだと思います。

 自分の住む街に何でも話せる場所があったらいいなと思い、3年前に宝塚市で「生きるのヘタ会?」を立ち上げました。そこには友達や親、家族にも話せなくて、ここに来たという人が多いです。うつ病に限らず、認知症でも誰でも参加OKで、毎月1回、15〜20人が集まっています。悩みじゃなくても、モヤモヤしたことだったらなんでも話していいので、内容は毎回違います。年齢も幅広くて10〜70代ぐらいまでいるので、子どもの立場からの意見や年配の人からの意見が交錯することもあります。でもこの会は「何も効果がありません」というのが前提。それでも誰かに話したいということなんだと思います。

(聞き手/AERA dot.編集部・金城珠代)