2022年12月末から23年1月にかけて、3回にわたり、AERA dot.では中学受験に参画する父親の奮闘や苦悩を紹介してきた。ラストとなる4回目は、現役の中学受験塾経営者、かつ自らも2児の父で子どもの中学受験を経験した矢野耕平さんに話を聞いた。“中学受験パパ”が増えた理由から、そもそも親は子の受験にどう向き合うかという根本まで、現場の指導者ならではの視点で語ってもらった。

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「塾の説明会への父親の参加率が一気に上がったな」

 中学受験専門塾「スタジオキャンパス」の代表、矢野耕平さんがそんなことを感じたのは、2008年頃のことだ。

 以前、勤めていた大手進学塾の説明会や保護者会で父親の姿を目にすることはほとんどなかった。だが、この頃を境に目に見えて父親の参加率が上がってきた、という実感があった。

 共働き家庭の増加、父親の育児への積極的参加……時代の変化とともに、中学受験に並走する父親が増加した要因はさまざま考えられる。その中でも、“中学受験ブーム”と言われた1990年代に小学校高学年だった世代が親となり、「経験を生かせるなら」と積極的に参画するようになったことが大きいのでは、と矢野さんは言う。

 実際、スタジオキャンパスで開催される保護者会の参加者の約1/3は父親が占めているという。

■中学受験の主役は誰か

 親が中学受験を経験していると、知らず知らずのうちに自分を投影してしまったり、必要以上に熱心に勉強を教え込もうとしてしまったりすることもある。だが、「中学受験の主役はあくまで子ども。親ではない。そこを履き違えてはいけない」と矢野さんは強調する。

「志望校選びに関する情報収集や体調管理といったサポートをするのは良いと思いますが、受験勉強そのものは、子どもが取り組むもの。SNSを通してお子さんの好成績を手柄のように公表している方もいますが、そこまでいくと、中学受験の主役が親になってしまう。受験勉強を“自分ごと”にすべきは子どもであり、『知らないことを知ることは楽しいことなんだ』と思えるような環境を家庭内で自然とつくっていくことが大切だと思います」

「強いる」という動詞が組み込まれていることもあり、「勉強」という言葉には歯を食いしばり耐え忍ぶというイメージも付きまとう。だが、「学ぶことは、本来楽しいものだ」と矢野さんは言う。

 矢野さん自身、中学受験を終えた娘と、これから中学受験に臨む息子がいる。矢野さんは中学受験塾を経営するとともに、実際に生徒指導に携わったり、メディアや書籍で中学受験の情報を頻繁に発信したりしている。また、そのかたわらで社会人大学院生として言語学の研究に取り組んでいる。そのように多忙であるがゆえ、わが子の受験勉強に関わることはほとんどないし、そもそも親が子どもの「偏差値」を作りあげることに何の意味があるのだろうか疑問視している。そんな思いを抱く一方で、子どもたちの近くで読書をしたり、大学院生として勉強する姿などを見せたりするなどして、親自身が楽しみながら学ぶ姿勢を見せるように心がけたという。

 子どもは親の姿をよく観察している。ぴったりと付き添って勉強をみるよりも、親が積極的に学ぶ姿勢を見せた方が良い影響があるのではないか、と感じているからだ。

■普段の親子関係が問われている

 子どもの勉強に対する態度に親がイライラして、中学受験期間中にバトルを繰り返す親子は少なくない。だが、受験という特別な環境だからこそ、問われているのは普段の親子関係ではないか、と矢野さんは指摘する。

「普段の親子関係がギクシャクしているのに、中学受験の間だけ親子がひとつになれる、ということはまずないと思います」

 その上で、両親の“バランス”も大事になる。父親、母親問わず、片方が受験勉強を熱心にサポートする、という姿勢ならばもう片方の親は「中学受験なんてどうでもいい」というスタンスでいた方が子どもの“逃げ場”が確保される。

 一方で、近年はシングルファザー、シングルマザーとして子育てをし、受験に挑む親も少なくない。

「そのようなご家庭は塾とうまく連携していくことが大切です。実際、この連携が実を結んで、難関といわれる中学に合格を果たしたケースは枚挙にいとまがありません」

 入試が近づき、焦りから冷静さを失いそうになったら、「首都圏でさえ私立・国立中学入試の受験率は18%以下。中学受験はまだ少数派の世界である」と一歩引いて客観視することも大切だという。

■接し方はマニュアル化できない

 長い受験期間、子どもと険悪になり自己嫌悪に陥ることもあれば、成績が上がらない子どもにどう声かけをすればいいか迷うこともあるだろう。だが、「子どもとの接し方のほとんどはマニュアル化できない」と矢野さんは言う。

 入試当日にどんな声を掛けるか。思うような結果が出なかった時、どんな表情と言葉で接するか。

 そこに“正解”はない。

 必要とする言葉も、心に響く言葉も一人一人違う。マニュアル化された言葉を掛けても、子どもに伝わる訳がない。生まれてからの長い付き合いのなかで、どんな言葉を口にするのが一番効果的なのかは、親が一番よくわかっているはずだからだ。

 そして、中学受験が終わり、学校生活がスタートしてからが本番だ。

「学校が好きな子は、中学に入ってから成績が伸びる」

 矢野さんは中高一貫校の教師たちから、そんな言葉を何度となく耳にしてきた。

「たとえ第一志望でなくとも、合格した学校に入学することを親が心から喜び、その気持ちを伝えれば、子どもは中高生活という近未来に対してワクワクできる。塾講師の言うことよりも、長く接してきた親の言葉はそれだけ強い意味を持つのです」

 親がわが子に向き合う気持ち、そして経験から発せられる自然体の言葉こそが、子供たちが前を向いて歩き出す原動力となる。(古谷ゆう子)