「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。

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 私には、毎年1月になると思い出すエピソードがあります。

 何年か前の1月に、私と同じように脳性まひの子どもを育てるママと二人でランチをした時のことです。この日に話した内容は、私の中で「究極のたられば話」として印象に残っています。

 今回は、そのことを書いてみようと思います。

■涙の暗黒時期を過ごした時期も

 一緒に食事をしたママは、お子さんが2歳の時に、深い悩みの中で私が運営しているNPO法人に連絡をくれた方です。そのお子さんはすでに小学生になっていて、昔話をしたり、お互いの近況を報告していた流れでこんなことを聞かれました。

「ちひろさんは今でも、出産時のことを悔やんだり、ゆうちゃんやこうちゃんが健常児だったら……と考えることはありますか?」

 私たちはそれぞれ、子どもの障害を受け止めきれなかった涙の暗黒時期を過ごした経験がありました。

 今ではすっかり障害を受け入れ、笑い話になることもたくさんありますが、それでもやはり障害児育児をしているママたちは「もしも○○だったら」や「私が○○していれば」といった「たられば」が、たまに頭に浮かぶのではないでしょうか?

 私は双子の娘たちの妊娠中も、年子で生まれた息子の妊娠中も、ウテメリン(子宮収縮抑制剤)の副作用で肝機能障害を起こし、妊娠継続が難しくなり、結果的に3人とも妊娠8カ月で出産しました。そのため長女と息子には障害が残り、身体が不自由です。子どもたちの障害に遺伝性はなく、単純に早産したことによる後遺症とされています。

 なのでもちろん、最初の「たられば」は「私が早産しなければ」でした。

■妊娠中に酸素吸入が必要な状態に

 長女に重い障害が残ったため、息子の時は長女の主治医でもある新生児科が万全な体制をつくって下さり、出産に備えていました。その後、おなかの張りが頻繁になり入院して点滴でウテメリンを使い始めると、妊娠29週で前回と同じような肝機能障害を起こしてしまいました。  

 新生児科は赤ちゃんが元気なうちに出産させようとしてくれたものの、産科はギリギリまでおなかに入れておくべきだと判断し、ウテメリンのかわりにマグネシウム(ウテメリンとほぼ同作用)を使って治療を続けることになりました。でも私の身体はウテメリン以上にマグネシウムが合わず、たった数分で呼吸抑制から呼吸不全を起こし、酸素吸入が必要な状態になってしまいました。

 この状態は赤ちゃんが脳性まひの原因でもある血流障害を起こす可能性があるとのことで点滴はすぐに抜かれましたが、私の身体の状態は改善せず、数日後に帝王切開で息子が生まれました。

■まひがなければ思い切りサッカーを

 私の身体がマグネシウムに反応するのは想定外で、誰のせいでもありません。この時の私の呼吸不全が息子の障害に直接関わっているのかも分かりません。

 でも、原因がどうであれ、息子の足が不自由という現実が変わることはなく、「もしもマグネシウムを使わずに出産していたら」という思いは、産後数年続きました。

 さらに、息子は今までに何度か、「この状態で歩けているのは、生まれ持った運動神経がかなり良かったからだよ」と整形外科のドクターや理学療法士さんに言われたことがあるのですが、その時にも「もしもまひが無かったら」と思ってしまうこともありました。

 そんなに運動神経が良いのなら、まひが無ければ息子は誰にも引け目を感じず、遠慮することもなく思い切りサッカーができていたのかな…と切なくなり、「まひが無ければ」と思わずにはいられませんでした。

■障害は悲しい事実だけど不幸ではない

 息子本人は、今でもまだ足の不自由さをネガティブに捉えることもあるようですが、幸い友人や先生方に恵まれ、少しずつ自分の身体の状態を受け入れているようです。

 障害は悲しい事実ですが、不幸ではないと気づいてくれたことが大きな進歩だと思っています。

 ところで、私には長年の不妊治療をやめて子どもを持たない選択をした友人がいます。何の偏見もなく長女や息子をかわいがってくれる彼女に、「もしも妊娠して重心ちゃん(重症心身障害児)がうちに来ることになったとしても、自分の子どもに会えた方が諦めるよりずっと良かったよ」と言われたことがありました。

 これはすべて「たられば」の話。

 でも、限りなく真実に近いような気もしています。

※AERAオンライン限定記事