人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子さんの連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、今年1月に亡くなった加賀乙彦さんについて。

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 加賀先生、もうあの楽しい時間はもどってこないのですね。私の軽井沢の山荘で、夜の更けるのも忘れて、いつものペンクラブのメンバーをはじめ、矢代朝子さんと男性俳優も突然遊びに来ましたね。

 加賀さんは、堀辰雄や野上弥生子らの別荘を移築した高原文庫館長でした。軽井沢にゆかりある作家の展示をおこない、毎年夏には、広い庭の落葉松の木陰で思い思いの場所に椅子をしめ、講演や対談を聞く。それが終わると野外パーティーの親睦会……。

 私や仲間の本命は、申しわけないのですが、その親睦会より、夜の我が家での無礼講のパーティーにありました。誰が誰を連れて来てもかまわない、ということで黒井千次さんや浅田次郎さん御夫妻が参加して下さったこともありました。

 加賀さんは、高原文庫の会が終わると、いったん、追分にある御自分の別荘に帰り、秘蔵のワインを数本ぶら下げて、タクシーで旧軽にある私の山荘まで。

 加賀さんの到着がパーティーの始まりなので、東京から持ってきたり、道中で調達した御馳走をある限りのテーブルに並べて用意万端整えます。東京會舘の和食総料理長の鈴木直登さんが材料を運んで、目の前でてんぷらを揚げるという豪勢なこともありました。

 七時半頃、待ち切れなくなってこっそり、ビールなど飲み始める人も出てくる頃。加賀先生御到着。乾杯をして、それからはワイン、日本酒、焼酎、ウイスキー、ありとあらゆる酒と料理が入り乱れて、会話も絶好調。隣の別荘のお嬢さんが飛び入りで加賀さんに文学論を吹っかけてたしなめられたり、真っ赤に燃え上がる暖炉の火が消えそうになっても話題がつきませんでした。

 その場での加賀先生は、あの大部の作品を書く作家の面影はなく、目をくりくりさせていたずらっ子のよう。奥様が存命中には御一緒にいらしたこともありました。

 私は、バイオリニストで優雅な美しい奥様のファンでしたが、残念ながら長崎へ御夫妻でキリシタンの取材に出かけられる前夜、なかなか寝室にもどられないのを案じて加賀先生が階下のバスルームに見に行くと、そこで倒れていらっしゃいました。加賀先生はお医者様ですから、すぐ救急車を呼び、自らも人工呼吸を試みられたようですが、帰らぬ人となられました。

 葬儀はイグナチオ教会で親しい神父さんの手で行われ、奥様の亡くなられた経過を、実に冷静に加賀先生が説明し、医者ならではの客観的な淡々としたお話に、出席者一同感銘を受けました。

 その後も、加賀先生は毎年夏は我が家のパーティーへ。

 フランス留学でお手のものの「枯葉」「街角」などシャンソンを歌い、私もおぼつかないフランス語で唱和した想い出!

 最後はベランダで一列に並んで、線香花火大会。誰が一番長持ちするか、松葉のような火花が消えかけては開き、最後は丸い火の玉が闇に吸い込まれていく……のでした。

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

※週刊朝日  2023年2月10日号