さまざまな不安に襲われるいま、私たちはどこに希望を見いだせばいいのだろうか。小説家の高橋源一郎さんと作家のブレイディみかこさんが語り合った。AERA 2023年3月27日号の記事を紹介する。

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高橋:最近感心した漫画があるんです。『メタモルフォーゼの縁側』(鶴谷香央理作)と『海が走るエンドロール』(たらちねジョン作)、そして『マダムたちのルームシェア』(seko koseko作)。みんなおばあさんが主人公の漫画なんだけど、どれもすごく売れている。

ブレイディ:漫画を読んでいる層が高齢化しているのかな。

高橋:いやこれが年齢を問わず人気なんですよね。『メタモルフォーゼの縁側』は宮本信子さんと芦田愛菜さんで映画化もされましたが、老婦人と女子高生という組み合わせ。新しい形ですよね。夫に先立たれたおばあさんが久しぶりに本屋に行く。そこでたまたま絵がかわいいと思って買った漫画がBL(ボーイズラブ)ですっかりハマってしまって、BL好きの女子高生と親友になるんです。

『海が走るエンドロール』は65歳で大学に入学して映画制作をする話、『マダムたちのルームシェア』は死別したり離婚したりしている女性が3人でルームシェアをする話。どれも読んで考えさせられたんですね。

『マダムたちのルームシェア』でいうと、料理でもなんでもできる有能な女性3人が楽しく自由に暮らしている。これがいま求められているユートピアじゃないかって思いました。夫と死別したり別れたりして、一人暮らしでだんだん不安になってきた時、昔の友だちとルームシェアしたり孫くらいの年齢の若い親友ができたり、大学に通って映画研究会に入って映画を作ったり。

ブレイディ:楽しそうですよね。

■ヘミングウェイも駆逐

高橋:こういう話をどこかで読んだことあるなと思って考えたら、ヘミングウェイ(1899〜1961)の『老人と海』なんですよ。剥(む)き出しの自然と闘う老いた漁師は男性文化の象徴なんですね。力で海の生き物を仕留めるその姿に少年が憧れる。

 そういえば、老人は少年とどんな話をしていたかなと思って読み直してみたんです。陸にいる時、老人はずっと少年と話をしているんだけど、それがメジャーリーグの話なんだよね。キューバは当時アメリカ領だから、今年はドジャースが強いよとか。戦後の日本と一緒だった。でも、いまはBLの話をするおばあさんが漫画の主人公で、野球の話をするおじいさんじゃダメなんだ。あのマッチョなヘミングウェイも駆逐されてしまったのかと思うと、感慨深い(笑)。

 そこで気になったのが、男性の希望の場所というのはいまどこにあるのかということなんです。

ブレイディ:イギリスの場合、ある意味でパブがそういう役割を持っているんですよね。そういう場所があったから私も入っていけたというか。先ほどの話に出てきたブードゥーラウンジに集まる人は、私の『ワイルドサイドをほっつき歩け』に出てくるおじさんたちに似ているのではないかと思うんです。つまり、集まる場所がある人たちですよね。そもそも、パブはパブリックハウスですから。

高橋:パブリックは公共という意味ですものね。

ブレイディ:パブに集まる人たちは家族ではないけど、それに準ずるものになっていて、もう何十年も前から知っているし、それこそ付き合ってきた恋人も互いの病歴までも知っている。そういうつながりや場所を持つことは大切ですよね。イギリスは貧困が大変な問題になっていますが、パブがハブ(中枢)の役割になっているんです。例えば、私が住んでいる地域は七面鳥を家で焼けないような貧しい方も多いから、クリスマスにみんなで集まれるようにお店を開けたり。そういうところを見るとイギリスも捨てたものではないと思うし、希望を感じます。家族ではないけど、お互いにきつい時は助け合おうよと誰かが言って立ち上がるところに。

 政治的なイデオロギーでつながっているわけではないんです。たまたま同じパブに通って何十年も前から知っている、ただそれだけ。でも、そういう場所があるというだけで希望を感じるし、人間はそうやって生き延びてきたのではと思いますね。

■男性は孤立してしまう

高橋:ぼく、ブレイディさんの『ワイルドサイドをほっつき歩け』がすごく好きなんだけど、あれっておっさんしか出てこない! 日本でおっさんを書くのは難しいんですよ(笑)。だって、おっさんたちが集まる場所がないから。あれはイギリスの文化だよね。

ブレイディ:パブですよ、パブリックハウスのおかげですね。

高橋:それがすごくうらやましい。日本では女性は集まることができるんです。でも、男性の話を聞くと悲惨ですよ。会社をリタイアすると世の中から切り離されたみたいになってしまう人が多い。会社に所属することはできたけど、それ以外の共同体に所属したことがほとんどないので、いきなり孤立してしまうんだよね。

ブレイディ:日本は家族になんでもさせようとしますよね。家族でなくてもいいんだ、外から助ける人が来てもいいんだ──そういうことが書きたくて昨年『両手にトカレフ』という小説を書いたんです。日本は自己責任論という言葉があるから、共助は何か悪いもののように言われますが、お互いに助け合いましょうという心情を持ってない人たちの国が民を助けるわけがない。相互扶助の文化がなければ、人々を助ける政府を選ぶわけがないんですから。

 家族以外の支援がないとやっていけない状態になっていくなかで、どこからともなく自然にそういう共助が立ち上がってくるのは、イギリスの底力だなと思うんです。でも、それはやはりパブなりボランティア活動の輪なり、血縁と職場以外の何かをイギリスの人は普通に持っていて、そこから立ち上がってくる部分が大きいと思います。

高橋:イギリスには国家でもなく家族でもない、個人を支える共同体があるということだよね。いまの家制度が壊れた時、1人でいいのか。そんな時に血縁ではなくても「家族」としか呼びようがないつながりがあればどうだろうか。家族だと父、母、子ども、それしかないけれど、血縁というつながり方ではない「家族」だったら、規模も関係もすごい数の組み合わせが考えられるでしょう。お父さんが3人とか、同性で養子をもらうとか。血縁でない人たちによって血縁よりもいい関係を作りだす、これも一つの希望ですよね。

(構成/編集部・三島恵美子)

※この対談は、朝日カルチャーセンター横浜教室で行われた講座を採録したものです。

※AERA 2023年3月27日号より抜粋