3月にはマスクの着用が個人の判断に委ねられ、感染症法での位置づけもいまの「2類相当」から、5月8日に季節性インフルエンザと同じ「5類」へと移行する。一方で、子どもを持つ保護者のなかには、どこかスッキリとしない思いを募らせている人もいるようで……。

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 この春に小学6年生に進級する男児の母親は、コロナ禍「収束」の気配に喜びを感じると同時に、学校行事が元の体制に戻ることへのモヤモヤした思いを抱えている。とりわけ6月に行われる運動会を想像すると、ため息が出る。

「また、朝から場所取りのために並ばないといけないのか」

 息子が小学3年生に進級する春にコロナ禍が始まった。それまでの運動会は、早朝から席取りのために校門に並んだ。早起きのかいもあって、子どもの活躍は前方の席でばっちり撮影できた。昼食は、激戦の末に獲得した校庭の一角にレジャーシートを敷いて、親子そろって食べた。

 3年生のときの運動会はコロナ禍ということもあり、保護者の参観がなく、子どもだけで行われた。続く4年生と5年生では、都市部では一般的になった“学年別の入れ替え制”運動会だった。

 1回目は8時から9時まで、2回目は9時半から10時半まで、3回目は11時から12時までと、2学年ごとに3部制で催された。

 当初は、2学年分の競技が1時間の中に圧縮されることで「大丈夫だろうか」と不安もあったが、実際は違った。この母親は「驚いた」と言う。 

「自分の子どもの競技だけをガッと集中して見るわけです。無駄がないというか合理的、あまりに快適で驚きました。どの学年も盛り上がるリレーや徒競走とダンスなどの全体競技の2種目がテンポよく行われる。2学年分が1時間程度で済むわけです」

 午前中で終わるのでお弁当もいらないし、レジャーシートを敷いて座る行為が禁止されているため場所取りも不要。

「こんなやり方があったのかと感心しました。今年は最後の学年ですが、コロナ禍解禁ということは、炎天下で親も子もぐったりしながら、やたら長い来賓挨拶や入場行進が復活して長時間ダラダラ続く運動会に戻すのでしょうか。自分が子どものころの昭和スタイルとまるで変わっていなかった。それに、またあの場所取りが復活すると思うと憂うつですよ」(同じ母親)

 この春に小学4年生にあがる女児を持つ父親は、子どもが入学した年にコロナ禍が始まった。ゆえに“普通”の学校行事は子も親も未経験。しかし、入れ替え制の運動会をはじめとする学校行事の縮小継続が決まり、胸をなでおろした一人だ。運動会も音楽会も、参観できるのは保護者1人、最大でも2人までだ。

 この父親は、こう漏らす。

「子どもが保育園時代の運動会は、自分の両親と妻の両親を運動会に招待していたため、いろいろと気を使いました。しかし、コロナ禍で原則、祖父母を招待する枠がなくなり、ほんと気が楽でした。いや、お互いに仲が悪いわけではありません。でも、自宅の近くに学校がある地元の公立小学校に通わせていると、孫の行事に足を運んでくれた両親を自宅に招いて休んでもらう段階までがセットです。我が家は共働きですから、正直、体も気持ちもキツイです」

 夫が家事や子どもの世話をせずに、妻に丸投げしている家庭はまだまだ多い。ふだんから、仕事に家事に子どもの世話と中学受験の勉強を見るのに精いっぱいな生活であると、ため息をつくのは、2児の母親だ。

「学校行事の日は、早朝から弁当を作らなきゃと想像するだけでも疲れがどっと押し寄せる。コロナ禍が落ち着き、子どもが学校行事を楽しめるのは、もちろん嬉しい。でも、自分の両親や義父母を運動会や入学式、卒業式に呼ぶ緊張感は、仕事の接待とあまり変わらない。アレに戻るんでしょうかね」

 そもそも、学校行事としての運動会は、明治初期に海軍兵学寮で開かれたのが始まりとされ、小学校の教科に「体操」が加わったのを機に全国に広がった。

 学校運営に詳しい宮城教育大学の本図愛実(ほんず・まなみ)教授によれば、現在は学習指導要領における「特別活動」の一つだ。「健康安全・体育的行事」の一環として行われている。

「コロナ禍で多くの学校行事が縮小され、異学年との交流による学びの機会も減りました。一方で、昭和のスタイルを引きずったまま何十年も続いてきた学校行事を、現代の生活様式に合わせて、合理的に整理できたというプラスの成果もあったはずです」

 子どもの保護者たちが小学生であった昭和や平成の時代、運動会はある種、家族団らんの象徴でもあった。家族が場所取りをしたレジャーシートの上で祖父母も交えてお弁当を食べる、牧歌的な光景。

 しかし共働き家庭の激増とともに、運動会に保護者が足を運べない家庭に配慮して、児童は教室に戻ってお弁当を食べる学校も増えた。親も子ども自身も、習い事や中学受験の勉強で疲弊する毎日。運動会や音楽会などの特別活動を、子どもの成長が確認できる場だと実感する余裕さえなくなった。

「愛情」の象徴であったお弁当を、「負担」だと感じる保護者も少なくない。

 本図教授は、こう指摘する。

「確かに、地域に貢献している人物を来賓として招き感謝を伝えることや祖父母を含めた3世代の交流などは、子どもたちにとって大切な学びの機会となります。しかし、子どもたちを取り巻く家庭状況も変わりました。場所取りのために早朝から並んだり、来賓のテント設置に駆り出されたりすることを、いまや歓迎する保護者ばかりではありません」

 さらに、だ。

 問題は、保護者のみならず子どもたちへ負担をかけていることだ。

 本図教授によれば、特別活動は学力では測れない非認知能力を養成する場として存在する。とりわけ運動会は特別だという。

「大抵の学校は、集団行動や向上心を養う特別活動のシンボルとして運動会や卒業式を位置づけています。そのため、コロナ前の全学年が総出で行う運動会に戻したいと考える学校が多いでしょうね。子どもたちの一糸乱れぬ行進や体操が披露されれば、来賓も『美しい』と褒めますし、教育の結果だとして保護者の満足度も高い。逆に、練習不足であれば、『今年はだらけているね』と学校が言われてしまう」

 一方で、本図教授は「旧世代」の運動会といった特別活動が子どもに負担をかけていることは、学校側も保護者にもあまり意識されていない、という。

 運動会が開催される5〜6月や9〜10月の気候は、昭和や平成の時代と比べてだいぶ変わった。九州・四国地方などでは、5月は中国大陸の黄砂が偏西風に乗って数千キロの距離を飛来する季節だ。加えて、初夏や秋でも最高気温が25度以上の夏日や30度以上の真夏日となる日も珍しくない。

「運動会で美しい行進や体操を保護者や来賓に披露するために、子どもたちは炎天下で何度も繰り返し練習をさせられます。運動会が以前の合同形式に戻れば、強い日差しのもとで子どもたちは5時間近く、校庭で運動をしたり待機させられたりすることになる。運動会は子どもの成長を促す良い機会ではあります。しかし、周囲の状況が変わるなかで旧態依然としたやり方にこだわる意味はありません」(本図教授)

 コロナ禍前の2018年には、校外学習に出かけた1年生の児童が熱中症で亡くなるという痛ましい事故も起きている。本図教授は、アフターコロナは、「学校の当たり前」を見直し、教職の魅力を向上させるチャンスである、と指摘する。 

 たとえば、来賓の挨拶は、それこそ録画してオンラインで共有することで、保護者も子どもも落ち着いた環境で聞くことができる。

「運動会が誰のために、どのような力を養う場なのか――。子どもと親に負担のかからない学校行事のあり方を再考する良い機会ではないでしょうか」(同)

(AERA dot.編集部・永井貴子)