将棋の橋本崇載八段が 4月、引退を発表した。その理由は妻との子どもの親権をめぐるトラブルなどによる体調不良だったことから、別居・離婚時の「子どもの連れ去り」や面会交流、親権のあり方が改めて関心を集めている。



 これらの問題をめぐり裁判で争うケースも年々増えているが、父母の紛争に巻き込まれる子どもたちはこの状況をどう見ているのか。聞こえてくるのは「とにかく争わないでほしい」「子どもが親を知る機会を奪わないで」などの切実な声だ。

 4月中旬、橋本氏が東京・JR新橋駅前で開いた演説会。その会場に足を運んだ一人が、子どもの頃に母から「連れ去り」にあい、今は片親環境の子どもが偏見なく生きられる社会を目指す活動を行うランさん(仮名・37)だ。

 ランさんが懸念しているのは、子どもが置かれている状況だ。「同じような問題は多く生じています。有効な対策が打たれていない現状を見ると、子どもが置き去りにされているようにしか見えません。親と違って、子どもは『大変な離婚をして片親環境になった子ども』を長ければ20年近く続けることになる。その大変さの違いをもっと理解してほしい」と訴える。

 ランさんが母に「連れ去られた」のは12歳の時。荷物をまとめるよう突然母に言われ、向かった先は遠く離れた知らない男性の家だった。父が大好きだったランさんは「お父さんに会いたい」と何度も訴えたが、そのたびに母に殴られたという。家の中では喧嘩がたえず、母と義父との仲は急速に悪化。義父はすぐに暴力をふるった。

「義父の連れ子も含めた6人家族でした。母と義父の喧嘩の原因は僕の養育にかかるお金で、『お前にいくらかかっていると思っているんだ』『お前のせいで金がない』と双方から責められる。存在価値を否定され、しかもその喧嘩を自分が止めなければ眠れない状態で、毎日が地獄のようでした」

 同居が始まって8カ月後、母に再び荷物をまとめるように言われ、家を出た。義父に見つからぬよう旅館を転々として3カ月程暮らしたという。ランさんにとって2度目の「連れ去り」だった。親の都合で何度も環境を変えられることにうんざりし、強く反発した。その後、祖母のいる北陸地方で暮らすことになったが生活は貧しく、精神状態が不安定な母との日々は過酷なものだった。

「同意なく『連れ去る』ことは、子どもにとって心理的な虐待につながることを分かってほしい。慣れ親しんだ家を突然離れ、片方の親や友達とも別れて環境も変わる。『連れ去り』は子どもに良くないとの認識をまず持ってほしい」とランさんは強調する。さらに、片親環境の問題点は「主に2つある」とランさんは指摘する。金銭的な貧困と人的資源の乏しさだ。

「片親環境はサポートしてくれる人的資源も比較的少ないことが多く、子どもが何か問題を抱えた時につなげる先がないことが多いのです。離婚後も両親に会えていればこれらの問題は大きく変わると思います。モラハラやDVの裏には精神疾患や発達障害があって治療が必要な場合もあるんです。公的機関を含めて『会わせることはできない』との判断が出れば、子どもも仕方がないと思うかもしれない。子どもがそんな親でも会いたいと思うのか、その時にはどう対処するかを考えるのが本来の大人の責任だと思います。一方の親に会えません、というよりも、『両親に会ってサポートを受けている』と言える子の方が生活上問題が少ないし、片方の家で虐待が起こった時にも逃げられるわけでいいはずなんです」

 親が離婚した子どものサポートにあたるNPO法人ウィーズの光本歩理事長(32)も、「両親が争い、負の感情を長引かせることで子どもがしんどさを抱え続けているのが現状です」と指摘する。

「子どもたちは『お父さん、お母さんの争いを見るのが一番つらい』と言うんです。片方の親が『(もう一方の親は)悪い人だった』と言えば、自分を否定されているように感じてしまう。『なんで結婚したの、なんでそれが分からなかったの、結婚して私を生まなきゃよかったじゃん』って子どもは考えるんです。それに気がつく親はほとんどいません」と光本さん。居場所の分からない親に会いたいとの相談も相次いでいるという。

 それまで当たり前だった生活や、「両親が一緒に生活する」との固定観念、理想の家族像が崩されることから、離婚を経験した子どもたちは「喪失体験」を持つと光本さんは話す。それらは「普通じゃない」との孤立感に結び付きやすく、生きづらさにつながっていくという。

「喪失体験をなくすことはほぼ不可能でも、少なくする方法はあると考えています。子どもが別居親を認識していること、子どもと別居親が接点を持っていること、同居親がそのことを心から納得していることの三つが必要です。面会交流は子どもが親を知り、離婚と自分の人生を切り分けて前に進んでいくためのキーになるものと捉えています」(光本理事長)

 そうした考えは、光本さん自身の経験にも基づいている。両親が離婚したのは13歳の時。母の借金が原因で、父と妹の3人で早朝4時にひっそりと家を出た。

「『努力した稼ぎのすべてを持って行かれた』と父は母をひどく憎んでいました。借金が原因でしたから養育費や面会交流の話なんて出るはずもない。私は父に連れ去られたと思ってはいませんが、大阪から静岡に移ったので『こんな遠くに来ちゃったから二度とお母さんには会えないんだな』とあきらめの気持ちでした」

 母に「バイバイ」と言えなかったことが心に引っかかり続けた。高校生となりアルバイトを始めた光本さんは、「バイバイ」を告げるために、お金をためて母に会いに行くことを思いつく。自分で稼いだお金だから父に気を遣う必要もない。高速バスを使い、4年ぶりに会った母は、新しい彼氏を連れて現れた。

「衝撃でした。バイトをして、私がこんなに苦労しているのに、『彼氏だよ』ってのこのこ連れてきて。でも『こんな母だから離婚したんだ』と腑に落ちました。母はもう自分の人生を歩んでいる。『笑顔でバイバイ、またねを言う』という目的も果たせたし、親の離婚と自分の人生を切り分けて前に進んでいこうと。ある意味悪い面会交流だったとは思いますが、ターニングポイントになったのは確かです。自分の目で見て納得することが大切で、だからこそ子どもが親を知る機会を奪わないでほしいんです。子どもにとってお父さん、お母さんは変わらない、大事な存在。現在のように紛争を助長しがちな制度ではなく、親同士の葛藤を下げられるような支援、子どもが離婚による不安や負担を更に感じることがないような制度や仕組み作りが必要だと考えています」

 離婚後の子どもの心理や海外の制度に詳しい大正大学の青木聡・心理社会学部教授は「弱き者や、より声の小さい者をしっかり皆でサポートする、とのスタンスでこの問題を考えることが重要です」と指摘する。

 日本では裁判で争った場合でも家庭裁判所の調査官が子どもに1,2回会う程度で、面会交流や養育費の取り決めも義務化されていない。一方、例えばノルウェーでは、離婚を希望する場合まずは別居して面会交流を行い、養育費も毎月支払えているか1年間確認する。その上できちんと行えていれば離婚が可能となる仕組みになっていると青木教授は説明する。

「子どものために親がちゃんと配慮できるか事前にチェックしているんです。片方の親と引き離されたり悪口を聞かされ続けたりすると、自己肯定感が下がり、人間関係能力の低下やアイデンティティー形成に問題が出てくるということが多くの先行研究から分かっています。それらを防ぐための政策がとられているのです」(青木教授)

 共同親権/養育を採用している国々では、DVや虐待問題にどのように対応しているのだろうか。

「日本で争点となる『連れ去り』も違法化している国がほとんどです。『同意なき連れ去り別居』が子どもの未来に与える影響を深く考慮している面と、欧米などではDVや虐待に対して厳しい制度や介入の仕組みができているため厳格に対処できる、との面があると思います。DV対策をみると、日本は被害者を逃がすのに対して欧米では加害者を逮捕して罰するという点が大きく違います。『子どもの未来への想像力』が乏しく、DVなどを緻密に評価する専門家・機関が少ないことが日本の大きな問題で、対策は急務です。最も弱い者を支援するとの視点に立てば共同養育の考え方になっていくと思いますし、その中でDVや虐待など明らかに犯罪的な行為には厳しく対応していく。その上で離婚後の子育てについての親教育は大事ですし、養育計画など大人としての取り組みを行う。子どもをしっかりと育てていく、そこは離婚しようがしまいが最低限必要な親の配慮です」

 親間の葛藤を下げ、子の養育に双方が責任を持つことができるようにするためには、今後どのような法や制度を構築していけばいいのだろうか。(藤岡敦子)