日本テレビのキャスターとして活躍する鈴木あづさ氏(46)は、4月に『蝶の眠る場所』(ポプラ社)で「水野梓」として小説家デビューした。本作は、テレビ局の女性記者がドキュメンタリー番組の取材を通して、ある小学生の転落死の「謎」に迫るミステリー小説だ。



 だが単なる“謎解き”で終わらず、冤罪、死刑制度、犯罪加害者の家族、シングルマザーなど社会に横たわる諸問題が、さまざまな場面で主人公に突き付けられる。報道の現場に身を置く著者ならではのリアリティーは話題を呼び、本作は発売直後に重版が決まった。なぜ鈴木さんは報道キャスターでありながら小説というフィクションの世界に飛び込んだのか。小説で伝えたいことは何だったのか。

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――鈴木さんは日本テレビで警視庁担当など社会部畑を歩み、中国総局特派員や国際部デスクなども歴任されました。NNNドキュメントのプロデューサーなどをへて、現在は経済部デスク、『深層NEWS』のキャスターとして活躍されていますが、キャリアは一貫して報道の現場です。そんな生粋の「報道人」が小説というフィクションに挑戦しようと思った理由を教えてください。

 22年間ずっと報道の現場にいるなかで、マスメディアの記者として真実を追い続けるには、ある種の“限界”があると感じていました。マスメディアは毎日大量のニュースを追いかけて取材します。事件発生直後はバシャバシャとフラッシュをたいて関係者に話を聞いて回りますが、熱が冷めた後の「その後」を取り上げることはなかなかありません。テレビの記者は1分でも早くオンエアした方が勝ち、という強迫観念があり、その競争に明け暮れます。

 でも、事件の当事者や家族たちはその後も苦しんだり、もがいたりしながら人生が続きます。『NNNドキュメント』というドキュメンタリー番組にいた時、死刑執行された男性の妻が再審請求をした「飯塚事件」を取り上げました。冤罪の疑いがある中で死刑は執行されましたが、遺族にとっての“真実”は別にあると思います。日々の小さな事件の中にも同じような“真実”はあるはずです。ニュースでは取り上げられない「その後」にこそ、私たちが知るべき本質があるのではないか。そう思って、死刑囚の遺族をめぐる物語を書き始めたんです。

――そもそも、小説を書こうと思ったのはいつ頃からですか。

 小学校の3〜4年生くらいから、将来は小説家になりたいと思っていました。というのも当時は友達関係で悩んでいて、学校ではずっと図書館にこもっていたんです。そこで司書の先生が勧めてくれたのが「孤高の人」(新田次郎著)という小説でした。小学生には少し難解でしたが、主人公が1人で山と向き合う姿勢に「孤独でもいいんだ」「何でもうまくやろうとしなくていいんだ」と気分が楽になったんです。その後も人間関係ではいろいろとありましたが、小説の登場人物との会話が私を救ってくれました。学校や会社では集団にひとり「黒い羊」がいると異端とみなされ、邪魔者扱いされる。私はある種そんな存在だったと思います。でも、そんな1匹の「黒い羊」に向けて語りかけてくれるのが小説であり、私もそんな悩みを抱える子どもたちのために本を書きたいとずっと思っていました。

 小説もずっと書き続けていて、母と娘の愛憎、介護、恋愛、生老病死などこれまで書いたテーマは多岐にわたります。ありがたいことに、次回作以降のお話も頂いているのですが、過去に書いた物語を基に書き進めている作品もあります。

――小学生の頃の原体験があり、学生時代から小説を書いてきたとはいえ、社会人になって多忙な日々を送る中で執筆時間を確保するのは容易ではなかったはずです。特に警視庁担当の記者となれば、警察幹部への「夜討ち・朝駆け」などで睡眠時間が削られるほどの激務です。そんな環境で小説を書き続けられたのはなぜでしょうか。

 端的にいうと、2つの「違和感」が原動力になっていると思います。

 1つは目は先ほどお話した、取材をしても本質に迫れていないのではないかというもどかしさです。日々、報道の仕事で「このままでいいのだろうか」という気持ちを抱えており、それをフィクションとして書くことで“浄化”させていたのかもしれません。

 2つ目は、私個人がテレビという業界にどこかなじみ切れないような不安を抱えてきたことです。私が入社した1999年は就職氷河期でいわゆるロスジェネ世代ですが、テレビ業界はまだバブルの残り香がありました。周りの人もすごくキラキラと華やかな気がして、私はどこかでずっと自分自身に違和感を覚えていました。自分のいるべき場所は本当にここでいいのだろうか、という思いです。

 私には人とうまく関係を築けなかったというルサンチマンがずっとあって、それを文字の世界で癒やしてきました。きっと自分みたいな人間がこの世界にはいるはずだ、そういう人に向けて「どうしても書きたい」という思いは強く持ち続けていました。

――本作はテレビのドキュメンタリー番組が舞台ですが、小説なので発生する事件やキャラクターの造形などはフィクションだと思います。ただ、社会部でキャリアを積んだ鈴木さんが書かれているので、「ここは現実にあったことなのでは」と思わされる部分もあります。物語の中で“リアル”にこだわったところがあれば教えてください。

 調査報道の手法については、リアルに描写しました。私たちが事件を取材する際には、本当に一枚一枚の薄紙をはぐようにして真実に近づこうとします。取材対象者に何回も手紙を出して信頼関係を築いたり、靴底をすり減らして何度も同じ現場に足を運んだり、同じ場所で何時間も待ち続けたり。調査報道とは「面倒なこと」の積み重ねであり、地道で愚直な取材だけが人の心を動かして真実に近づくことができる。それは知ってほしいと思いました。

 小説を書くうえでは、いきなり協力者が現れて内部文書をくれたり、犯人を知っている人と偶然出会ってしまったりという「飛び道具」を使うとすごく楽なんですが、それは絶対にしないように心がけました。だから逆に、「もどかしいこと」はそのままにしておいて、あえて結論めいた記述をしていないところもあります。人間は白と黒にはっきりと二分されるものではなく、誰もがその中間のグレーだと思うんです。登場人物でもそれは意識して描きました。

――物語には個性的でクセのあるキャラクターが多く登場しますが、特に思い入れがある人物はいますか。

 警察のキャリア官僚である「冴木」の造形にはこだわりました。経済部の財務省担当として森友学園問題も取材しましたが、そこで目の当たりにしたのは、エリート官僚たちの“もろさ”でした。彼らは求められている答えを先回りして「解」が提示できる頭の回転と、組織の大義にすぐに順応できる適応力をもって出世してきました。

 しかし、その意思決定に絶対の自信を持っているわけではなく、組織にNOと言えない自分をはがゆくも思っているし、そうした弱さも自覚している。こうしたエリート官僚が国民の人生を左右する政策決定をして、ときに道を誤るのです。「冴木」はその弱さの象徴として描きたかった。本当は主人公の美貴ともう少しちゃんと結ばれる展開も考えていたのですが、そこまでこの男を許していいのだろうか、などと思い悩んで、本で書いたような結末にしました。そういう意味で、人物造形にとても苦労したキャラクターでした。

――鈴木さんは今でも日本テレビの社員であり、組織に所属するジャーナリストです。そうすると会社や組織の批判はしづらくなりますし、作家として本当に書きたいことを制限されてしまうという懸念はありませんか。

 本質的には作家としての「水野梓」と日本テレビの「鈴木あづさ」は別人格です。でも、小説には自分の経験や思考は投影されるものだし、「テレビ局の現役社員」「報道キャスター」という肩書をフラットに見てもらえないことは自覚しています。会社は私の作家活動を認めてくれていますが、社員であるがゆえの制約もゼロではないでしょう。

 ただ、私は作品をメディアのありように対して何かを言う舞台とは思っていないんです。小説では、もっと人間の真理や本質を追求していきたい。書くことの原点は、1匹の「黒い羊」にメッセージを投げかけることだと思っています。一方で、100行の原稿を費やしても語り尽くせない真実が、たった5秒の映像に宿ることもある。映像と文字、両方の良いところを生かしていきたいと思っています。

 今の社会はポリティカル・コレクトネスが厳しく求められていて、同調圧力も強い社会です。小説における表現も例外ではなく、フィクションであっても“正しさ”が求められる時代かもしれません。でもポリコレが何たるかを知ったうえで、私は“常識”に対して怒りや疑問を抱き続けることが、ものを書くことの原動力だと考えています。私が尊敬する大島渚監督の「反骨こそわが魂」の精神を忘れずに、これからも書き続けたいと思っています。(構成=AERAdot.編集部・作田裕史)

◎鈴木あづさ(作家名:水野梓)
1974年生まれ、東京都出身。早稲田大学第一文学部とオレゴン大学ジャーナリズム学部を卒業後、日本テレビ入社。警視庁や皇室担当、社会部デスク、中国総局特派員、国際部デスク、『NNNドキュメント』プロデューサー、『ニュースevery.』デスクなどを歴任。現在は経済部デスクとして財務省と内閣府を担当するかたわら、BS日テレ『深層NEWS』金曜キャスターも務める。NNNドキュメント14『反骨のドキュメンタリスト〜大島渚「忘れられた皇軍」という衝撃』でギャラクシー賞月間賞。9歳の息子を持つ母親でもある。