「セーラー服と機関銃」や「三毛猫ホームズ」シリーズなど数々の名作を世に送り出してきた作家の赤川次郎さん(73)が、朝日新聞の読者投稿欄「声」に、「五輪中止」を訴える意見を投稿。6月6日に掲載された。五輪開催に舵を切る日本を危惧する赤川さんに、その真意を聞いた。



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――朝日新聞の「声」欄に掲載されたのは、2012年4月12日以来、今回で4回目でした。

 実は、最初に投稿した時は載りませんでした。掲載前に身元確認の電話があるのですが、ちょうど旅行に出ていて連絡が付かなったのです。もう何を書いたかよく覚えていません。

――どうして「声」欄に投稿しようと思ったのでしょうか。

 週刊誌「女性自身」に月1回、コラムを書いているのですが、原稿用紙3枚なので、そんなに書きたいことは書けないんです。そのコラムよりも、むしろ声に載った方が反響がありますね。でも、「声」は500字だから短くするのが大変でした。今回の投稿も、何回も何回も書き直して、削って、削って、やっぱり500字にしないとね。一読者として投稿するんだから。自分の小説ではそこまでしません(笑)。

――今回、「五輪中止を決断するしか道はない」と題し、強いメッセージを綴られていました。

 なし崩しに五輪を開催しようとしているので、このまま見過ごすことができませんでした。僕が書いたって、それで中止になるとは思わないけど、自分の考えを文字に残しておきたくて。後になって、あの時に反対しなかったじゃないかと言われるのが嫌だからです。戦争の時と一緒ですよね。戦後、子どもから「なんでお父さんは戦争に反対しなかったの」って言われたら、やっぱりつらかったでしょうからね。作家として、立場や考えを文字に残しておけば、逃げられませんからね。

 中学時代の同級生に、クルーズ船の時からコロナ患者を受けている総合病院の院長がいます。今はコロナで病院が大変なので話す機会はないのですが、久しぶりにメールが届きました。「書いてくれてありがとう」と。院内クラスターが起きたら大変ですから、職員が必死になって感染を防いでいる、とも書いてありました。彼も70歳を過ぎてから、医者人生でまさかこんな事態に出会うとは思わなかったでしょう。

 報道では、看護師は防護服を着て何時間も働くので、トイレに行くこともままならずオムツをつけて働いている人がいると報じられていました。そういう人のことを考えたら、「オリンピックをやろう」という発想はできないはずです。

――「声」には、「賠償金を払わねばならないのなら払えばいい。経済は取り戻せても、人の命は取り戻せないのだ」と書かれていました。

 余計なことにずいぶんとお金をつぎ込んでいますよね。布マスクを配布するだけで約260億円を使ったのだから、賠償金を払えばよい。いくら日本のコロナ死者数は少ないと言われていても、すでに1万4千人以上が死んでいる。オリンピックを開催したために例え1人でも死んだら、その人の命は戻ってこない。そういう命の重さがすごく軽く見られているように思うのです。

――菅首相はG7サミットで「安全安心な大会を実現する」と訴え、五輪は開催される方向に向かっています。

「安全安心」の医学的根拠がどこにあるのでしょうか。開催してしまえばどうにかなるという発想と、中止したら自分がどれだけ損をするかを考えているのでしょう。「日本は大丈夫」みたいな精神論を言われても、ウイルスはそんなこと、聞いてくれません。
 
 戦争の時とちっとも変わっていない。ここまで来たらやめられないから体当たり。科学的な判断ではなく、神頼みに近いです。神風が吹くとでも思っているかのように見えます。悲惨な結果になったら、日本では個人の責任ではなく、みんなが悪いという話になる。でも、今回のコロナ禍での五輪開催に関しては、反対が多いことがはっきりしています。

――大手メディアが東京五輪のスポンサーになっていることをどう思いますか。

 客観的に判断しなければいけない立場であるマスメディアがスポンサーになるのは間違っていると思います。しかも主要な大新聞がみんななっている。

 「声」掲載の翌日、夕刊の「素粒子」で、僕の投稿に対して「胸のすく思い」と書いて頂きました。仲の良い編集者がそれを読み、「それで終わっちゃだめでしょ」と言っていました(笑)。「胸がすく」のなら、次は自分が何かしてください。大新聞はそういうところがありますよね。人に言わせて、この人の意見は載せましたからという姿勢。朝日新聞は社説で中止を訴えましたが、それ以後、他紙も含めて新聞としての主張があまりないですよね。文句がある時は誰かに言わせる。この人に頼んだら多分こういうことを書いてくれるだろうと。もうちょっとやれることがあるような気がします。

 今月になって、世論調査では五輪「中止」よりも「開催」が増えていき、観客数の話になってきました。突然どうしたのでしょうか。結局、反対できないような空気にしていきたいのでしょうね。すごく嫌だなぁ。

 ジャーナリズムや医学界が反対や中止の声をもっとあげれば、少しは変わってくると思うのですが、個人的な考えはあっても、それがまとまった一つの力にならない。これが、フランスあたりの話だったら、人々がデモを起こして政権が倒れていたと思います。

――1964年の東京五輪の時、赤川さんは高校生。当時を振り返って思うところはありますか。

 学校の生徒が動員され、僕も見に行かされましたよ。観客が入らないスポーツがほとんどで、客席はガラガラでした。記憶では、サッカーを観戦しました。しかも席が遠くてね、アリのような人がちょこちょこ動いているだけで、何を見ているのかわからなかったな。実際に行ってもよく見えないですよ。

――東京都の緊急事態宣言が解除され、海外の選手団が国内入りしてきました。「第5波」の到来を懸念する声もあります。

 いま、やっと感染者数を抑えて、低い値で食い止めているのだから、五輪開催は自分で堤防を崩しているようなものですよね。

 イギリスはワクチン接種が進んで平常に戻ろうとしていたところだったのに、今度はインドで見つかった変異株が広まっている。日本はワクチン接種だってまだ進んでいないのだから、これから感染状況が急激に悪化して中止せざるを得なくなるシナリオがありうるのかどうか。

 緊急事態宣言を解除して、2、3週間後に感染者が増えたとしても、それでも開催するつもりでしょう。

 そこで、ジャーナリズムが中止を言わざるを得ないような状況になるのか。ただ、そうなるまでには、大勢の人が犠牲にならないといけないわけです。犠牲になった人の命は取り返しがつかないのです。

(聞き手/AERA dot.編集部・岩下明日香)