9月20日、15日間に渡った天皇ご一家の引っ越しが終わった。

 天皇陛下と皇后雅子さまは、赤坂御所を離れるにあたり、こう感想を寄せた。

「歴代の天皇がお務めを果たされる上での礎となってきた皇居に移ることに身の引き締まる思いが致します」

 おふたりが、「身の引き締まる思い」と表現した通り、

「天皇家の引っ越しは、それは厳かな空気に包まれたなかで行われます」

 そう話すのは、かつて侍従として天皇家の引っ越しを経験した多賀敏行元チュニジア大使である。

 天皇家の引っ越しが特別なのは、皇位のしるしとされる三種の神器の存在だ。

 神器のうちの草薙剣(くさなぎのつるぎ)と八尺瓊(やさかにの)勾玉(まがたま)が天皇とともに新御所に運ばれ、「剣璽(けんじ)の間」に納められるからだ。

 9月6日、天皇ご一家は、両陛下が結婚の翌年から25年間を過ごした赤坂御所を出発し、皇居に入った。

 陛下のうしろに二人の侍従が続き、皇后雅子さま、長女で内親王の愛子さまの順で新御所に入った。

 二人の侍従の手にあるのは、「皇位のしるし」とされる剣と璽(じ=まが玉)だ。引っ越しに伴い、新御所の「剣璽の間」に納められるのだ。

「28年前の光景がありありと思い出されます」

 元侍従の多賀さんは、懐かしそうにテレビの映像に写った引っ越しの光景を眺めた。

 平成の天皇ご一家が、赤坂御所から新御所に移ったのは、1993年12月8日のことだ。

 この日、多賀さんは侍従として勾玉<まがたま>を運ぶという重要な役目を担っていた。

 三種の神器のうち、八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)の本体は、それぞれ伊勢神宮と熱田神宮が「天皇よりお預かり」する形で祀られている。

 皇居・賢所にある鏡と御所にある剣は「形代(かたしろ)」と呼ばれる分身だ。

 剣と勾玉は合わせて剣璽(けんじ)と呼ばれ、御所の「剣璽の間」に納められる。

「天皇陛下のすぐあとに続いたのは、陛下のハゼの研究に深く関わった古参侍従の目黒勝介さんでした。目黒侍従が剣を運び、勾玉(璽)を運ぶ私が続きました」(多賀さん)

 

 平成も令和も共通するのは、天皇に続くのが皇后ではなく剣と勾玉を運ぶ侍従である点だ。

「通常ならば、天皇陛下に続くのは皇后さまですが、順番を譲られて剣璽のあとにおられた。剣と勾玉が皇位継承のしるしであるためでしょう」

 剣璽が運ばれるときは、黒い箱に納められる。 三種の神器は、天皇自身も直に目にすることが出来ないとされており、もちろん侍従が箱を開け中を見ることもない。

「勾玉を運ぶ役目を、当時の山本悟侍従長より言いつかったのは数日前でした。両陛下と宮内庁は、外務省から侍従職に出向して間もない私に任せてくださった。その寛容さにただただ驚き、同時に間違いがあってはいけないと自分に言い聞かせました」

 もっとも忠実な側近のひとりと言われた目黒侍従が背中を押してくれたこともあり、多賀さんは大役に臨んだ。

 あまり知られていないが、天皇家の引っ越しならではの習慣もあった。 

 のちに侍従次長となる八木貞二侍従が、多賀さんにこう話しかけた。

「新御所へのお引越しの際は、お祝いの気持ちを謳う和歌をつくり、陛下に献上するのが習わしですよ」

 和歌を詠んだこともない。ましてや陛下に献上した経験もない。

 四苦八苦しながらなんとか一首を詠んだ。そして慣れない手つきで筆を持ち、半紙につづった。

 天皇陛下にお供して、勾玉を捧げつつ、新しい御所の玉砂利を踏みしめて進む。新御所での陛下とご家族のご多幸をお祈りせずにはいられないーー。

 陛下に献上したのは、そんな内容の和歌であったという。

「天皇家の日常は、和歌とともにありました。天皇が1月に催す『歌会始の儀』は、よく知られていますし、私がお仕えしていた頃は、毎月催された月次歌会(つきなみのうたかい)もありました」

 かつて昭和天皇と平成の天皇の和歌の御用掛を務めた岡野弘彦さんは、こんな話を記者にしたことがある。

 和歌といえば10万首を残したた明治天皇が有名だ。昭和天皇もまた、1万首の和歌を残したとされ、和歌のお好きな方だった。

 

 お出かけ先で、安珍清姫伝説の伝わる日高川(和歌山県)をご覧になると、「日高川という題で和歌を作ってみたらどうだい」

 と、そばの者におっしゃる。昭和天皇の時代は、そういう雰囲気があったという。

 「いまも地方に天皇が行かれると、その土地の川や山の名前を詠み込んで、和歌をお作りになる。

 それは、その土地で暮らす人々の生活への祝福の意味を持ちます」(岡野さん)

 さかのぼること平安の時代。醍醐天皇が命じて編纂されたのが、日本最初の勅撰和歌集となった『古今和歌集』だ。歴代天皇や上皇、法皇が命じて編纂された勅撰和歌集は21集にも及ぶ。

「天皇陛下は日本文化の伝統を引き継いでおられる存在なのだと、あらためて実感したものでした」




 平成の天皇ご一家が新御所へ引っ越した際や上皇ご夫妻の仙洞仮御所への引っ越しでは、作業をする間、ご本人方は御用邸などに滞在してきた。 コロナ禍がおさまらない今回の引っ越しでは、県をまたいだ行動を控えるために、天皇ご一家は宮殿に滞在した。

「もともと御用邸、というのは作業を職員に任せて、ご一家がのんびり休暇をお過ごしになるという話ではないのです。ご本人方が引っ越し先におられると、職員の作業がはかどらないという問題が生じます。そのために、いわば、職員の働きやすさへの配慮から、御用邸などに滞在していただいていたわけです。今回、天皇ご一家が御用邸に代わって滞在なさった宮殿は、生活する場所ではありませんのでさぞかしご不便もあったと思います」

 天皇ご一家が新御所に移り、いよいよ本格始動する。令和の皇室は、どのような顔を見せてゆくのだろうか。

(AERAdot.編集部 永井貴子)

 たが・としゆき 1950年生まれ。大阪学院大学外国語学部教授、中京大学客員教授。外務省に入省後、国連日本政府代表部の一等書記官などを経て93年から天皇陛下の侍従を務める。駐チュニジア大使、駐ラトビア大使を務め、2015年に退官。