TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。山田詠美さんの自伝的小説『私のことだま漂流記』について語る。

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 ラジオ番組に出演してもらったり、『ジェットストリーム』の台本をお願いしたりしている若き友人の小川哲(彼は本年度直木三十五賞を受賞した。さとし! おめでとう!)と新宿のバー「風花」に立ち寄った。「島田(雅彦)さんがいたりして」とひそひそ話しながら扉を開けると本当に奥のカウンターに座っていて思わず「島田『くん』!」と呼んでしまった。

 というのも、僕の年末年始は、ポンちゃんこと「幼馴染(なじみ)」の山田詠美の自伝的小説『私のことだま漂流記』にぞっこんだったからだ。「誰よりも家を愛す」母のもとでの幼少時の読書体験から学校で配られる現国教科書の初々しい香りにうっとりした少女期、サガン『悲しみよこんにちは』に出会った高校時代と明大入学後の学生漫画家生活(自慢じゃないが本名「山田双葉」作のその漫画本を持っている!)、銀座ホステスの日々と赤坂MUGEN(ムゲン)の夜(僕らキサナドゥ派はポンちゃんら“シスター”からは軽く一蹴されていた)、編集者石原正康との出会いと直木賞受賞、その後の波乱というまさに「女流」一代記。

 築地の高級料亭「治作」で田中小実昌に鴨頭葱(こうとうねぎ)を包んだふぐの刺し身を赤子みたいに口まで運んでもらったり、山の上ホテルの一室で水上勉の生乾き原稿用紙を目の当たりにして作家の背負う業を感じて泣いてしまったり、「文学という獣の霊気」を発する中上健次の振る舞いに繊細さを感じ取ったりなど先輩作家の薫陶と逸話がちりばめられたこの青春小説を朝起きてまず一章、ランチ後もジム帰りもさらに一章と胸元に抱くように読んだ。

 エピソードの合間には同志たちとの友情と連帯が描かれ、その象徴が男友だちの呼称に付属する「くん」だった。だからこの小説に登場する島田雅彦さんを、島田「くん」と呼んでしまったわけだ。

 島田くんも「久しぶりだね、延江くん」と呼んでくれ、小川哲を「君が話題の小川くんか」と迎え入れ、島田くんは『パンとサーカス』、小川くんは結果的に直木賞となった『地図と拳』の長編を上梓したこともあり、ポンちゃんの言うところの「文芸な夜」が展開された。ほどなくジャーナリストの青木理さんと新聞記者望月衣塑子さんが現れ、店は賑やかになった。何人かに「山田詠美さんの結婚式を手伝ったんですね。『私のことだま漂流記』で読みました」と声をかけられ、ポンちゃんはこの店にやってくる「同級生たち」に親しく読まれているのだなと思った。

『私のことだま漂流記』は毎日新聞「日曜くらぶ」に連載されたものだが、刊行前のトークイベントで「宇野(千代)先生と同じところに書くことができるなら、私なりの『生きて行く私』しかない。この紙面を待っていたんだなと思った」とポンちゃんは振り返っている。

 彼女の本を読了後、さっそくその『生きて行く私』を読み始めたら面白いのなんのって。夢中になりすぎ、駅を乗り過ごしてしまった。その他にも小川未明、吉屋信子に草間彌生、ジェームズ・ボールドウィンなど人生を楽しむ上で読んでおきたい作家がたくさん出てくる。現代文学指南書としてもうってつけ。これこそ国語の教科書になるべき一冊だ。

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。新刊「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)が好評発売中

※週刊朝日  2023年2月3日号