昨年公開されたフィクション映画「PLAN75」では75歳以上に安楽死を勧める制度ができた社会が描かれた。「映画のような社会を現実のものとしないために私たちに何ができるのか」。認知症当事者である漫画家、タレントの蛭子能収さんに聞いた。

*  *  *

■「認知症になっても働き続ける」

 個性的なタッチの漫画家として活躍し、ひょうひょうとしたキャラクターでテレビでも人気の蛭子さんは認知症を公表しながら仕事を続ける。インタビューには支える側の妻の悠加さん、マネジャーの森永真志さんにも加わってもらった。

「認知症になっても稼ぎたい」。蛭子さんは、そう断言する。稼ぎたい理由は、ギャンブルがしたいから。特に、競艇は通い続けて、全国すべてのボートレースを回った。

 認知症は「レビー小体型」タイプで、実際にはないものが見える幻視、就寝中に大声を出したり起きだしたりする「レム睡眠行動異常症」、うつ症状が出やすいなどが見られる。「アルツハイマー型」も合併し、直前のできごとも忘れやすい。

 だが、「競艇場でレースを見ているときは、ギャンブラーの表情に戻る」と悠加さんは言う。

蛭子:ギャンブル、面白いんですよ。お金が増えて戻ってくるって、すごく気持ちいいんで。予想するのも好き。難しいんですけど。

森永:マージャンはやってもらいたいんですけど。健康マージャンは賭けられないので面白くないみたいで。

蛭子:勝ち負け。

森永:勝ち負け、ハッキリさせたいんです。

――認知症を公表するかどうかは、事務所や家族で話し合った。事務所は本人の意欲を尊重するとともに、症状が進行してきたため、周囲に迷惑をかけないようにと配慮した。

蛭子:漫画を描くより、テレビに出るほうが好き。漫画はギャラが安いから。

森永:バブルのときはテレビの出演料がたくさん入って、笑いが止まらなかったって。

蛭子:人と会話するのは苦手ですけど。

森永:人柄がいいので、共演者に好かれるんです。遅刻もしません。いつも腕時計を5分早めています。「一緒にロケする人の名前を忘れちゃいけない。失礼だから」って、ギリギリまで確認する。このあたりは、認知症になる前もなってからも変わらないですね。

――タレントの有吉弘行さんが「認知症だからって、テレビに出ちゃダメなのか」と局に掛け合ってくれたり、司会の東野幸治さんが持ち味を引き出してくれたり、テレビ出演の依頼は続く。

森永:最近、絵のタッチが変わったんです。前衛的になったんですよ、ピカソみたいに。

悠加:ゆくゆくは展覧会もしてみたいと、絵を描きためています。

――「PLAN75」を観た悠加さんは年齢的に死を身近に感じるようになったこともあり、最初の場面からずっと涙が止まらなかったという。

悠加:認知症の人が外出するときは、どうしてもサポートする人が必要です。そんなとき、家族だけでなく、さまざまな人と助け合える社会になるといいなと思います。

蛭子:死ぬことは一番嫌い。何の儲けもない。社会は年々変わっていくんだから、何とかなると思うな。

(医療ジャーナリスト/介護福祉士・福原麻希)

※週刊朝日  2023年2月10日号