新聞社はどこも売上減とともに志望者減に苦しんでいる。

 新潟の地方紙、新潟日報も2002年には518名のエントリー数をほこったが、以後、年々減り続け、2019年にはついに100人を切り84人の志望者しか集まっていなかった。

 危機感をいだいた経営陣は、それまで50代の男性が一人でやってきた採用担当にかえて、報道畑を歩いてきた岩本潔(1991年入社)と、広告畑でずっとやってきた荒井雅美(1993年入社)を投入する。翌年には、30代前半の倉部未咲(2009年入社)も加わり、この三人が改革に着手することで、志望者数は年々回復し、2023年4月入社のエントリーでは361名の応募者を集めるまでになる。

 今週は新聞社と若い世代をいかにつなぐか、という話。新潟日報は、採用活動の改革を通じて、将来的に花開くであろう事業のヒントまで得ることになるのだ。

 報道部長までやった岩本は、新聞社といえば記者のことだと考えていた。が、それは違うと、それまで記者職のインターンしかなかったものを、広告・販売のインターンも設けようと提案をしたのは、荒井だった。

 そしてインターンの回数もそれまでは、夏1回、冬1回しかやらなかったものを、夏は5回、冬も複数回設けて、できるだけ間口を広げようとした。しかも、営業職であれば、実際の商談の場にインターンの学生をつれていき、ちょっとしたプレゼンをさせるということもやる。

 倉部は支局や報道部で記者をやってきた。しかも子育てをしながら。学生と年齢も近いしよいロールモデルになる。そして、荒井も倉部も、学生の面倒をよくみた。

 たとえば定員20名と発表していたインターンシップがある。そこに40名の応募がくる。会場の場所を増やして全員を受け入れた。

 そして二人とも、岩本がみると、ここまでやるのか、というくらい学生との連絡をその後も絶やさなかった。何かあれば、電話をして近況を話したりする。

 荒井はその中である気づきを得る。志望をする学生は新潟出身で県外の大学に出た学生も多い。しかし、そうした学生は、驚くほど新潟日報のことを知らないし、そして新潟のことも知らなかった。しかし知らなかったのは、彼ら彼女らの責任ではなく、自分たちが知らせようとしてこなかったからではないか、そしてそれは新潟日報だけでなく、他の新潟の企業にも言えるのではないか。

 新潟は明治期には、豊かな米処であったことと、北前船による商業の活発化で、東京をしのいで日本一の人口を誇っていた。その新潟も、1998年を境に徐々に人口が減り始め、県外への転出の超過は25年続いている。進学、就職を機に首都圏に出て行ってしまうのである。

 荒井は、1993年に「新潟をよく知ってもらいメジャーにする手伝いができれば」と新潟日報に入社したが、「あれから27年が過ぎたのに、新潟を巡る状況は何も変わっていなかったことに愕然とし、変えてこられなかったことを深く反省した」という。

 新潟の最北、最東、日本海に面する町に村上市がある。江戸時代、村上藩と呼ばれたこの地に、青砥武平治(あおとぶへいじ)という藩士がいた。村上藩は、かつて鮭(サケ)の漁獲で潤っていたが、しかし乱獲によって漁獲量がゼロに近づき、藩の財政は危機に瀕した。

 青砥は、鮭が産まれた川に帰って産卵する母川回帰の習性を知り、遡上する鮭を保護して村上藩の川で産卵をさせ、増やすことを思いつく。この自然養殖は、「種川の制」と呼ばれ、一度は枯渇しかかった鮭が、村上藩の川に戻ってくるようになる。

 この青砥武平治と同じことを新潟日報ができないだろうか? 荒井は、2020年夏に行われた新潟日報グループ事業アイデアコンテストに、県外に出て行った学生と、新潟県をもう一度つなぐ「にいがた鮭プロジェクト」を提案し、見事採用されることになる。

 その「鮭プロジェクト」には、編集、営業、事業、販売と部局横断した「7人の侍」が集められ、2021年4月から、その立案が始まった。荒井は、総務部を出てチームリーダーとなった。

 総合プロデュース室長としてこの「鮭プロジェクト」の立ち上げにかかわった鶴間尚(つるまひさし=現東京支社長)は言う。

「新聞社は縦割りの組織ですが、こうした業務横断型のプロジェクトをすることが大事なんです。これまでにないアイデアが出てくる」

 一社2万2千円で会員企業をつのる。この額であれば、中小企業でも参加できる。そして学生たちの登録会員は、現在1800名となっている。

 新潟日報がプラットフォームになり、新潟の企業と学生たちを様々な形でつないでいく。

 2022年4月から始まったこの事業は、県外に出た若者と新潟日報、そして新潟の自治体や企業をもう一度つなげる場として、成長中である。

 新潟日報は、小田敏三というユニークな経営者がいて、過去二回とりあげたことがある。新潟にかかわるビジネスのプラットフォームに、というその経営方針と進取の気性は、「持続可能なメディア」のひとつの解でもあるような気がする。

 

下山 進(しもやま・すすむ)/ ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文藝春秋)など。

※週刊朝日  2023年2月17日号