豆腐?それとも豆富?(写真はイメージ/GettyImages)

 国語辞書編纂者・飯間浩明氏は「人財」という言葉が生まれた背景を推測する。「人財」誕生には、経営者の親父ギャグ癖や日本特有の当て字文化が関係しているのだろうか?神戸郁人著『うさんくさい「啓発」の言葉』から一部を抜粋して、飯間氏の考察を解説する。

■ 「人財」と「豆富」にと共通する話者の心理

 少なからず、肯定されてきた側面も強い、「人財」という言葉。「材」ではなく、あえて「財」を採用した人々の心理について、国語辞書編纂者・飯間浩明さんは、「豆富(とうふ)」を引き合いに、自らの解釈を語りました。

 「豆富」とは、「豆腐」を書き換えた造語です。飯間さんによると、1960年代に島根県豆富商工組合(当時)が使い始めて以降、全国に広まりました。文字通り、験担ぎの意味があるといいます。

 「業界関係者は、四六時中『腐』という字を見るうち、『我々が作っているものは、別に腐っていない』『せっかく誇りを持って仕事をしているのに、縁起が悪い』などと感じるようになったのではないでしょうか」

 「作る方は、『豆富』の方が売れ行きが良くなる、と思えたのかもしれません。ある言葉に日々接していると、『この表記のままでいいのか』と疑いを持つようになるものです」

 一連の表現の系譜に、「人財」も位置づけることができそうです。飯間さんは「人材」の起源に触れつつ、普及の過程にまつわる自説を披露してくれました。参考情報として挙げたのが、『日本国語大辞典 第二版』(小学館)の記述です。

 語釈(語句の意味の解釈)を見ると、「人材」は「人才」とも表記する、との説明がありました。8世紀の書物に「人柄としての才能」という意味で登場する他、福沢諭吉が著書で「才知の優れた人物」を指して「人才」を使った、とも書かれています。

 一方で「人材」の「材」は資材、建材などにも用いられます。この点を踏まえ、飯間さんは次のように推し量りました。

 「『材』を見て、材料を連想する人はいるかもしれません。『人的資源』という言葉は戦時中から使われていたようですが、人を兵力=モノとして扱うニュアンスを、『材』に見て取ることも、あり得る話です」

 「そのため『人材』の二文字から、『人間とは材料・材木なのか』と疑問に思う経営者がいたのかもしれません。いわば、『豆富』と同じような流れで生まれたのだろう、と思っています」

■ 「うさんくさい」という感情の由来

 しかし、使い手の思いとは裏腹に、「人財」には「経営者本位で使われているのでは」「どこかうさんくさい」といった批判もつきまといます。まず前者の評価について、飯間さんは「言葉遊びに熱中している経営者は、確かに存在するかもしれない」としつつ、こう語りました。

 「『人財』を考え出した人は、そこまでの悪意は持っていなかったかもしれません。元々は、縁起を担ぎたいという程度の話だったと思います」

 その上で後者の評価のような違和感は、「親父ギャグ」への拒否反応に通ずると指摘します。

 「例えば、経済界の重鎮たちが新年に集まる、賀詞交換会というのがありますね。そこで企業の社長さんが、報道陣に『今年はどんな一年になりますか』と問われて、ダジャレのような回答をする場面を見たことはないでしょうか」

 「他の人と同じコメントでは、印象に残らない。だから新しい単語をつくって気を引こうと思うのでしょう。経営を論じる人物の中には、言葉をもてあそぶこと、つまり『親父ギャグ』を好む人が多い気がします。『人財』も、こうした点に由来するのかもしれません」 

 私はハッとしました。「さとり世代」「ロストジェネレーション」など、世相を端的に表そうとする言葉は、ごまんとあるからです。世紀を越えて使われ続ける単語や、全く不発だった語句が混在し、数え上げようとすれば限りがありません。そしていずれも、他者へのアピールを意図して発せられた点が共通しています。

 「ある経営者の言葉を『寒い』と思ったなら、それは滑っているからかもしれません。でも、その人の発言全てがつまらないわけではない。まさにそう、と膝を打つものもあるでしょう。そして、人によって、捉え方も違って当たり前なのです」

 「『人財』も同じです。時に嫌がられつつも使われ続ける、その生命力に、ある種敬服する気持ちがあります。間違いなく、『ヒット商品』と言えるでしょう」

■ 当て字文化は日本語話者の特権

 社会の中で受け入れられやすい語彙には特徴があるのでしょうか?

 飯間さんいわく、それは「謎中の謎」。どういうタイトルにすれば本が売れるかという問いに、明確に答えられないのと一緒なのだそうです。その上で、「人財」を含む当て字文化は、日本語話者の特権であるとも話しました。

 「『頑張る』を『顔晴る』と表記する場合があります。アルファベットのみで構成される英語はもちろん、中国語でも、日本語ほど自由に漢字を変えて使うことはできません。当て字は日本語を使う人々特有の楽しみと言えます」

 社会が変化するにつれて、生まれては消えゆく造語の数々。時代の荒波にもまれながらも、命脈を保つ言葉には、確かな説得力や強度があります。「人財」もまた、そうした語句の一つと言えるのかもしれません。