お金で苦手は克服できなかったよね(イラスト/tomekko)

「子どもの得意を伸ばしたい」「学習面で1歩リードしたい」といった親の願いをよそに、うまく続かず悩むことが多い子どもの習い事。3兄弟を子育て中のコミックエッセイストtomekkoさんも、習い事ラビリンスをはまってしまい、毒親丸出し&失敗の連続だったといいます。ダイヤの原石を磨いているはずが、ズタボロにしてしまった子どもの自己肯定感。どん底から抜け出すきっかけとなった心境の変化について綴ります。

「T大生が子どもの頃にやっていた習い事は!?」

  こういうランキング、子育てしているとよく目に入ってきますよね。

  頭の出来と習い事には実は相関関係などなく、通わせやすく習う人の絶対数が多いから結果的に有名大学に合格した人の割合も多いだけ、とわかってはいても。

 はじめての子育て。かわいいわが子の将来のために幼児期の時間を有効に使おうと熱心に調べていると、レビューのいい習い事に惹かれちゃいますよね。ご多分に漏れず「子育て情報検索魔」だった第一子幼少期にはまんまと習い事ラビリンスに陥った私です……。

 長男は小さい頃から受け身で意思が見えにくい子だっただけに親のほうが前のめりでした。習い事にもいろんな目的があるでしょうが、わが家の場合は得意なことを見つけて/苦手なことは克服して「自信をつけさせたい」こればかりを考えていました。

 でもまさか、ここまで裏目に出るとは……。

 ここにご参考までに、子の気持ち置いてけぼりで毒親が『良かれと思って』やらせた習い事地獄の結末を、自戒を込めてまとめておきますね。

(1)運動が苦手→全身運動だし夫が好きなスポーツだから教えられる!→サッカースクール

結果:人とぶつかることが嫌で、ボールの場所に関係なくひたすらコートの周りを走るだけのジョギングで終わる

(2)それならぶつかり合いがなく個人競技でプレッシャーにならないスイミングだ!

結果:同時期に始めた同級生と送迎バスで通っていたことにより、一人だけずっと進級できずどんどん置いていかれ劣等感の塊に。

(3)左利きだけど両手をバランスよく使って脳に刺激を与えたい。あわよくば暗算が得意になって算数に苦手意識を持たないように→そろばん教室

結果:類まれなる不器用さと興味のなさから全く玉の動かし方を覚えず、計算力に微塵も影響を及ぼさなかった。

(4)論理的思考力をつけて地頭を鍛えれば勉強も得意に→オンラインプログラミングスクール

結果:最初のうちは面白がって自作のゲームを作ったりしていたが、難易度が上がってくるとやる気を失う。親も教えられないし、オンライン指導の限界を感じて退会。

(5)勉強がそんなにできなくてもせめて英語が得意なら!→コロナ禍のオンライン英会話

結果:文法、単語などの基礎ができていない状態でいきなり英会話だけをやっても何も身につかなかった。カメラに映らないところで漫画読んでいたことが後々発覚。

 ほかにも塾や体操教室……懲りずにありとあらゆる習い事に飛びつきましたね。

 これらすべて、自信をつけるどころかやればやるだけ「できない」ことを露呈させ、プレッシャーをかけ子どもの自尊心を傷つける本末転倒な結果になりました。なんで愛するわが子をこんなにも苦しめてしまったのか……無自覚な親毒でビタビタに漬け込んでいたことに気づいた時には長男は「どうせボクなんて」が口癖になってしまっていました。

 こうなってから「そんなことないよ!」「自信を持って」なんて言ってもムダムダムダ。

 そんな習い事地獄の中で、長男の反応が他とまったく違ったものが2つだけありました。

 ママ友が先生でご近所だったから、という軽い気持ちで始めた書道は、左利きの長男の知られざる右手の力を知らせてくれました。緊張感ある固い字を丁寧に書く左手の硬筆に対して、右手の程よく力の抜けた悠々とした毛筆を初めて見た時の驚きと感動は忘れられません。自分と向き合いひたすら納得いくまで黙々と進められる書道は、彼自身の癒しにもなっていたみたい。

どうしてこんなに毎日大変なんだろう(イラスト/tomekko)

 もう一つは次男の勢いに引きずり込まれる形で始めた少年野球。2年生からここまで、一度も辞めたいと言わずに通いました。体は固いし腕力は弱いし足も遅い。野球に向いている要素はお世辞にもあるとは言えないけれど、監督曰く試合運びをいつも誰よりしっかり見て動き、腐らず練習して見違えるほど腕を上げたのだそう。そして中学でも野球を続ける選択をしたのでした。これぞ「好きこそものの上手なれ」であり「継続は力なり」。

「なんとなく」「楽しそう」で始めた習い事が結果的に本人の充足感やいつの間にか成長につながっていたとは本当に皮肉。

 そしてその結果、弟たちの習い事へのモチベーションは〝無〟になりました。

 長男とは真逆ではっきり意思表示をし、好きなものが小さい頃から明確な次男と三男は、やりたいとなったらやれるまであきらめず訴え続けます。親のほうも内容によっては小学生から始めても十分な習い事もあることも学んでいるし、3人それぞれに時間とお金を使えるように慎重に検討するようになりました。

 習い事に笑い、習い事に泣いた子育て13年目。この経験談を読んで同じ道をたどるほうが少しでも減ることを願っています。

 陳腐なたとえだけど、本当に子どもは全員漏れなくダイヤの原石です。親が手を加えずとも人生の山や谷、でこぼこ道を進む中で自然にまわりの岩石が削れて、どこかでパキッと割れてダイヤが転がり出てくるのかもしれません。少しずつうっすらと現れる光もあるかもしれません。そのタイミングも現れ方も人それぞれ全然違う。まわりと比べる、ダメ、ゼッタイ。

 私が長男の分厚い原石に対してやっていたことは、少しでもダイヤが表に出てくるようにお手伝いするつもりで叩きつけたり水や火に当てて溶かそうとしたり……結果的に中のダイヤのほうを傷だらけにしてしまいました。

 誤解してほしくないのは、子どもにいろんな習い事をやらせてみること自体は否定していません。なんの気なしに触れてみた刺激がその子にどう刺さるかは未知数だもの。大事なのはそこに壮大な目的を持たせないことじゃないかな、と思います。これが得意になれば有利、あれが苦手だから克服させたい、脳や体の成長を活性化させたい……なんて期待するのは子のためではなく全部親のエゴ。

 散々迷子になりながらたどり着いた現在はというと、親の思惑とはまったく異なり3兄弟が全員野球人となりました。

 野球を通してこれを学んでほしい、甲子園を目指してほしいとかの具体的な目標は何一つありません。それでも毎週遠い練習場まで自分で道を調べて自転車漕いで通う長男は、自然と地理と時間感覚と主体性を身につけているし、ピッチャーを担う次男は度胸と状況判断力を鍛えているし、暑さ寒さに弱い三男は忍耐力がついてきているし……。

 好きが大前提にあればどんな習い事でも、その子その子に必要な経験や学びを積み重ねているんだなあ。

 そしてー。

 誘っても誰も興味を持ってくれない海外サッカー映像を眺めながら「この俺が野球おじさんになる日が来るとは……」と深いため息をついていた夫ですが、始めてみれば子どもたちよりも熱心に野球教室の指導を習得。コーチが子どもたちに「君たちより横で見てるお父さんのほうが上手くなってるよ! ホラ頑張って」とハッパかけているそうで、何をやるかよりも一緒に楽しみ応援するのが親にできるベストな支え方だよなぁなどと思ったり。

 見守る親のほうも、恥ずかしながらこうして少しずつ学んでいる今日この頃です。