ロングインタビューに応じてくれた日本初の「非匿名精子バンク」の不妊カウンセラー、伊藤ひろみさん(撮影/大野和基)

 5月15日、日本初となる非匿名の精子バンクが、都内の医療機関「プライベートケアクリニック東京」の院内にオープンした。そこで不妊カウンセラーを務めるのが、伊藤ひろみさん(41)だ。なぜ、「非匿名」でなければならなかったのか(全3回の1回目)。

*   *  *

■「子どもに身元を開示できるドナー」のみ

―――非匿名の精子バンク、とはどんなものだろうか。

伊藤ひろみ 非匿名、つまり「子どもに身元を開示できるドナー」のみを募集する精子バンクです。

 もともと、無精子症の夫婦や絶対的不妊を抱える人のために、日本で非匿名の精子を集めたい、と思っていました。日本の人のための精子バンクを作りたかったんです。

 私自身、夫が無精子症で、デンマークの精子バンクを使って子どもを産んだ当事者でもあります。「非匿名」の精子バンクにしたのは、自分自身の経験や精子提供で生まれた人々の話を聞いて、私自身、「子どもの出自を知る権利」がどれほど重要か、痛感しているからです。

 精子ドナーの条件はホームページに記載していますが、非匿名に限ってドナーを一般から募集するのは、日本では初めてです。

クリニックホームページに記された「非匿名ドナー」の条件

■子どもの出自を知る権利を保障する

「非匿名の精子ドナーから提供を受け、子どもの出自を知る権利を保障する」という選択肢は欧米では普及しつつあります。それを日本に広め、親となる人が堂々と子どもにテリング(告知)できるようにすることが重要だと考えています。

――実は、伊藤さんは、少し前まで世界最大の精子バンク、クリオス・インターナショナル(本社・デンマーク/以下クリオス)の日本窓口でディレクターを務めていた。

伊藤 2016年から、自分で民間精子バンクをつくりたいと思い、日本産科婦人科学会やクリニックに手紙やメールを送り、面談を申し込んでいました。ですが、ほとんど返答がなく、門前払いの状態。ようやく会うことができても、「非医療従事者が生命倫理に関わることを勝手に始めてはいけない」とか「ビジネスとして生殖補助医療に関わってはいけない」とか「法整備を待つべきだ」とか、ネガティブな反応しかありませんでした。医師も研究者も政治家も民間精子バンクの必要性について否定的で、協力してくれる人はいませんでした。

―― 伊藤さんは、どうやってクリオスに結び付いたのだろうか。

伊藤さんに連絡をくれたクリオスの創業者、オーレ・スコウ氏(撮影/大野和基)

■日本に精子バンクを設立しよう

伊藤 2017年末に、クリオス創業者の来日記事を偶然読み、クリオスが日本進出を考えていることを知りました。このチャンスを逃してはならないと思い、クリオスの問い合わせページから英語でメールを送ったんです。メールを出して4日後に、創業者のオーレ・スコウ本人から返信が来ました。喜びで心が躍りました。

 オーレからは精子提供について多くのことを教えてもらいました。1年あまりメールでのディスカッションを経て、「日本に精子バンクを設立しよう」という話になりました。履歴書、志望動機書、日本の現状と有識者の意見をまとめたプレゼンを提出し、最終的に当時の社長とオンラインで面接を行ったあと、正式に内定をもらいました。

■絶対的不妊に苦しむ患者たち

――2019年2月、クリオスの日本窓口の開設と同時にディレクターになります。

伊藤 ディレクターとして、ロビー活動、PR活動と同時に患者さんや医療機関からの問い合わせの対応を始めました。クリオスに寄せられる問い合わせの7割は、同性カップルやシングル女性からの相談でした。

 無精子症のため、夫と血のつながった子どもを持つことができずに苦しんでいる夫婦や、頼れる人がいなくて深い孤独を感じている人もたくさんいることがわかりました。また、ターナー症候群などのため先天的に卵子のない女性や、早発閉経により若くして卵子が大幅に減少する女性、卵子を完全に失う女性など、子どもを持つことが難しい事情を抱える女性もいます。「絶対的不妊」に苦しむ患者さんは少なくありません。

クリオスのスタッフミーティングのイメージ(クリオス提供)

■「親のエゴ」「子どもがかわいそう」と批判

―― クリオス上陸のインパクトは大きかったと私は考えています。ただ、生殖補助医療を批判する人々もいます。当時は批判も多かったのではないでしょうか。

伊藤 はい、精子提供や卵子提供がメディアで取り上げられるたびに、さまざまな批判的な意見がソーシャルメディアに流れるのを見てきました。「親のエゴ」とか、「子どもがかわいそう」とか、「養子縁組ではなぜダメなのか」とか、「そこまで子どもがほしいのなら、離婚して他のパートナーを探すべきである」とか。

 けれども、「絶対的不妊」の患者にとって、精子提供、卵子提供は大きな希望の一つです。

―― クリオスをはじめ、海外の精子バンクでも、利用者はシングル女性や同性カップルが圧倒的に多いですよね。

伊藤 そうです。クリオスでは、LGBTQの妊活や子育てを支援する一般社団法人こどまっぷに協力してもらい、女性カップルと個人的な交流も重ねました。彼女たちが直面する課題を解決しようと、ロビー活動も活発にやりました。最も驚いたのは、クリオスを使って妊娠した女性カップルが、都内の医療機関から分娩拒否を受けたことです。

提供精子で妊娠した女性に対し、「分娩拒否」があったことについて語る伊藤さん(撮影/大野和基)

■分娩拒否は「仕方ない」のか

―― 以前、伊藤さんの紹介で私が取材した女性カップルも、<妊娠成立のお相手>に<海外の精子バンク>と記入したら、そのクリニックでは「産めない」と言われ、別の病院に転院しています。分娩拒否は、非常に大きな問題だと思います。

伊藤 日本産科婦人科学会は、現在、海外の民間精子バンクの利用や女性カップルへの生殖補助医療の提供を、ガイドラインで認めていません。

 けれども、クリオス本社に確認したら、自国で認められていない生殖補助医療を海外で受けて妊娠し、自国で出産する患者は世界中にいると言われました。自国で認められていない方法で妊娠に至ったとしても、分娩は拒否されていないということです。

――分娩拒否の理由は何でしょうか。

伊藤 日本産科婦人科学会に確認しましたが、「国が対応すべきこと」との回答しか得られませんでした。分娩拒否をした病院と関係のある産婦人科医の知人にも相談しましたし聞きましたが、「仕方がない」という反応でした。

■安心・安全に出産できるよう

 分娩拒否は人道的ではありません。妊婦は受け入れられ、安心・安全に出産できるようにすべきです。医師でもある公明党の秋野公造参院議員は、私たちの考えに賛同してくれました。

 2023年12月18日にこども家庭庁/厚生労働省から、日本産科婦人科学会/日本産婦人科医会/日本医師会に対して、「分娩や妊婦健診等の受け入れについて」という通知が行われ、そこには「妊娠の成立過程にかかわらず、妊婦が安心・安全に出産できるよう、分娩や妊婦健診等の求めについて、適切な対応を行うようお願いいたします」と明記されています。

 それでもなお、健診・分娩拒否の事例が続いたため、2024年3月7日には、秋野議員が国会でこども家庭庁の加藤鮎子担当大臣に質疑を行ってくださっています。これで、日本産科婦人科学会が認めていない方法で妊娠に至っても、安全な医療が受けられることが保障されたはずです。

(構成/ジャーナリスト 大野和基)